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小泉成史 (こいずみ せいし)
早稲田大学理工修士。1974年読売新聞入社。1984年マサチューセッツ工科大学ヴァヌ―バー・ブッシュ・フェロー。米国歴史博物館客員研究員。2002-06年テレビ朝日コメンテーター。03年より金沢工業大学客員教授。著書「おススメ博物館」(文春新書)など。

機械工学科 の最近のブログ記事

機械工学科 加藤 秀治 教授 KITには長年、企業で活躍された後で教鞭を取られている先生が多い。ところが加藤先生はドクターの後、一旦企業に入って開発に従事し、すぐにまたKITに戻るという珍しい経歴の持ち主だ。そのいきさつをうかがった。
 
——加藤先生はKITでドクターを取得されていますが、最初は修士で就職するつもりだったとか?

 「私は、新谷先生が講師になられた時に先生の名前で初めて指導していただいた学生の一期生になるのです。でも修士を終えてもドクターに行くつもりはなく、メーカーの就職試験を受けて受かっていて、そこへ行くつもりだったのです。 

 でも12月に藤村先生と新谷先生に呼ばれて、考え直せというようなことを言われて、いや、そう言われてもなぁと。しかし、母の叔父にあたる、影響力のある親戚から“チャンスというのはそんなにあるものではない。だからチャンスは大切にしなくては”と強く言われまして。

 それもそうかなと。できるかどうか判らないけどやってみるかと」

 新谷先生( http://kitnetblog.kitnet.jp/koizumi/2009/04/post-10.html#more )は現在、加工技術の専門家の立場から人工股関節の改良に取り組んでおられる。狭い専門領域にとどまらず広く挑戦する研究者だ。

——新谷先生に見込まれたということは加藤先生が学生時代からかなり見込みがあったのでは。学生時代はどんな研究をしていたのですか?

 「いや、ほかに優秀な同級生がいましたが、融通が利くものがいなかったのではないですか(笑)。

 修士、ドクターとほとんど同じ系列の研究をしていました。ADIという材料です。これは鋳鉄なのですが、球状黒鉛鋳鉄に熱処理をした鋳鉄なのです。球状黒鉛鋳鉄は何が良いかと言いますと、鋳込むのでいろいろな形になるわけです。

 自動車のエンジンをイメージしてもらえば良いと思いますが、シリンダーのように複雑な形でもできた後で加工してやれば、それで製品になるわけです。鋳造成形した後熱処理を施してADI材という強度の高い材料とするわけです。

 ところが、熱処理して硬いので、そう簡単に削れないのです。それをうまく削れるようにしましょうというのが研究のテーマだったのです。

 そのための最適な工具の設計から始まって、最終的にはある程度、能率よく精度良く加工できるような条件の選定までやりました。それで工具メーカーさんと共同で開発もしまして、ドクターの後、実は住友電工さんにお世話になることになりました。」

 ここで先生の話を補うと、ADIはオーステンパ球状黒鉛鋳鉄(Austemperd Ductile Iron)のこと。鋳鉄は炭素を多く含み、鋼より溶ける温度が低いので鋳造に向いている。ところが、鋳鉄の中の炭素は固まるとき、裂け目状のグラファイト(黒鉛)に結晶化するため、ここに応力が集中し脆くなるという欠点がある。

 この欠点を補うため、添加物を加えグラファイトを球状に結晶化させたのが球状黒鉛鋳鉄だ。ADIはこれにさらに特別な熱処理をして硬度を増したものだ。

——住友電工では何を研究されたのですか?

機械工学科 中田 政之 教授 ドイツ南西部、フランクフルトの近くにカイザースラウテルン(Kaiserslautern)という人口約10万人の小さな街がある。日本ではほとんど知られていなかったが、2006年にFIFAワールドカップの一次予選がここで行われ日本がオーストラリアに破れるという「悲劇」があったため、サッカーファンを中心に結構知られるようになった。中田先生はこの街にあるカイザースラウテルン大学( http://www.uni-kl.de/5098.html?L=1 )複合材料研究所に招聘教授として留学した貴重な経験がある。

——先生はその研究所に2001年から2002年にかけて行かれていますが、どんな研究所だったのですか?

 「材料に力を繰り返し加えた時の疲労強度の解析シュミレーションをやっている研究室にいきました。自動車とか飛行機というのは、走ったり停まったりでその度に複雑な力が構造にかかりますよね。そういう複雑な負荷がかかった時の疲労寿命をシミュレーションで計算する方法を研究しているとこでした。実験設備もいろいろ整っていてシミュレーションと実験と両方できるところでした」

——そうした基礎的な研究はやはりヨーロッパが強いのですか?

