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小泉成史 (こいずみ せいし)
早稲田大学理工修士。1974年読売新聞入社。1984年マサチューセッツ工科大学ヴァヌ―バー・ブッシュ・フェロー。米国歴史博物館客員研究員。2002-06年テレビ朝日コメンテーター。03年より金沢工業大学客員教授。著書「おススメ博物館」(文春新書)など。

2017年12月 アーカイブ

建築学科 竹内 申一 教授 なんとなく建築デザイン系の先生は高校生時代あたりから建築志望一筋といったイメージがあるが、竹内先生は「妥協に妥協を重ねた末」に建築を目指すことになったそうだ。また本気で建築の勉強をしようと思ったきっかけは米国である建築を見た時からだったという。

――先生はいつ頃から建築を目指されたのですか?

 「絵を描いたりするのが好きで、高校1年の頃に将来は美術大学に行きたいと。具体的には東京藝術大学です。でも高校は進学校でしたし親も教員で堅い家でしたので母親はかなり不安そうでした。

 最初は頑張って絵画か彫刻をやりたいと思って藝大向きの予備校に通い始めたのですが、行って分かったのは上には上があるということ。地元では絵は一番自分が上手いと思っていたのですが、本当に上手い人とはレベルが違うことが分かりました。高2の時に、これは純粋芸術で生きていくのは無理だと」

――自分で気づいて良かったですね(笑)。気づかずにそのまま進む人も多いのに。

 「姉も一浪して受験生だったので、行くなら現役で国立でなくてはならなかった。工業系のデザイナーにも興味があったので、予備校の先生に高2が終わった時に藝大のデザイン科だったら現役で受かりますかと聞いたら、まあ一浪かなと言われてしまいました。どこだったら現役で大丈夫ですかと聞いたら、建築だったら受かるんじゃないかと」

――今だと建築の方が難しそうですが。

 「その建築は二次試験で絵画の試験もあるのですが、物理や数学、英語など学科もあるんですよ。一応、進学校にはいたので勉強はそこそこできたので、じゃ建築受けようかなと(笑)。だから、高3の時は予備校で建築を目指して勉強するクラスに入りました。建築が好きでというよりは、とにかく現役で入れるところが建築科だったのです」

――珍しいケースです。

 「もうだから妥協に妥協を重ねて一応無事合格して入ったのです。大学に入った時点では大きな建築を作ってやろうという野心とかは全然なかった。その頃はバブルの頃でおしゃれなカフェやバーとかブティックなどインテリアデザインが雑誌などで紹介されていました。それで倉俣 史朗さんとか内田 繁さんなどの有名なインテリアデザイナーが活躍されていたので、ちょっと憧れていました」

――そのままだと、インテリアデザインに進まれていたかも。

 「建築をちゃんとやろうと思ったのは大学2年生の夏休みです。親戚が米国転勤でアトランタに住むことになり、遊びに来ないかと誘われました。初めての海外旅行で良い機会なので米国の現代建築を見て回りました。そこで幾つか素晴らしい建築に出会って、建築は良いな、面白いな、こんな可能性のある領域なのだということを初めて認識したのです。それで、きちんと真面目に勉強しようと」

――その時、一番感動した建築は?