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小泉成史 (こいずみ せいし)
早稲田大学理工修士。1974年読売新聞入社。1984年マサチューセッツ工科大学ヴァヌ―バー・ブッシュ・フェロー。米国歴史博物館客員研究員。2002-06年テレビ朝日コメンテーター。03年より金沢工業大学客員教授。著書「おススメ博物館」(文春新書)など。

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電子情報通信工学科 青木 茂明 教授 音響学と聞く人はどんなイメージを抱くだろうか? 多くの人はコンサートホールなどの音の響き具合を研究して、より良い空間を設計するような学問を想像するだろう。でも青木先生の音響学は同じ音でもちょっと違った音響学だ。

----青木先生は名古屋工大卒、名古屋大大学院で博士を取られたのですがもともとは金沢のご出身だそうですね?

 「金沢に生まれ高校を卒業する18歳までいましたから、こちらの気候には慣れています。名古屋工業大学で通信工学を勉強し、名古屋大学大学院で師事した先生が電気音響の専門で。そこで初めて音響と出会ったのです。

 音響工学という学問自体は古くからあるのですが、どんどん内容は変わって来ているのです。私が初めてやったのは超音波です。超音波というのは人間には聞こえない音波ですよね。でも大きな超音波を出すと、非線形というのですが、歪みができてきて、それによって指向性の鋭いスピーカーが作れるというのが、その当時分かってきたのです」

----なるほど、スピーカーというのは電気工学だから、その流れからくる音、音響というわけですね。

 「そういうことです。結局、音っていたるところにありますよね。だから音響という分野もすごく広いのですよ。電気音響というのは電気工学から見た音響学なのです」

----卒業後はNTTに入られます。やはり音響関係の研究者として入られるわけですか?

 「そうですね。横須賀、武蔵野、厚木と3つの研究所などを行ったり来たり、その度に住まいも変わりました。やっと自宅に移れたと思ったらここKITの話がきて(笑)。よくある話で。

 私が入った頃から、音響といってもユーザーが人間ですので、人間を中心に据えて、人間がどのように音を感じるとか、どのように感じたら楽しいだろうかを研究テーマにする動きが出ていました。

 NTTですから、昔は電話機で声が伝われば良い、電話機の声がはっきり聞こえれば良いとかそういう時代でした。それがこれからはステレオの時代だから、ステレオ回線を使ってどんなサービスができるか考えようみたいな」

----簡単に言えばステレオ電話のような感じですか?

 「そうそう。昔は回線がたった1本だったのに、これからは64kbps(1秒間に1kビットの情報が送れる回線速度)でステレオ音声になると。では会議に使えるのではという話で。ただ、ご存知だと思うのですが、普通のステレオはスイートスポットという場所があるのです。2つのスピーカーを結ぶ線を底辺とする正三角形の頂点で、そこが一番、音の立体感がでます。そこからずれると、真ん中に聞こえるはずの音がスピーカーの方に偏って聞こえてしまう。要するにステレオ感が得られないような状況になるのです。

 でも会議だったら、スイートスポットだけに人が座っているわけではなくて、ここにも、あそこにも人がいるでしょう。すべての人にある程度定位感をしっかりと与えないとステレオの効果はないですよね。相矛盾するような話なのですが、それを何とかやれということで、そういうのが入社したての時の研究テーマでした」

----その後はどんな研究を?

電子情報通信工学科 野口 啓介 教授 いつの間にか携帯からアンテナが消えてしまった。スマホにいたっては最初から存在しない。と言ってもアンテナはなくなったわけではない。小形化、高性能化で製品の内部に入って活躍しているのだ。最近はWi-Fi(無線LAN)などの普及でアンテナの重要性は増す一方だ。野口先生は小形アンテナのさらなる高性能化を目指している。

——先生は山形県鶴岡市のご出身で、同じ日本海側のKITに進学されたわけですが、どうしてKITを選ばれたのですか?