 「ヨーロッパは重点的にある課題に特化した研究所が結構あるのです。私が行ったとこは複合材料だけの研究所です。KITの“ものづくり研究所”は3階建てですが、カイザースのそれは5階建てで、面積は“ものづくり”の2倍はあったと思います。研究スタッフだけで120人いました。この研究者たちは教育は一切しません、研究だけで良いのです。

 その頂点にプロフェッサーと呼ばれる人が3人いて、その方たちは大学の教授であり、研究所のプロジェクトリーダーでもあります。研究費を取ってきたり、外部から研究テーマを見つけてきたりと、そのような仕事をしてます。組織は完全にピラミッド型でプロフェッサーの下にチームリーダーがいてさらにその下に研究員がばーっと並んでいるという感じです。

 私がいた頃、研究費は半分は国の助成金、半分は民間企業。それで120人分の給料も賄っているから、大学から補助金一切なし、大学とは完全に独立の組織となってました」

——そうすると複合材料の研究では世界有数ですね。

 「私の見るところ、あれだけ揃っている所はないです。ドイツはそれぞれの大学が特色を出しているのです。

 アーヘン工科大学では高分子材料だけに特化した研究所があります。それから新谷先生( http://kitnetblog.kitnet.jp/koizumi/2009/04/post-10.html )のお弟子さんの加藤 秀治先生はアーヘン工科大の加工関連の研究所に行ってました。加工関係も有名です。その他、カールスルーエ大学だったら原子力といった具合です」

——民間からの研究費はどんな企業からもらってくるのですか?

機械工学科 小橋 好充 講師 小橋先生の専門は内燃機関や燃焼工学。しかし、今は電気自動車やハイブリッド・カーの全盛時代になろうとしている時である。筆者のような素人は今更エンジンの中での燃焼なんて研究する余地があるのか、もうやり尽くされているのではと思ってしまうが、小橋先生によれば、まだまだ研究すべきことは沢山あるのだという。

――エンジン関連の研究に進むきっかけは?

 「実は自動車自体に興味があったのですが、特にエンジンに興味があったわけではありません。

 同志社大学4年生で研究室を選ぶときに、先生とその研究室の雰囲気、それと一番厳しい研究室はどこかなどと考えて“多分、ここが僕に合うだろう”と、選んだところがたまたまエンジンを研究していたのです。

 でも、それまでの勉強とは違って自分たちのやることが直接世の中の役に立つというのを痛感しました」

――勉強から研究で、目が開かされたわけですね。

 「特に、私が入っていた研究チームの中には博士課程の方もいらっしゃいました。その方たちが海外の学会で発表する時には私たちの実験データも入っているのです。

 これにも刺激を受けました。私はずっとスポーツをしてきました。小・中学は野球、高校はハンドボールといった具合に。でも、せいぜい県大会レベルなんです。全国区になることはまずなかった。ましてや世界レベルは夢のまた夢。

 ところが、研究では一挙に世界なのです。4年生で何も知らない私が出した実験データが世界に出て行くと思わなかった。研究だと海外の学会まで行けるのかと思い、のめりこんだといっても良いでしょう」

――その当時の実験とはどんなものだったのですか?

金沢工業大学 副学長 山部 昌(ヤマベ・マサシ) 教授 「世界一でないといけないんですか」。

 昨年(09年)の政府の事業仕分けで、この発言と共にすっかり一般市民にもお馴染みになったのがスーパーコンピュータ(略称・スパコン)という言葉だ。

 事業仕分けは政府が2012年稼動を目指す大型プロジェクトの次世代スパコンの話。スパコン自体はその時代、時代に最高性能を出す科学技術用の高性能コンピューターのことだから、何十年も前から存在していた。

 スパコンが威力を発揮するのは科学の分野ではナノレベルの分子の振る舞いから超巨大な銀河の衝突まで自然現象のシミュレーション。一般レベルの利用では気象庁の天気予報で使われ、予報の精度を上げた。産業分野で一番利用が進んだのは何と言っても自動車業界だろう。わざわざ粘土でモデル車を作らなくてもシミュレーションで新車の空気力学性能がすぐ分かるようになるなど新車の開発時間が格段に短くなった。

 山部先生は96年にKITに来られる以前、長い間、日産自動車の総合研究所に勤務しておられた。日産で「ものづくり」に最初にシミュレーションを使ったパイオニアだという。

――「ものづくり」のシミュレーションとはどんなことをするのですか?

