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小泉成史 (こいずみ せいし)
早稲田大学理工修士。1974年読売新聞入社。1984年マサチューセッツ工科大学ヴァヌ―バー・ブッシュ・フェロー。米国歴史博物館客員研究員。2002-06年テレビ朝日コメンテーター。03年より金沢工業大学客員教授。著書「おススメ博物館」(文春新書)など。

2010年03月 アーカイブ

建築学科 浦 憲親(うら・のりちか)教授 衣食住、生活全般で自然素材が見直されている。住では「無垢の木」、「漆喰(しっくい)」などがひそかなブームになっているという。この漆喰は消石灰を主原料にした仕上げ材でその下にあるのは土壁だ。浦教授はブームになる以前から土壁の研究に取り組んでいる。

――最初は何を研究されていたのですか?

 「もともとは強いコンクリートを作ろうとしていたのです。普通のコンクリート強度が3-400kg/cm2のところを、3000kg/cm2近くを出そうとしていたのです。材料の練り混ぜとか配合を工夫して、われわれがやったのは2800kg/cm2ぐらい出したのです。

 ものすごく強いので皆で喜んでいたのだけれども、逆にものすごく脆いのです。特にある幅以上の温度差に弱くて割れることがわかった。それからずっと、壁土なのです。やはりすごい強度を売っていたのに、何かちょっとしたことでスパッと割れるということに対してむなしさと言うか、諸行無常を感じてしまったのです」

――それで土壁に?

 「金沢は伝統建築が多いものですから、伝統技術をずっと継承していったら良いのではということで、研究費をいただいて調査を始めました。最初にやったのが左官屋さんです。ちょうど1992-3年です。

 左官屋さんにKITに来てもらって、壁に塗る前の材料の柔らかさを調べるのです。底のない茶筒のような金属の筒に材料をいれて、筒だけを引き上げると中の材料が崩れて円形に広がります。柔らかければ柔らかいほど広く広がるのでその直径を計ります。

 その時、一番感動したのは、土と水の配分を何通りも変え、練り方の回数を変えても、左官屋さんが"そこで良い"という、柔らかさの程度があるのです。

 そこで材料の柔らかさを測ると、材料の広がりは必ず13.5cm。ミリで言うと135mmプラスマイナス10でほとんど収まるのです。

左官屋さんの勘は驚くべきものと浦教授 それを左官屋さんは目で見るだけ目視で判断できるのです。伝統技術の経験とか勘というのは凄いと思いました。これをきっかけに土壁に興味を持つようになりました」

――土壁の土は陶器の土のように特別なものを使うのですか?

経営情報学科 鈴木 康允(すずき やすみつ)教授 鈴木教授はKITに迎えられる前、長年にわたってトヨタ自動車で環境研究や幅広い視点にたった環境対策に携わってきた。現在、リコール問題等で苦境に立たされている感があるトヨタだが、鈴木教授からうかがった同社の表には出てこない周到な気配りと長期的な戦略がある限り、この苦境も遅かれ早かれ乗り越えていくのではないかという気がする。

――大学で地球化学を学ばれて自動車会社というのも珍しいのでは。

 「配属されたのは、材料技術部というところです。材料を研究するのかと思っていたら分析をやるところに配属されました。製品環境ということで材料の分析はせずに環境の分析、自動車の排ガスだったり大気環境の分析をやりました。その他、車外騒音や新しい燃料、フロン対策などが全て、製品の環境分野の中に入ってくるのです。その開発推進みたいなことです。

 早く言えば、規制がどういう動きになるか、それを予測して開発をどのくらいの速度でやらなければならないのか。開発をうまく進めるためには、どういう体制というか、人や組織が必要かとか。そういうことをちゃんと準備して企画・推進する部署でした」

――すいぶんと先を見て対処していく会社ですね。

 「結局、公害が騒がれ始めた頃は、どちらかというと企業は国や自治体から"対策をやらされた感"が強いのです。

 工業地帯では町を歩くと、ワイシャツが汚染された空気で真っ黒になると言われました。私たち一般市民は被害者ですけど、大気をもっときれいにしなければいけないということで、規制がどんどん強化され企業はそれに対応したわけです。おかげで今はどこも空気がきれいになりました。この時期は企業はやらされ感が強かったのです。

 ところが、ある時からトヨタはがらっと変わったのです。環境のいろいろな規制来れば来るほど、これは全部ビジネスチャンスだという考えに変わったのです。

 そのような対策をしないともうやっていけないぞ。人、モノ、資金をそのために相当注ぎこんでいきました。そのような先を読んだ対応をしていった結果として、今日のトヨタがあるわけです」

――先生はトヨタで全般的な環境問題を扱っていたのですか?