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小泉成史 (こいずみ せいし)
早稲田大学理工修士。1974年読売新聞入社。1984年マサチューセッツ工科大学ヴァヌ―バー・ブッシュ・フェロー。米国歴史博物館客員研究員。2002-06年テレビ朝日コメンテーター。03年より金沢工業大学客員教授。著書「おススメ博物館」(文春新書)など。

応用バイオ学科 の最近のブログ記事

応用バイオ学科 河原 哲夫 教授 今でこそ、医療にとって工学との連携は当たり前のことだが、河原先生が大学院を出られた約40年前はまだ珍しかった。先生は工学部から医学部の助手になるという当時としては稀な道を先駆者として歩んでこられたという。

----先生は早稲田の応用物理のご出身です、元々は何の研究をされていたのですか?

「光関連の研究室にいたのです。4年の時はホログラフィーをやっていました。昔の卒業研究でホログラフィーを撮ろうとしたのですが、すでに色々な所で使われているので、ただ撮影するだけでは面白くないと思っていました。たまたま眼科の先生から眼底写真というのは暗箱の中を写すのと一緒だから結構難しいのですよという話をうかがったのです。そこで、眼底写真、眼底のホログフィ--を撮影してやろうかと」
 
----ホログラフィーとは簡単に言えば立体写真のことですよね、すると、眼底が立体的に浮き上がって見えるのですか。

 「中の血管の交差状態とかもきれいに見えましたし、1枚の写真で目の奥の眼底と瞳の虹彩、20何ミリ離れていますが、全部写っています。きれいに撮れたと喜んだのですが、それはそれで終わってしまった。解像度は悪かったりして利用が進まなかった」

----それでも、目の研究を続けられた。

 「目のことを調べているうちに、目の機能のほうが面白くなって、それで修士から目の機能を計測したりしました。その頃はファィバーオプティクス、胃カメラなどの出始めでしたので恩師の先生もその方面に興味を持っていました。

 恩師ご自身は目の研究は行わなかったのですが、視覚は重要だということで、私の5年先輩で目を専門にしている人が助手として研究室にいたのです。早稲田は古い大学のせいか、あまり手取り足取りでああせい、こうせいとか言われない研究室でしたので、相談するけれども、実際はみんな自由にまかせてみたいな感じでした」

----それで、早稲田を出て東海大医学部に行かれます。これは珍しいケースですよね。

 「ええ、それは珍しかったですね。ちょうどドクターが終わる頃に、順天堂大学医学部の眼科に有名な先生がいらして、そこでいろいろな装置の計測をしていたのです。その先生に大学に残りたいと相談したところ、東海大学医学部の病院の眼科を紹介していただいたのです。医学部はできたばかりで、眼科の新しい教授もちょっと変わったことをしたかったかもしれないのです。僕自身も面白かったです」

応用物理から目の研究へ進まれた河原先生----東海大医学部で2年半勤め、次は工学部に行かれます。

 「ええ、光学工学科のほうへ異動します。眼科の先生にはここは臨床だから医学部出身でないと上に行けないので、早いうちにどこか探して出てっていいよと言われていました(笑)。ただ、2年くらいは、ここにいてねとも。

 たまたま同じ東海大工学部の光学工学科に早稲田の先輩がいて、ちょうど空いたからおまえ来ないかという話がでて。眼科の先生も同じ東海大なら用ができたら来てもらえるから、それは良いということになったのです」

----光学工学科というのも他の大学に比べてかなり早いですね。

 

応用バイオ学科 田森 佳秀 准教授

世をあげて英語ブームだが、いくら勉強しても普段使う機会がなければ上達は難しい。英語上達の近道は唯一つ、使う必要性に迫られることだ。田森先生の経験がそれを立証している。 

——「田森」さんというお名前は珍しいですね?

「私の出身は北海道なのですが、インターネットで調べたら先祖は秋田県の三種町から来たということが判りました。祖父の家の仏壇の裏から過去帳が出てきて、古い名前を検索してみたのです。その町は“田森”だらけなのです」

——普通のお名前なのに某タレントの出現で急に“有名”になってしまって。

「中学2年生の時です。お前、イグアナの真似してみろと急に級友に言われて。夜中のテレビは見てなかったので、何のことだがわけが判らなくて(笑)。それからは真面目な顔をしていても、からかわれて困りました」

——北海道から東北大工学部応用物理学科に進まれたのには、なにか理由があったのですか?