 「当時、大阪大学からKITに来られた石黒先生という方がレーザーの研究をしていらっしゃったのです。もともと小さい時から光などの興味があって自分も実験をやったりしました。KITにそのような専門家がいらっしゃるなら、是非レーザーをやってみたいと思って来ました」

——それは、ずいぶんしっかりとした高校生ですね。

 「いえ、いえ。高校生の時に先生からアドバイスを受けただけです。ところが、いざKITに入って、石黒先生に“レーザーは今後やっていけますかね?”と伺ったら“レーザーはもうやらない方がいいよ。レーザーでやることは半導体レーザーしか残っていない”と言われてしまいました。そうか、レーザーはやることがないのかと。

 ただ、その時のことを考えると当時、光ファイバー通信が立ち上がりの時でもあったので光をやっていても面白かったのではと思います。

 光やレーザーがやれないのなら、光は電磁波の一種なので、光からちょっと周波数を下げてと、電波の世界に入りました」

——そもそも、どうして少年時代から光に興味があったのですか?

 「小さい時から光というのは目に見えて何か美しいなというイメージが強かったのです。例えば、夜空に輝く星、色が異なる天体などにも興味があって、光というのは面白い性質を持っていると思っていました。

 その光を調べるにはどうしたら良いかと考えて、大学に行って勉強すればいいと。そして鶴岡からここKITに来たのです。大学に入ってみて電波関係にいらしたのは、三菱電機から来られていた水澤丕雄先生がアンテナについて研究をされていました。それに山口尚先生、奥村善久先生と大御所が揃っていました。それで電波関連が面白そうだと」

——大学院は東北大学に進まれます。東北大といえば八木・宇田アンテナが有名です。東北帝国大学(現・東北大学)の八木秀次教授と宇田新太郎助手が第二次大戦前に世界に先駆けて開発し、日本よりも米英で有名になりました。

 「アンテナ研究の総本山といえば東北大なので、今度はそちらに場所を移しました。八木・宇田系列の安達三郎教授という方がいらっしゃって、アンテナ研究の歴史を踏襲されていました。そこでアンテナについて研究を行いました」

——どのようなアンテナですか?

 「その時は超電導アンテナをやっていました。なぜ、超電導かというと、アンテナには損失があるのです。損失を極力小さくしてやれば、電波の放射の効率が上がります。超電導材料をアンテナの金属導体のところに使って、超電導状態を起こして放射させる。実を言うと宇宙で使う目的だったのですが、結局は実用化しませんでした」

——超電導アンテナは聞いたことがありませんものね。何が難しかったのですか?

電子情報通信工学科 伊東 健治 教授 20世紀を代表する技術と言えば、飛行機か自動車だろうが、時代の最先端のテクノロジーが一般人に浸透し広く使われたのはどちらかと問われれば、圧倒的に車のほうに軍配が上がるだろう。その意味で21世紀を代表する技術は携帯電話ということになるかもしれない。80年代後半、筆者は米国特派員時代に生まれて初めて携帯電話を使ったが、公衆電話の受話器をひと周り大きくしたような形で何キロもあるためズシリと重く、よっぽど緊急の時だけ使う特別なシロものだった。それが今や世界中で小学生からお年寄りまで誰でも使う当たり前のモノとなった。

 伊東先生は三菱電機でその携帯電話開発の真っ只中にいらした。

——先生は大学を出られてすぐに三菱電機に入られた?

 「はい。鎌倉にある研究所に15-16年いました。専門はマイクロ波工学の中でもマイクロ波半導体回路という分野で、非常に高い周波数の回路をやっていました。

 1997年から2008年までモバイルターミナル製作所というところで携帯の設計製造を担当しました。多分、累計で2,500万台は生産しています。最後の頃に作った携帯を今でも使ってます。しかし、三菱は携帯をもう作っていません。

——さぞかし忙しかったでしょうね。

 「いやもう、大変な忙しさでした。私もそうですが、いろいろなところから人を集めて。始めた頃で年間2機種、最後は年間5-6機種作っていました。

——どうして日本の携帯は衰退したのですか?

