小泉成史 (こいずみ せいし)
早稲田大学理工修士。1974年読売新聞入社。1984年マサチューセッツ工科大学ヴァヌ―バー・ブッシュ・フェロー。米国歴史博物館客員研究員。2002-06年テレビ朝日コメンテーター。03年より金沢工業大学客員教授。著書「おススメ博物館」(文春新書)など。

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建築学科 永野 紳一郎 教授 2011年3月11日に起きた東日本大震災は日本に未曾有の被害をもたらした。この被害から立ち直るためにも、防災科学の重要性はこれからますます高まる一方だろう。永野先生はKITの地域防災科学研究所で「火災」をキーワードに研究をすすめている。

――先生はもともと建築の「設備」が専門ですね。

 「はい。九州大学で修士をとり、1984年にフジタの技術研究所に入りました。その頃ちょうど、半導体製造の工場に使うクリーンルームの建設が非常に伸びていた時期でした。バブルの前で半導体もどんどん受注が入ってましたし。しかし、クリーンルームというのはまだ、あまりノウハウがあるようでなかったのです。

 フジタの技研には最初からクリーンルームをやるということで入りました。大学では設備関連で、ビル風など風分野をやっていました。今度は室内になるわけですが、当時はシミュレーションがなかったのです。パソコンは世にでたばかりでまだまだ非力でした」

――そうするとあちこちの半導体工場を見て回ってということですか。

 「そういうことではないです。研究所ですから、あくまで研究所が委託を受けてコンサルするという感じです。実務は設計部門がしっかりやっていますので。空調は吹き出しと吸い込みがあって、大体、設計手法は確立されてました。

 後は粉塵の濃度とかを予測して、ホコリがたまるかたまらないかというシミュレーションを、そういうことをやってました。私は入社して1年目は社内でそういう気流解析の技術を勉強しました。その後5年間、東大の生産技術研究所に国内留学というかたちで修業させていただいたのです」

――それは恵まれていますね。当時の生研というと今、国立新美術館があるとこですね。

 「はい、六本木です。生研ではもっと本格的なシミュレーションをしました。すでに日立製のスパコンをつかって。もっとも今からみれば貧弱ですが。

 シミュレーションといっても粉体一個一個の動きを追うのではなく、ガスとして扱います。空気の流れを解けば、それに煙が乗って流れるというのも同じロジックで解けるのです。そのまま解けば、重さは関係なく、とにかく煙の流れをちゃんと制御してやれば、それで微粒子制御になってきます。重いものは下に落ちますが、軽いものは煙と一緒にずっと舞います。だから、それをそのままちゃんと空気全体にその煙が残らないようにする“吹き出し”、“吸い込み”を設計してやれば良いのです」

――要するにクリーンルームのシミュレーションではホコリの溜まらない流れをつくるということですね。そうすると、一方に吹き出しをつくり反対側に吸い込みを作ればいつでもパーッと出て行きそうな気もしますが。

 「おっしゃる通りですが、そう簡単には行かないのです。一番シンプルなのは“層流型”と言い、部屋の天井全面が吹き出しで、一方、床全面を吸い込みにすれば、すっと通りますよね。だからどんなに汚そうと全部吸い込まれます。ただし、それは莫大なコストがかかります。普通の工場ではそこまでお金をかけられないのです。

 それで、吹き出しは天井ですが吸い込みは壁に付けるとかして、100%は無理だが90%とれるような気流設計にしようということになります」

 永野先生はその後、東大・生研からフジタに戻り、ドーム空間や大きな吹き抜けのアトリウム空間の気流を研究、00年よりKITに来られた。

――KITにいらっしゃってからはもっと広く、風一般を研究なさっているわけですか?

建築学科 宮下 智裕 准教授 アルミ二ウムを使った究極のエコハウスを創ったり、指導した院生がエコ建築コンペでグランプリを取るなど活躍が目覚ましい宮下先生。今、KITでも最も元気な先生の中の一人だ。

――どうして建築に進もうと思ったのですか?

