2013.07

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

小泉成史 (こいずみ せいし)
早稲田大学理工修士。1974年読売新聞入社。1984年マサチューセッツ工科大学ヴァヌ―バー・ブッシュ・フェロー。米国歴史博物館客員研究員。2002-06年テレビ朝日コメンテーター。03年より金沢工業大学客員教授。著書「おススメ博物館」(文春新書)など。

電気電子工学科 の最近のブログ記事

電気電子工学科 山口 敦史 教授 山口先生はKITの「教員録」の「横顔」欄に「民間会社の中間管理職で苦しかった時に人生についていろいろ考えました。そのとき、何か人の役に立つことをして“ありがとう”と言われるのが、人生で最も素晴らしいことだと悟りました。大学での教育・研究を通じてそれができれば幸せです」と書かれている。何があったのか?その背景をうかがった。

——先生は最初に素粒子物理の研究を志されたそうですが。

 「高校の頃から科学系の本を読んでいると、モノは何でできているのかとか、いろいろと基本的なことを知りたくなったのです。究極的には素粒子へ行くのかと漠然と思っていました。さらに関連した本を読んでいると、数式などが出て来てますます面白そうで、すごいなと思ったのです。

 湯川秀樹博士のノーベル賞にあこがれたわけではないですが、パイ中間子の話などを読むと、そういう研究をしたいなと思うようになりました」

——それで日本で最難関の東京大学理科一類に入られ、さらに内部でも最難関の物理学科に進まれました。でも素粒子から固体物理に研究の対象を変えられたのは何故ですか?

 「素粒子は本当に勉強しようと思うと、数学のめちゃくちゃ難しいものに遭遇するのです。もうイメージできないのです。連続群論とか、そういうものがでてくるのですが、二次元とか三次元とかで頭で想像できるうちはいいのですが、もうちょっと、どうにもこうにも。あれで挫折しましたね。

 でも、私のように素粒子研究を目指している人はたくさんいて、ドクターまで行っても助手になれないとう人が続出してくるのです。いわゆるオーバードクター問題というやつです。けれども本当に頭の良い人はドクターまで行かず、マスターで中退して助手として迎え入れられたりするのです」

「本当に頭の良い人に会って挫折したことも」と山口教授——やはり固体物理あたりだと少しイメージが湧くから分かり易いですか?

 「そうですね。固体物理は固体物理でシンプルではありません。素粒子はシンプルにシンプルにといこうとするけれども、固体物理は原子が10の23乗個とか集まっている世界なので、逆にそれをどのように分かり易いイメージにするのかということです。それには絶対に近似を使わないといけないのです。それを理解するのが難しいところだと思いますけれども、何とかなりましたね」

——先生はその後、大学を出られていきなりERATO(えらとー)に入ります。ERATOは科学技術振興機構が実施する大型プロジェクトで、機関・分野を超えた幅広い人材を揃える「人」中心のシステムですね。

 「就職活動をしたのですが、行きたいところが見つからなくて。それで東大の工学部にいらした榊(さかき)裕之先生がご自身のERATOプロジェクトに引き取ってくれたのです。ノーベル物理学賞の江崎玲於奈さんの弟子にあたる方です。

 “量子波プロジェクト”という名前で、ちょうどそのころ80年代、MBE(Molecular Beam Epitaxy , 分子線エピタキシー法)という結晶成長する層を1原子層ずつ積み重ねて、新たな機能をもつ素材を創ろうという技術が発展していました。電子が波のようにふるまう波動性という量子力学的な現象を利用しようというのです。

 固体物理としては最先端の研究だったので楽しかったです。」

——ERATOの後はNECに移られます。

電気電子工学科 井田 次郎 教授 井田先生は自ら「日本がシリコン半導体の黄金期であった90年代、企業にて、それ行けどんどんの研究開発と実用化を担当してきました」という。興味深い話がうかがえそうだ。

——東大で物理を学ばれたきっかけは何ですか?

 「とにかく量子力学というものに関心がありました。学生の頃、そもそも自然の認識の仕方において量子力学が出てきたところで考え直さなければならないという議論がでてきました。要するに量子力学ではすべてを波だというわけで、物質や粒子でも波だというわけですから。それは一体どういうことなのか。学生時代は確かに若かったので、こうした問題に結構、興味がありました。

 それで、量子力学が一番分かり易く目に見える形で出てくるレーザーに興味を持ったのです。学部、修士ともにレーザー系の研究室にいて、隣の研究室から光を運んで実験するなどというのをやっていました」

——就職もその関係で選ばれたのですか?