 「ガラパゴスとか言われていますが、今、世界的なシェアがない。三菱でも1999年から2000年にかけて海外生産を随分増やしました。フランスと米アトランタに工場があって。

 ところが、2000年ITバブルが起きました。それで、かなり売れ残りが出たのです。大きな欠損がでて、それから順次すぼめていきました。最盛期で世界シェア大体4%行ったかな。今は日本全体で4%ぐらいですからね。当時、日本で一番大きい携帯メーカーだったのです」

——作り過ぎたということですか?

 「はい。どういうことかと言うと、海外の金融から携帯電話の設備会社に多額の投資マネーが出たのです。それで、その時の回線需要予測が実際よりものすごく高めになってしまって。一種のバブルですね。

 そうすると携帯メーカーにも発注がどんどん出て、4億台もの需要予測が出ました。その前の年が2億5,000万台でした。ところが実際は3億台にいかなかったので世界で1億台以上の携帯がだぶついてしまったのです。この時、全ての携帯電話メーカは深手を負ったのです。当時はアルカテルや、シーメンスも携帯をやっていたのですが、今は影も形もありません。モトローラやエリクソン(当時)も当時のシェアから凋落し見る影もありません。」

——メーカーとして携帯を作る時、一番難しいのは?

電子情報通信工学科 會澤 康治(あいざわ こうじ)教授 一般にはほとんど知られていないが強誘電体という物質がある。會澤先生はこれを使った新しい情報処理デバイスの研究を目指している。

——強誘電体とはどんな物質ですか?

 「強誘電体というのは誘電体の一種です。誘電体は電圧をかけると内部にプラスを帯びた部分とマイナスを帯びた部分に分かれるのです。物質の中には多かれ少なかれプラスとマイナスに分かれる成分があって、電圧をかけると中でそういったプラスとマイナスに分かれる状態になります。それを分極といいます。

 普通は電圧をかけないと、そういう状態にならないのです。ところが強誘電体というのは一度、電圧をかけて、その後で電圧をかけるのをやめても、その分極状態が残っているという性質があるのです。しかも、電圧をかける極性、プラスとマイナスを入れ替えると、その分極の向きも変わるのです」

 ここで、會澤先生のご説明に加えて、もう少し誘電体について説明しておこう。テレビ、パソコン、携帯などの電子機器にはコンデンサーという部品が必ず入っている。電気を瞬間的に蓄える機能があるが、これは誘電体に電極を付けた構造をしている。誘電体は直流の電気は通さないので絶縁体と同じ意味で使われる。ガラスやセラミックス、プラスチックは誘電体だ。

——強誘電体はメモリーに使えそうですね。

 「まさしくそうです。プラスとマイナスの向きの違いをデジタル回路の1と0に対応できるのです。また、電圧、電源を切ってもその状態が保たれていますから、いわゆる不揮発性メモリ、フラッシュメモリなどに置き換えられます」

——フラッシュメモリよりも性能がいいということですか?

 「今のフラッシュメモリはトランジスタの中に電子が残っているか、いないかで、1と0を区別しています。問題点は書き換えの回数に制限があるのです。同じところをずっと使っていると動かなくなる。でも、回路的な工夫で実際はもっと長持ちします。強誘電体は全く別の原理なので回数の制限はありません。また消費電力が低く、より高速なデータの読み出し、書き換えが可能なのです」

——強誘電体はいつごろから研究が行われているのですか?

 「強誘電体という材料は昔から知られてます。基本原理も40-50年前から分かっています。ただコンピュターのメモリにというのは90年ごろからの話です」

——具体的な材料はどんなものを使うのですか?

電子情報通信工学科 牧野 滋 教授 最近、国民的に関心を呼んだ科学関連ニュースといえば、何と言っても小惑星探査機「はやぶさ」の帰還だろう。2003年に打ち上げられ、小惑星「イトカワ」に到達し表面のサンプリングを試みて、再び地球を目指し途中で何度も通信途絶しながらも2010年に約60億kmの長い旅を終え、無事地球にカプセルを落下させて燃え尽きた。

 こうした遠く離れた探査機や人工衛星との通信に欠かせないのがアンテナだ。牧野先生は30年にわたって三菱電機で衛星搭載用のアンテナの研究に取り組み、07年よりKITに。三菱でアンテナといえば別段信一先生もKITにおられ、このインタビューで紹介した(http://kitnetblog.kitnet.jp/koizumi/2010/02/post-24.html)。

――「はやぶさ」も成功したし、日本の宇宙通信関連のアンテナ技術は国際的にかなりのレベルまで行っているのですか?