 「車の衝突とか空力とかの分野では50年ぐらいの歴史があるのですが、ものづくりはそれより遅れてスタートしました。

 社内にはCADデータがたくさんあるのです。それは設計にしか使われていなくて、そのデータを何とかものづくりに使えないかと始めたのがプレスの成形技術ですし、プラスチックの成形技術なのです」

――自動車でプラスチックといってもあまりピンと来ませんが。

機械工学科 増山 豊(ますやま ゆたか) 教授 モノづくりを核にさまざまな経歴の先生が集まるKIT。その中で増山先生は一際、ユニークな経歴の持ち主だ。なにしろKITに来る前はヨットの設計を専門としていたのだ。もともとは富山大学機械工学修士で大企業の石川島播磨重工業に入社し、蒸気タービンの設計をしていた。しかし僅か9か月で退社し、それまで何の経験も知識もないヨットの世界に飛び込んだのだ。ヨットを見たこともほとんどなかったという。

――せっかく入社した石播をどうして辞めたのですか?

 「やりたいことを、とことんやってしまう性分なのです。石播の仕事はそれなりに面白かったのですが、それをずっとやっていくのが良いのかなと考えて。

 もう一つ、メーカーでモノを作るというのは必ずコストの問題が出てきます。設計上どうしてもこれは譲れないというところがあっても、"コストがこうだから、設計のグレードを下げなさい"と言われてしまいます。

 いろいろ考えたら、結局、遊びの世界しかない。例えばF1,1台1億円。でも一人しか乗れませんよね(笑)。要するに、損得勘定をしないで究極の良いものを作りたいと。

 大学院で流体をやったので、その分野を調べたらヨットとグライダーとスキーと全部、遊び道具。グライダーは日本で1社しかなく月産1機。スキーはすでに大きな産業になっていたのでヨットしかないと。」

――ずいぶんと大胆ですね。

 「ヨットデザイナーとか造船所とかをずっと調べて手紙を書きました。"こういうわけで是非ともヨットにかかわる仕事がしたい"という内容で。ちゃんと皆さん、ご返事くれましたが、全員"やめなさい"という返事でした。でも、その中の一人の熊沢さんという親方の手紙に波長が合う気がしたので、横浜まで会いに行きました。そこはヨットで有名な造船会社の設計部門なのですが、"じゃあ、来ますのでお願いします"ということに」

――そこで初めてヨットに乗ったのですか?

 「その親方の設計したヨットに乗ったのが最初。乗ってセールに風がふっとはらんで、すーっと船が走り出す。その瞬間に鳥肌が立ちました。大体、ヨットに乗っている人はこれで皆、はまるのですよね。その時、やっぱり間違っていなかったなと思いましたよ。

潮風を受ける増山教授 要するに流体力学で、まさに風の力で3トン、4トンもあるヨットが走るのですよ。帆の曲面の美しさが流体力学的にマッチしていること、船体そのものの曲面も、やはり流体力学的にきれいですし、工学的なものと性能と美しさが渾然と一体になっている、これがヨットではないかなと」

――そこでどのような仕事をしたのですか?

 機械工学科 矢島 善次郎 教授 研究者の半生には専門分野に入るきっかけとなった「自分のやりたいのはこれだ!」と思う瞬間があることが多い。生まれて初めて望遠鏡で見た土星の輪に感動して天文学者になったり、鉄腕アトムのアニメを見てロボット製作者になったりといった具合である。
 
 矢島先生が鉄の研究を志したのはKITの金属材料の授業だったという。

――それまでは特に金属に興味を持っていたわけではなかったのですか?

 「子供の頃、お祭りか何かで肥後ナイフという小刀を買ってもらってよく遊びました。竹トンボとか作ったりして。でも使っているうちにだんだん刃の先端が曲がってきたりして切れなくなってしまう。

 雑誌や本などで刀鍛冶の人が刀を作る時、鉄を真っ赤にして水に入れてジューッとやったりする光景が頭にあって、焚き火を使って真似してみたら余計に切れなくなってしまったのですよ。そのことをずーっと不思議に思っていました」

――KIT に進学されたのは何故ですか?

