福江先生はお隣、富山県の富山工業高等専門学校を振り出しに東京農工大学工学部、富山県立大学大学院、オランダのデルフト工科大学、国立の岩手大学理工学部と内外の大学で研究生活を続けられ、2018年からKITに赴任された。ユニークな経歴と研究生活のいきさつを2回にわたって紹介したい。
――先生は富山工業高等専門学校のご出身で、国立の東京農工大学工学部機械工学科に進まれました。珍しい選択と思いますが何か特別な理由があったのですか?
「実は鉄道好きが高じて機械工学を専攻しました。鉄道旅行が大好きなのです。さらに農工大はJR公益財団法人・鉄道総合技術研究所(鉄道総研)の近くにあるため、連携大学院を持っていたのです。そこを狙っていました。
農工大工学部は小金井市、鉄道総研は国分寺市で隣り合っているのです。学生時代は鉄道総研近くのアパートに住み大学まで自転車で通っていました。関東平野は平らと思っていましたがあの辺りは意外と起伏が多いので足腰が鍛えられました(笑)。」
――農工大も鉄道総研も現役時代、何度も取材に行きましたが連携大学院があるとは初めて聞きました。かなり本格的は鉄道ファンですね。学部時代はどんな研究を?
「共同研究なので詳しいことは言えないのですが、自動車用の冷却装置の効率化みたいなことを研究していました」
――機械と言っても純粋なメカニズムではないのですね。
「実は富山高専時代も熱の研究をしていました。材料の中の熱の伝わり方、熱伝導をやっていました。数値シミュレーションをするのですが、いかに計算コストを下げられるかということをやっていました。
パソコンレベルの計算機を使ってやるのです。例えば現象が激しくなる所だけに計算コストを割きましょうという方法、アダプティブ・メッシュ・リファインメント、AMRというのです。今ですと当たり前なのですが、当時は先駆けでした。
――高専時代から、それだけ専門化してしまうと大学に入ってから、一般教養などの単位を取るのは大変ではないですか?
「おかげさまで農工大は編入を受け入れるのに比較的積極的な大学の一つで単位互換をかなり認められたので正直、楽でした。
入ってからも一般教養でたまたま教育学を取ったのです。それから実は教育に興味を持ち出し始めました。その時の講師の方はご専門が小・中学校、初等教育の方でしてフリースクールの話を相当、議論したことが印象に残っています。
要は学びの多様性、いろいろな個性を伸ばす仕組みを初等教育の段階から作っていく必要があるということです。フリースクールとかボランティアとか仕組みは何でもいいですが。それまであまり考えたことがなかったので面白かったです」
――それで目指した鉄道総研との連携大学院は?
「行けませんでした。研究室のクジに負けたのです。本来であれば鉄道の車輪技術とかリニアモーターカーの制御とかをやりたかったのですが。初年度は縛りがあって編入生は各研究室に1人しか行けないという。それですっかりモチベーションをなくして3年生の時に留年してしまいました。
留年は人生初めてでしたし、単位を落としたのも初めてで結構ショックでした。その時お世話になった先生方といろいろ話をして、"失敗したところで人生最後の最後で笑えれば良いのだから、お前は気に病みすぎる"と言われて開き直ることができました」
――それでもう1度挑戦した?
「はい、気をとり直して。さすがに2回目やってダメだったら諦めようと。鉄道には縁が無かったと。それで第1志望は鉄道、第2志望は伝熱にしようと。高専時代に伝熱はやっていましたし、農工大には著名な先生もいらっしゃることも知っていました。ただ、その研究室は当時、学生の人気があまりなくて。理由は学生の指導が厳しいので有名だったのです(笑)。第2なら絶対入れると思いました。
それで、第1はクジを見事に外しまして、第2の伝熱に進むことになったのです」
「家庭の事情で戻った方が良いかなと思ったのですが、農工大で指導を受けた望月先生と、大学院の師匠の富山県立大学の石塚先生が、熱流体の国際会議を一緒に主催しているなど以前から共同研究しているかたちで、望月先生からも教えてもらいました。
石塚先生からは"お前は所属が変わり過ぎて何が専門か分らないからドクターに残って1本柱を作れ"と言われました。それで博士前期・後期の計5年間いました。略歴的には富山県立大学大学院工学研究科機械システム工学専攻博士後期課程修了となります」
デルフト工科大へ
――そこから急にオランダのデルフトに行かれる?
「たまたまなのですが富山県立大学とデルフト工科大学との間でいわゆる連携協定を結ぼうということになっていたらしいのです。その時、私はちょうど日本学術振興会の特別研究員となっていたのでポスドクとしてデルフトに行ってくれという話になったのです。
デルフト工科大学は日本ではあまり知られていませんが、ノーベル賞受賞者を3人も出しているヨーロッパで有数の工科大学です」
――随分と恵まれていますね。運が良いというか。デルフトはどこにあるのですか?
「オランダの首都ハーグと大都市ロッテルダムとのちょうど真ん中にあります。"真珠の耳飾りの少女"で有名な画家のフェルメールが生まれてから死ぬまで過ごした街です。
フェルメールの生家は博物館になっていて、じっくり見てきました。
デルフトの街は本当に田舎なのですが、デルフト工科大があるので学生街にもなっていて、いわゆる日常生活は全然苦労しないで済みました。オランダの雰囲気を満喫できる良い街です」
――それは羨ましいですね。何年いらしたのですか?
「結局、半年です。短くてもったいなかったですね」
――デルフトでは何語を使われたのですか?
「オランダはデルフトもハーグもアムステルダムもそうなのですが、ほとんど英語で済んでしまうのです。基本的にオランダ人はバイリンガルなので。その点ありがたかったです。
ただ1つだけショックだったのはマクドナルドでビッグマックを買おうとした時に私の"ビッグマック"が通じないのです。店員さんに"I can't understand your English"と言われてしまいました笑。
*続く*