 「いやいや、予算が全然少ないですから・・・。米国はNASA(米航空宇宙局)、ヨーロッパはESA(欧州宇宙機関)、日本はJAXA(宇宙航空研究開発機構)が宇宙関連の研究をまとめています。あまり変わらないように見えますが、現在のアンテナの状況や将来の動向などは、ヨーロッパが企業や大学に研究資金をばら撒いて先行しています。

 アンテナ研究の成果を発表するワークショップみたいなところを時々、聞きにいくのですが先端的な技術は全部ヨーロッパです。米国は理論をよく発表します。しかし、軍事関連が多くなかなか表に出てこないのです。

 ヨーロッパは本当に理論に基づいたものを作っていて、素材や作り方も研究しています」

――ヨーロッパが進んでいるとは意外ですね。やはり国際学会などに良く出ていないと分からないですか?

 「その通りです。学会で日本からも何か出すものありませんかと聞かれるのですが、恥ずかしくて出せないです。全然違います。

 同じアンテナを1枚作るのでも、ヨーロッパだったら軽くて精度が良い材料を作って実際に飛ばしています。日本はまだまだです。

 人工衛星は信頼性がすごく大事です。日本ではそのために部品レベルで良いものを集めて全体で良いものを作りましょうというレベルがずっと続いています。

 ところがヨーロッパでは本当にぺらぺらで軽いものを全部一体化して作ってしまうことが進んでいる。複雑なジャングルジムに見えるようなアンテナでも3次元CADで一体化して設計、性能も全部シミュレートしてしまう。

 企業や大学の機械屋さん、電気屋さん、材料屋さんが一体となって開発する。それを指導するのがESAなのです。日本ではこのような開発はあまり聞いたことがありません」
 
――宇宙関連での遅れはちょっと心配です。

電子情報通信工学科 坂本教授が手にするのは画期的なブラウン管、CRT

 「もともとはCRTが専門で、こんなものを作ったことがあります」

 インタビューの冒頭で工学部電気系、情報通信工学担当坂本教授が遠慮がちに見せてくれたのは、携帯端末を一回り大きくしたような厚さ約2センチの平たいガラス製の装置だった。

 CRTはcathode ray tubeの略で要するにブラウン管のこと。ブラウン管は長い間TVやパソコンのディスプレイの王者として君臨してきたが、奥行きのある構造で場所をとることが嫌われて、液晶やプラズマにその座を奪われそうになっている。それがどうしてこんなに薄くなるのか?

 「CRTの電子の源は点ですが、これは線になっているのです」
 
 電子の源が"線"になっている?!

 そのようなCRT、聞いたこともなかったが、現に目の前のここにある。

 "線"源から出た電子は上下の偏向電極で集束、制御され蛍光体を付けた陽極で画像を結ぶ仕組み。非常に面白い独創的な設計で、聞いているだけでわくわくしてきた。

 ――しかし、これで画像が映るのですか?

 「当時、研究を手伝っていた学生も、先生これで映るわけないですよと言っていたのですが、実際に画がでるとオーッと驚いていました」

 坂本教授が1984年に発表した「HAVD形 CRT」(horizontal address vertical deflection flat CRT)と呼ばれるもので、縦約3cm、横5cmのディスプレイにTVの白黒画像が再生できた。今回は残念ながら、実際の映像は見ることができなかったが、当時の写真を見ると鮮明な映像が映っている。もちろん回路を準備すればいつでも再生可能という。

 「HAVD形 CRT」は構造も極めて簡単で学会や専門誌で注目された。ただ大型化とカラー化が難しかったため実用化にはいたらなかった。

 「当時、CRT研究の世界的権威がこれは良いと誉めてくれたのですが」と坂本教授は今でも残念そうだ。