 「ちょうど大学紛争の頃でごたごたしている大学はいやだったし、父親がサラリーマンでしたけど機械関係なので何となくという感じです。工学部をでてエンジニアになれればバラ色というイメージでした。

 大学はどこでもそうでしょうが、高校と違って好きな時間に行けて好きな授業をとれて面白かったです。3年の専門科目で金属材料の授業で初めて熱処理とか相変態とか結晶構造の話を聞いて、目からウロコが落ちたのです。子供の頃からの疑問だったなぜナイフが切れなくなったかが解けたのです。適正な温度以外で処理をしたことということです。へエーッという感じ。勉強というのはこういうことなのかと、それに気付いた。それからはかなり勉強に身をいれるようになり、4年の時に助手として大学に残ってみないかと言われたのです」

――それはラッキーですね。
 
 「それで残って機械工作の先生について切削工具の研究などをしているうちに、日立製作所の出身で金沢大学の工学部長までつとめられた小河 弘(ひろむ)という先生がKITに来られたのです。この先生が僕の本当の師です。

 小河先生は東京工業大を出て日立に入社、仕事をしながら圧延ロールの研究で学位を取られました。当時はサラリーマンをしながら学位をとるのは大変珍しいことでした。圧延というのは金属に圧力をかけて薄い板をつくることですが、僕も機械出身だけれども、金属の破壊現象に興味を持っていたので小河先生の下で研究をすることにしたのです。」

 ところが小河先生は矢島先生の学位論文をまさに審査している途中、脳梗塞で倒れ、そのまま入院するという事件が起きてしまった。

――ずいぶんとドラマチックですね。

機械工学科 新谷 一博 教授 宇宙飛行士・若田光一さんが現在(2009年3月22日)、国際宇宙ステーションで日本人として初の宇宙長期滞在に挑戦中だ。宇宙飛行士の健康問題で最も重要なものの一つが「骨」。多くの飛行士は長い間の無重量空間滞在で骨に問題が生じ、地上に降りてくると歩けなくなってしまう。

 というのは、人間の骨は荷重がかかっている中で、骨を新しく作っていく骨芽細胞と古い骨を破壊していく破骨細胞とのバランスで成り立っている。ところが荷重がかからないと、生体はこの骨は不要と判断し、破骨細胞ばかりになってしまい、骨がもろくなってしまうのだ。

 新谷教授は機械工学科の研究者でありながら、目下この人間の骨の代替物を研究中だ。特に股関節の病気の人に使われるものを開発している。股関節は立っても歩いても一番体重のかかる部分で、ここがダメになると寝たきりになってしまう可能性が高いという。寝たきりになると、体全体の骨に体重がかからなくなり骨が弱くなってしまう。

――どうして、機械科の先生が股関節の代替物に係わるようになったのですか?

 「私も年寄りなので腰が痛くなって整形外科に通うようになりました。ある時、他の患者さんの強烈な悲鳴を聞いたのです。医者に聞いたら、その患者さんは変形性股関節症ということでした。この病気は痛みが激しく、中には"もう死にたい"と言う人もいるほどとのことでした。そこで私の持っている金属加工技術が役に立たないかと思ったのです」

――変形性股関節症とはどんな病気なのですか?

  機械工学科 諏訪部教授 長い間、新聞社で科学技術の記事を書いていた。その間、最先端の素子やチップ加工の話題を書いたことは何度もある。しかし、そのチップの基となるウエハーをどうやって切り出しているのか全く知らなかった。不明の極みである。
 
 ウエハーはシリコンなどの半導体素材の種結晶を円柱状に成長させたインゴット(塊)を薄くスライスしたものだ。そのことは知識として知っていても具体的にどうやってスライスしているのか思いが至らなかったのである。

 諏訪部仁教授の研究室でその切断装置を初めて見せてもらってびっくりした。マルチワイヤソー(MWS)と呼ばれるもので、細いピアノ線(ワイヤー)が何個もあるプーリーにかけられ、一定の間隔で平行に高速で往復運動をしている。そこにインゴットを押し当てて砥粒(みがき粉のようなもの)と特殊な切断液をかけて一気に切っていく。一度に何枚ものスライスが得られ、切断除去量(切りクズ)が少なく、いつも新鮮なワイヤーが供給されるので精度が高い加工ができるなどの長所があり、スライシングの主流となっている。

 メカニズムはちょっと異なるが、ゆで卵のスライサーをイメージすると良い。ゆで卵はやわらかいので、金属線に押し当てるだけできれいに切れるが、シリコンはそうはいかない。そこで、金属線が高速で動いて切るわけだ。

―――こんな機械、誰が作ったのですか?

 「1960年代にフランスで発明されて、60年代後半に当時の電気試験所(現・産業技術総合研究所)に技術導入し、データを取って研究が始まりました。以後、あちこちで開発が進み様々なメーカーが作っています。最初はピアノ線で切るというので精度が悪く、でかいものは切れないと思われていたんですが、切れるとわかりブレークスルーとなったのです」

 なるほど「マルチワイヤーソー」で検索すると、製造会社がいくらでも出てくる。しかし、正確にフランスのどんな人間がどうやって発明したかといった歴史的著述があるものはない。これは調べ甲斐がありそうだ。