 「いきなり難しい質問ですね。昔からものづくりが好きだったということがあります。空間自体を作ることが好きで、それをずっとやりたかったということでしょうか。

 例えば洋服とかは、比較的短くて終わってしまうでしょう。それに対して建築はかなり長く残る。身の回りの物のデザインをしていくのに、建築とか住宅というのはすごく身近で、しかも長く残るという意味で、素敵な仕事かなと」

――なるほど、でも最近は建築もすぐ壊されて長く残らないようになっていませんか?

 「そうです。実はその問題にも挑戦していて、RDA(Re-Design Apartment Project)というプロジェクトをやっています。これはどんなものかというと、KITの指定寮の多くが25年近くたっているのです。建てられてから古いものが多くて問題も出てきています。こうした木造のアパートを学生と一緒にリノベーション(改修)しようとしています。
 
 去年2棟、2部屋立ち上げて,新しく直しました。学生がどういうところに住みたいか、何を求めているかをきちっとリサーチし、単に新しいというだけではない価値というのを考えます。それを学生がデザインし、自ら家賃を払って住むというプロジェクトです。そうすると、町自体が、ある意味、学生が自分たちでデザインした町になっていって、一つの特徴にもなるのです。そして、これは環境でいうところの超寿命化で、立派な環境問題への対策にもなるのです」

――環境がご自身のデザインのキーワードですか?

 「建築の分野でいうと、構造の人は構造に特化していかないとなかなか専門性は得られない。けれども実際は構造だけあっても意味がない。材料は材料ですごく進んでいるけど材料だけあっても、ものは建たない。それぞれの分野の良さを引き出して一つの形にデザインしていくことが重要なのです。言ってしまうとプロデュースに近いのです。

 そして、その源は何かと考えた時に、今、おそらく一番の拠り所は環境だろうと。環境を考えないデザインというのは、これからはあり得ない。構造も設備も材料も、それを合わせたデザインも、環境という一つの大きなフィールドの中で、それぞれがどうあるべきかを考えて建築を創っていくというのが私の研究室のテーマなのです」

――その流れの中にアルミニウムのエコ住宅もあるわけですね。

 「昨年、金沢市に完成した住宅は私の研究室と建築家の山下保博さん、約20の企業が参加したプロジェクトです。国交省の省CO2推進モデル事業の第一回に採択していただきました。この家は私の自宅でもあり、全くの実験住宅なのです。
 
 アルミ造という、アルミで建っている建物は全国でもう10棟くらいあります。だからアルミで建てるだけでは意味がない。では何をやっているかというと、アルミの構造体自体は熱伝導率が良いので、これを冷暖房に使っています。壁と天井自体が暖かくなったり、冷たくなったりするのです。なのでこの家はエアコンが一切ない」

自宅でもあり実験住宅でもあるアルミハウス――暖房は熱水を通すのですか?

 建築学科 下川 雄一 准教授 建築・都市の分野でもデジタル化が進んでいる。この分野、以前はコンピュータで図面を書くCAD(computer aided design)ぐらいしかなかったがデジタル化はより広く、深く浸透している。その最前線にある技術の一つがBIM(building information modeling)だ。下川先生は目下、このBIMの研究に取り組んでいる。

――もともとはCADの研究をしていたのですか?

 「はい、学部4年、修士、ドクターとCADの開発をしていました。まだ、CADが出始めの頃でしたが、このソフトはいわゆる汎用で何にでも使えますよということで機械系の人も使ってました。線を引くとか基本立体を作るという単純なことしかできなくて不便で、それをもっと建築設計者が使いやすくできないかということをやっていたのです。

 僕は建築設計は専門ではなく、そういうツールの活用法とか、新しいツールを開発したり、それによって新しい建築を実現させるプロセスに関心があるのです」

――建築CAD学のようなものはまだないのですか?