「入学試験に英語がなかったからです(笑)。私が受験した前後3、4年間だけ、理系の受験に英語がなかったのです。私は英語が全くできなくて10点とか20点とかそのくらい。高校では数学や物理が好きだったので、数学科か物理学科に行きたいなと思っていたら点数が足りなかったのです。それで工学部を受け、その中では応用物理が一番物理に近い内容だったのでそれを選んだ、というわけです」

——ではノーベル物理学賞の益川敏英先生には親近感を持たれますか。

「ものすごく。益川先生は僕にとってヒーローですね。彼は受賞講演を英語ではなく日本語でやりましたが、博士号を取得するためには、論文を英語で書かなくてはならないとか、やはり英語は必要になってくるので、それで嫌々やりました」

——今は英語が嫌いではないですよね?

「はい。いきなり就職した理化学研究所(理研)は日本にあるのですが公用語が英語なのです。外国人が多いので、事務の人も英語で話していて、ちょっとしたセミナーも英語でやらなくてはいけないのです。必要だからしょうがなくて。さらに米国に行くことになってますます英語をやらなくてはならなくて」

——東北大ではどんな研究を?

「統計力学という分野の物理をやっていた僕の先生の影響で、磁石の研究をしていました。

磁石の基になる原子は小さな磁石なのです。その原子が寄り集まって一つの大きな磁石になるのです。でも、よく考えると寄り集まるのは変なのです。というのは上がNで下がSになるように寄せるとNとNは反発するからひっくり返らなくてはなりません。でもひっくり返っていたらNとSが打ち消し合って磁石になりません。実際はかなりの数のNが上だから磁石になるのです。

裏の仕掛けみたいなものがあってなぜか全部揃うのです。その揃う仕掛けをちゃんと方程式をたてて、計算機で計算し、大きな全体として見た時に、どんな磁石になるか、どのような磁性体になるかを研究していました」

——理研ではすぐに国際フロンティア研究員になられて、かなりラッキーでした。

世をあげて英語ブームだが、いくら勉強しても普段使う機会がなければ上達は難しい。英語上達の近道は唯一つ、使う必要性に迫られることだ。田森先生の経験がそれを立証している。
——「田森」さんというお名前は珍しいですね?
「私の出身は北海道なのですが、インターネットで調べたら先祖は秋田県の三種町から来たということが判りました。祖父の家の仏壇の裏から過去帳が出てきて、古い名前を検索してみたのです。その町は“田森”だらけなのです」
——普通のお名前なのに某タレントの出現で急に“有名”になってしまって。
「中学2年生の時です。お前、イグアナの真似してみろと急に級友に言われて。夜中のテレビは見てなかったので、何のことだがわけが判らなくて(笑)。それからは真面目な顔をしていても、からかわれて困りました」
——北海道から東北大工学部応用物理学科に進まれたのには、なにか理由があったのですか?
「入学試験に英語がなかったからです(笑)。私が受験した前後3、4年間だけ、理系の受験に英語がなかったのです。私は英語が全くできなくて10点とか20点とかそのくらい。高校では数学や物理が好きだったので、数学科か物理学科に行きたいなと思っていたら点数が足りなかったのです。それで工学部を受け、その中では応用物理が一番物理に近い内容だったのでそれを選んだ、というわけです」
——ではノーベル物理学賞の益川敏英先生には親近感を持たれますか。
「ものすごく。益川先生は僕にとってヒーローですね。彼は受賞講演を英語ではなく日本語でやりましたが、博士号を取得するためには、論文を英語で書かなくてはならないとか、やはり英語は必要になってくるので、それで嫌々やりました」
——今は英語が嫌いではないですよね?
「はい。いきなり就職した理化学研究所(理研)は日本にあるのですが公用語が英語なのです。外国人が多いので、事務の人も英語で話していて、ちょっとしたセミナーも英語でやらなくてはいけないのです。必要だからしょうがなくて。さらに米国に行くことになってますます英語をやらなくてはならなくて」
——東北大ではどんな研究を?
「統計力学という分野の物理をやっていた僕の先生の影響で、磁石の研究をしていました。
磁石の基になる原子は小さな磁石なのです。その原子が寄り集まって一つの大きな磁石になるのです。でも、よく考えると寄り集まるのは変なのです。というのは上がNで下がSになるように寄せるとNとNは反発するからひっくり返らなくてはなりません。でもひっくり返っていたらNとSが打ち消し合って磁石になりません。実際はかなりの数のNが上だから磁石になるのです。
裏の仕掛けみたいなものがあってなぜか全部揃うのです。その揃う仕掛けをちゃんと方程式をたてて、計算機で計算し、大きな全体として見た時に、どんな磁石になるか、どのような磁性体になるかを研究していました」
——理研ではすぐに国際フロンティア研究員になられて、かなりラッキーでした。