 「建築学会の中に情報システム技術委員会というのがありますが、人数的にはそれほどではありません。

 これも難しくて構造計算のためのツール開発ですと、構造系の人がそこに半分、足を突っ込んだり、デザインをやっている人がそこに半分,入ってみたりしています。逆に情報システム技術部門でどっぷりやっている人というのは構造なのか計画なのかはっきりしないという部分もあるのです」

――先生が現在、研究中のBIMはCADとはどう違うのですか?

 「今、建築業界の中でもほぼ100%、CADを使ってますが、ほとんど2次元CADなのです。昔の設計図をコンピューターに入れただけの話で、ある意味まだアナログ的な世界なのです。その情報が劣化しないとか再利用が楽だという点では便利ですが。

 本来、3次元の立体である建築を3次元記述しないまま、平面図、立面図、断面図といろいろな見方の図面を書いているわけですが、ひょっとしたら矛盾が生じている可能性がわるわけです。事実,現場ではそれによって非効率な部分が結構でてきているわけです」

――BIMはそれを立体化するわけですか?

建築学科 浦 憲親(うら・のりちか)教授 衣食住、生活全般で自然素材が見直されている。住では「無垢の木」、「漆喰(しっくい)」などがひそかなブームになっているという。この漆喰は消石灰を主原料にした仕上げ材でその下にあるのは土壁だ。浦教授はブームになる以前から土壁の研究に取り組んでいる。

――最初は何を研究されていたのですか?

 「もともとは強いコンクリートを作ろうとしていたのです。普通のコンクリート強度が3-400kg/cm2のところを、3000kg/cm2近くを出そうとしていたのです。材料の練り混ぜとか配合を工夫して、われわれがやったのは2800kg/cm2ぐらい出したのです。

 ものすごく強いので皆で喜んでいたのだけれども、逆にものすごく脆いのです。特にある幅以上の温度差に弱くて割れることがわかった。それからずっと、壁土なのです。やはりすごい強度を売っていたのに、何かちょっとしたことでスパッと割れるということに対してむなしさと言うか、諸行無常を感じてしまったのです」

――それで土壁に?

 「金沢は伝統建築が多いものですから、伝統技術をずっと継承していったら良いのではということで、研究費をいただいて調査を始めました。最初にやったのが左官屋さんです。ちょうど1992-3年です。

 左官屋さんにKITに来てもらって、壁に塗る前の材料の柔らかさを調べるのです。底のない茶筒のような金属の筒に材料をいれて、筒だけを引き上げると中の材料が崩れて円形に広がります。柔らかければ柔らかいほど広く広がるのでその直径を計ります。

 その時、一番感動したのは、土と水の配分を何通りも変え、練り方の回数を変えても、左官屋さんが"そこで良い"という、柔らかさの程度があるのです。

 そこで材料の柔らかさを測ると、材料の広がりは必ず13.5cm。ミリで言うと135mmプラスマイナス10でほとんど収まるのです。

左官屋さんの勘は驚くべきものと浦教授 それを左官屋さんは目で見るだけ目視で判断できるのです。伝統技術の経験とか勘というのは凄いと思いました。これをきっかけに土壁に興味を持つようになりました」

――土壁の土は陶器の土のように特別なものを使うのですか?

建築学科 後藤 正美 教授 来年、2010年は平城遷都1300年ということで奈良大和路ブームが始まっている。奈良にある法隆寺・金堂は世界最古の木造建築であることが示すように、木造建築は日本文化の中心といっても良い。

 一方、鉄やコンクリートによる住宅が増えたとはいえ、現代でもまだまだ身の回りの住宅建築は圧倒的に木造が多い。長い間圧倒的な木造建築群に囲まれながらその耐震性などの科学的研究は驚くほど少なかったという。後藤先生は構造力学の立場から長年、木造建築の研究に携わってきた。

――木造の構造の専門家は少なかったのですか?