応用バイオ学科 小田 忍 教授 アオカビから抽出した抗生物質のペニシリンを始めとして今まで人類はカビをうまく利用してきた。しかし、小田先生によると、カビはもっと広範囲に利用出来る可能性があるという。その背景をうかがった。

——今、何故カビなのですか?

 「カビは細菌や酵母より高等な微生物です。遺伝子や菌種の多様性が非常に大きいので、まだ見つかっていない有用なものがたくさんいます。発酵、酵素生産、微生物変換、さらには有害物質の分解除去まで利用できます。幅広い産業に利用することができるので、カビは最強のポテンシャルを持つ微生物であると考えています」

——研究室の紹介記事に「カビの培養は難しく、その利用は限られていた」と書いてありますが、素人考えではカビはモチなどにすぐ生えてくるので培養は簡単そうですが。

 「日常生活のカビと工業利用のカビはスケールが違います。普通の工業生産ですとタンク培養です。タンク培養というのは、水の中に培地成分とよばれる餌が入っています。それにカビを植えて攪拌しながら培養するのです。カビが増えてきて形が1~2mmのビーズ状にうまく揃えば良いのですが、そうならず塊になってしまう事があるのです。あるいは菌糸という目に見えない細胞が糸状に増え続けると培地自体がどろどろになって攪拌できなくなってしまうこともあります」

——なるほど工業レベルの規模での培養は難しいということですね。

 「はい。そうです。カビが増えないと困ります。しかし、うまくビーズ状に形が制御できれば良いのですがそれが難しいのです。実際、企業にいた時、私が直接かかわってはいないのですが、タンク培養でビーズ状にならず、どろどろになって莫大な損をしたことがあります。医薬関連だとコストが高いですから」

——そうした欠点を克服してカビを大量に培養するために新型のバイオリアクター(生物を利用して生化学反応を行う装置)を開発しているのですか。

 「まず液体培地という、栄養が水にとけている層があります。その中に中空微粒子という、非常に軽くて、あっという間に浮いてしまうポリマーの微粒子を入れます。これが浮くことで、培地の中のカビを全部引っかけて培地の上で増殖させるのです。放っておくと微粒子を取り込んだ非常に強いカビのマットができます。

 さらに、その上に有機溶媒をのせます。これがうちの売りでもあります。微生物は普通、有機溶媒があると死んでしまいます。毒性があるので。うちのシステムですとカビが元気な状態で、発酵生産もするし、バイオコンバージョン(微生物変換)もするのです。こうしたバイオリアクターを3種類、開発しています」

——どうしてカビが死なないのですか?

応用バイオ学科 尾関 健二 教授 日本を代表し象徴する鳥、国鳥はキジだ。国蝶はオオムラサキ。では「日本を代表する菌類、国菌は何か?」と聞かれて即答できる人はまだ少ないのではないか? 答えは麹菌。2006年に日本醸造学会大会で認定されたという。日本酒、みそ、醤油といった日本の醸造食文化になくてはならない菌なので当然と言えば当然である。尾関先生は大学院修了後、大手酒造メーカーの大関酒造に入社以来、この麹菌と関わってきた。

——どうして酒造メーカーに入いられたのですか?

 「私は出身が名古屋なので、知らない関西にもなじんでみたいと。たまたま早めに就職の募集がありましたので応募しました。大関は灘の蔵元で創立1711年ですから来年は300周年になります。景気が良かった280周年は全社員集めてハワイに行ったこともあります。
 
 日本酒の製造法は極めて複雑で、麹菌を入れて麹を作る工程と、それから作った麹と蒸し米とを一緒にして酒母(しゅぼ)という、こちらは酵母を純粋培養したようなものとを一緒に混ぜるようにします。米のでんぷんを麹菌の持っている酵素で溶かしているのです。

 要するに麹菌を生やして麹を作り、それから酵母でアルコール発酵する。でんぷんをブドウ糖まで酵素分解したものを、酵母が栄養として取り込んでアルコールと炭酸ガスをつくる。少しづつ並行しながら糖化と発酵をやって行くので、並行複発酵といわれる日本酒独特のものです。そこで麹が重要となるのです」

——酒造メーカーとしては良い麹菌を見つけるため研究するのですか?

 「麹菌はどちらかというと麹菌の業者から購入するのです。専門用語でいうと種もやしと呼び、業者はもやし屋さんといいます。日本酒用、みそ・醤油用、焼酎用という麹を育成して純粋培養した胞子を売っています。各メーカーは自分の会社でもやしをつくるところも中にはありますが基本的にはそういう種もやし屋さんから購入してきます」

——しかし、生物に任せるわけだと、毎年同じ味のお酒を作るというのは難しいでしょうね。

 「ええ、米によっても違います。今年の米は非常に溶ける米だったそうです。毎年、最初の造りというのが大体9月か10月。規模によって違いますが、今年の米がどういう性質なのか調べます。麹が作りやすいのかどうか、蒸すとどういう性質になるのか。お酒を仕込むときは普通の米もたくさん入れますので、その米がよく溶けるのかどうかというようなことです。杜氏さんは最初はかなり神経質になっています」

——そのような時に先生のような研究者がアドバイスするということですか?

 「そうやって現場にフィードバックするような新しいお酒の仕込み方とか、あるいは現場で使えるような酸の多いような酵母とか、ちょっと変わったタイプのお酒用にアルコール発酵能力が強い酵母とか、そういうのを少しづつ育種改良していくという技術はもちろんございます。

麹菌について説明する尾関教授 灘、伏見の大手の酒屋さんはある程度、そのような目的のために研究者を入れ出したのです。総合研究所という名前がついたのが大関が最初でした」

——先生はそこで研究の統括リーダーも務められ、産、官、学の麹菌ゲノムプロジェクトに大関代表として参画されたのですね。

 「はい、この麹菌ゲノムプロジエクトはヒトのゲノムプロジェクトと同様に、麹菌の全遺伝子情報を読もうというものです。醸造協会、産業技術総合研究所、製品評価技術基盤機構などが入り、2005年12月に解読に成功しました。ただ、その遺伝子がどんな役割をしているのか分かっていないのが、まだ3分の1とか半分くらいもあるのです。

 KITのこのゲノム生物工学研究所のことは私は知らなかったのですが、不思議なご縁で来ることになりました。今まで関わってきた麹菌のゲノム情報を利用してどのように産業利用に結びつけるかということを企業と連携して進めています。」

——具体的にはどんな研究開発が進められていますか?

応用バイオ学科 小木 美恵子 教授 小木(こぎ)先生は再生医療や遺伝子治療など生命科学分野、特に医療関係で幅広く活躍している。だが意外にも研究の原点は植物生態学だったという。しかも日本の第一人者、宮脇昭博士から学んだ。

――大学は横浜国立大学ですか?