 「私が大学院時代の24-25年前は建築基準法の木造関係は農学部関連の先生が主になって作っていたくらいです。なぜかというと農学部には林業があり、木材を多量に使うのは建築ということでした。

 木造の論文を調べると、戦前の1940年ぐらいまではあるのです。そこから67-68年まで、もう木造に関する論文はないのです。材料として木材の論文はあるかもしれませんけど、建築としてのメジャーな論文は投稿されてなかった。

 だから、学問としての建築の世界は戦後、もうコンクリートと鉄の世界で、木造の住宅は大工さんにお任せというような状況だったのです。それが所得倍増や持ち家政策とかで国家プロジェクトが動き出して少し予算がつき始めました。」

――ところが状況がガラッと変わった。

 「きっかけは95年の阪神大震災です。大震災の次の年、極端に言うと外部委託による木造関連の研究費が100倍近くになりました。でもやっぱり林野庁がらみであって、建設担当の国土交通省ではないのですよ(笑)。私もいろいろな委員会に呼ばれたり、耐震実験できるところがないので、KITにやってくれないかというお呼びがかかったりしました。

 もちろん、神戸へ現地調査にも行きました。震災1週間後ですけど建築学会の調査員として入りました。泊まるところがないので、お寺のお堂を借りてしょっちゅうお葬式をしているところの隣で寝袋を持っていって寝ました。ただ、そのお寺は井戸水だったので、断水せずに助かりましたが。」

 阪神・淡路大震災は1995年1月17日、兵庫県南部地震(マグニチュード7.3)によりひき起こされた大災害。死者約6400人のうち約5000人が木造住宅の下敷きで亡くなった。筆者も直後に取材に行き、多くの木造住宅が倒壊しているのを目の当たりにして衝撃を受けた記憶がある。日本に最も多い木造建築の耐震性がきちんと研究されていなかったのだ。

――その流れで伝統建築の耐震性も手がけだしたわけですね?

  建築学科 西村 督 准教授 建築の構造形式の一つにトラス(truss)とよばれるものがある。細くて短い金属や木の部材で三角形を基本として組み合わせていく形式だ。良く知られているように多角形の中で一番単純な三角形が一番力学的に安定している。トラスは一般の住宅やオフィスに使われることはあまりないが、軽くて丈夫なため店舗や展示場など広い空間を覆う必要がある時には屋根の構造として良く使われる。変わったところでは今年、若田さんらが乗り込む予定の国際宇宙ステーションも基本構造はトラスだ。

 西村准教授は大学卒業後、太陽工業株式会社に入社した。同社はこのトラスと空気膜構造を得意とする会社だ。有名なところでは東京ドームの屋根を担当したことで知られ、NHKの「プロジェクトX」でも紹介された。同社はその前1970年の大阪万博でアメリカ館の空気膜構造を手がけ、一躍注目されていた。

 西村准教授は同社にいる10年近くの間に全国津々浦々の現場で100個所以上のトラス建築を設計してきた。金沢では泉が丘のトヨタカローラ営業所だ。夜になるときれいに見える建築だという。

――トラス建築を実際に建てる時に難しいのは?

 「部材はコンピュータのデータを工場に送って、ミリ・オーダーの精度で作られます。
鉄も伸び縮みをしますので、建てる時がどの時期か夏の一番暑い時か、冬の寒い時とかを考えて、どれだけの温度を与えておかないといけないかを考慮しなければなりません」

――設計以外ではどんなお仕事を?

 「会社時代の最後のほうですが、ちょうど2000年に建築基準法が大きく変わりました。そのためにどんな準備をしなければならないかという対策ですね。もうコンピュータで設計して次から次へと仕事をこなさないといけない状況でしたので、そのため早く設計できるツールを開発したりしていました」

 西村准教授の現在の研究テーマは「構造物の安定限界の解明と合理的な構造形態を生成するデザインツールの提案」だ。平たく言えば建物が壊れるぎりぎりの条件はどんなものかを解明し、簡単に合理的な構造を設計できるコンピュータのツールを作ることだ。

 こうした研究に携わるきっかけになったのはある実験だ。1990年に大阪でおこなわれた世界花博で太陽工業が施工したドーム型のパビリオンを博覧会終了後に壊すことになった。しかし、ただ壊すのはもったいないというので実物実験をすることになった。