 「はい、もともと生物が大好きで大学に行き、1年生の時から宮脇先生の下で生物学、主に植物の分類や生態をやっていました。

 大学院にも行きたかったのですが、そういうご時世ではなく、一旦、中学の教員になりました。でも、どうしても勉強したいと大学院に入り直し、それからずっと研究畑です。

 主に植物の分類、ユリ科とかキク科の遺伝学的分析です。直接,師事したのは館岡亜緒先生というイネ科の権威でした。先生は上野の国立科学博物館の研究者でもあったので、私も博物館で仕事をしていました。外国のあのイネと日本のこの種は同じものか、どのくらい違うのかを調べるのです」

 しかし、小木先生には大きな転機が訪れる。当時、始まったばかりの新技術事業団(当時)の創造科学技術推進事業の研究プロジェクトの一つから「ヒトの染色体とか遺伝子とかを自由に扱える人はいないか?」と声がかかったのだ。ヒトも植物も遺伝子になってしまえば同じだ。小木先生の分析能力が買われたのだ。

 このプロジェクト、一人の研究者をプロジェクト・リーダーにし自由に人を集め、流動的な組織を作って先端的な研究開発を進めるもので1984年から始まった。これまでノーベル賞受賞者の野依良治氏や青色発光ダイオードの中村修二氏など錚々たる人がリーダーを務めている。現在では科学技術振興機構(JST)によるERATO(エラトーと発音する)として引き継がれている。今までに77件のプロジェクトが終了、21件が進行中だ。

 小木先生が参加したのは「池田ゲノム動態プロジェクト」(1989-94)だ。池田穣衛氏(いけだ・じょうえ、当時・東海大学総合医学研究所教授)がプロジェクト・リーダーで遺伝性の病気の原因遺伝子を特定し、将来の医療に役立てようというもので日本初のヒトゲノム関連プロジェクトだった。

――当時、ゲノムという言葉自体もまだ馴染みがなかったのでは?

応用バイオ学科 袴田 佳宏准教授納豆は人類を救う!

 ウエッブで「納豆」を検索していたら「納豆学会」という「ハーフ・シリアス、ハーフ・ギャグ」と自称する"学会"のホーム・ページが出てきた。学術学会ではなく、かといって「トンでも」系でもない、新潟県の熱心な納豆ファンによる納豆私設応援団のようだ。この学会のキャッチフレーズが「納豆は人類を救う!」

 バイオ・化学部応用バイオ学科の袴田佳宏准教授の納豆菌の研究はうまく行けば、人類とまで行かなくても日本人を救うことになる。袴田准教授は納豆菌を大量に培養して飼料として利用することを目指しているからだ。

 今、世界的に家畜の飼料が高騰している。影響を受けてスーパーや食肉店の豚肉や牛肉が確実に値上がりしている。食肉を取った後の動物の体を粉砕してつくる肉骨粉などの動物性飼料はBSE問題などで使用量が減少している。一方、植物性肥料の元となる穀物はバイオ燃料としての需要が高まり、価格が高騰してしまっている。日本は飼料をほとんど輸入しているのでリスクを負ってしまっている。どこの国も自国優先だ。この先、天候不順などで日本がいくら金を出しても飼料が入手できなくなる可能性は高まるばかりだ。

 しかし、納豆菌を大量に培養できれば安全で安心な飼料を自国でまかなえることになる。

――なぜ納豆菌に目をつけられたのですか?

 「金沢工大に来る前、18年間、花王の研究所で洗剤に入れる酵素の開発をしていました。酵素は枯草菌(こそうきん)という細菌に作らせるのですが、この菌体が大量にとれるのですが使った後は廃棄されています。

 何かに利用できないかといつも思っていました。メーカーではそのような研究はできませんので、金沢工大に来て研究しようと考えたのです。納豆菌は枯草菌の仲間というか親戚みたいなものです。枯草菌の培養技術を生かして納豆菌を安く大量に取れれば肥料や家畜用の飼料になります」

――どうやって増やすのですか?

 「納豆は安全な食品で千年以上食べられています。市販納豆の1パック中に菌は数十億個もいます。栄養源は高価では意味ありません。今は近くの納豆メーカーから大豆の煮汁をもらってきています。

 大豆の煮汁はとろみがあって、ものすごい栄養価があります。この煮汁の中で大量に培養したあと乾燥して破砕します。問題はコストでより安く作るのが課題です。そのためにはより増殖しやすい変位株を見つけることが重要となります。」