 「社会に出るにあたっては、どちらかというと半導体レーザーみたいなもので、インパクトがあるものは何かと考えました。当時はそれがガリウムヒ素という素材だったのです。その大手メーカーが住友電工でした。ガリヒ素をやりたくて住友電工に入ったのですが、シリコンに配属されました(笑)。

 その当時、1980年代ごろですが、鉄鋼メーカーなど、いろいろな業界がLSIに参入しようとしていたのです。住友電工は電線メーカーからシリコン、LSIに参入しようとしたのです。ちょうど、アメリカで技術を学んできた先輩が2人いらっしゃって、私はそこに配属になりました。要するに住友電工としてのシリコン立ち上げに居合わせたのです」

——その頃、作っていたLSIはどんな用途に使われていたのですか?

 「もう忘れてしまいましたけど、それは通信用に1種類だけ製品になっていたみたいな感じですね。その当時、大手電機メーカーはほとんどLSIをやっていて、住友電工はまさに2~3人の世界なのです」

——最初にご苦労された製品なのに忘れてしまうのですか?

 「私は製品というよりも製造のプロセス側ですから、実際の設計とかはみてないのです。どうやって作るかということなのです」

——なるほど。それこそステッパー(半導体製造装置)にどうやって入れていくということですね。

 「そうです。それが肝で転職したと言っても良い。ステッパーを導入しないと、次の話にならないと言う時に、住友電工は全部予算がガリヒ素に行ってしまうことになった。せっかくシリコンをやりかけたのだから、もっとシリコンをやりたいと思ったのです。

 シリコンをやっている大手メーカーを検討したら、大不況の時だったので、大きいところで採用してくれるのは沖と松下電器だけだったのです。ちょうど結婚したばかりだったので、どうせならカミさんの側に戻るかということで、沖に決め、関西から東京に戻ってきました」

——先生は沖電気では超LSI研究センター、プロセス技術センターを経て事業企画部門担当部長などの要職を経験されています。

電気電子工学科 小原 健司(おはら たけし)教授 2011年は超電導現象がオランダで発見されてちょうど100年になる。超電導とはある種の物質を液体ヘリウム温度(マイナス269度=絶対温度4.2K)まで冷やすと電気抵抗がゼロになるという現象。電気抵抗がゼロになれば、例えば送電ロスはなくなり省エネは革命的に進む。また1986年にはマイナス243度(絶対温度30K)以上でも超電導が起きる高温超電導物質の発見が世界中でブームとなったこともある。現在までの最高温度はマイナス109度(絶対温度164K)である。小原先生は研究者としてのスタート時点から一貫して超電導と取り組んでこられた。

——最初は超電導の何を研究されたのですか?

 「最初は超電導線の安定性、不安定性というものです。超電導線はその頃不安定だったのです。すぐに超電導ではなくなって常電導になってしまう。超電導マグネットが瞬間的に超電導でなくなると、どうなるかというと爆発のようになるのです。大きな魔法瓶のようなものに液体ヘリウムが入っていて、そこにマグネットがあるのです。電流で磁場を作っている。そのときに何かあった途端に常電導になったら、抵抗が一気に出て、熱がばっと出るのです。

 そうすると周りの液体ヘリウムが熱でばっと気化してしまいます。そうなると広い実験室も一瞬にして真っ白になってしまう。山の中に霧が立ちこめて何も見えなくなってしまうのと同じ感覚です。大規模なものを、1回だけ経験したことがあります。

 実験も含めて3年ぐらい、超電導線の安定性について研究し、論文を電気学会誌に投稿しました。」

——それがスタートですね。その後の応用は?

 「いろいろなことをやりましたが、77年以来ずっとやっているのは磁気分離です。磁気力を使って、汚れた水や空気をきれいにしようという。普通の状態では磁石に吸い付けられるのは鉄などの磁性金属だけですが、磁場の中ではすべての物質は磁性を持つのです。それを強い磁力で捕まえるのが磁気分離です。この利点は濃度の薄いものを大量に高速に分離できることです。

 今、実は一生懸命やろうとしているのは話題になっている除染関連です。福島原発から出た放射性物質が地上にあり、それを水で洗い流す除染作業が問題になっています。水にとけ込んだ希薄でしかも細かい放射性物質を磁気分離ならば確実にとれるのではと考えています。以前のつくばの研究仲間や大阪大、熊本大の先生達とアイデアを出し合っています。」

——福島の除染は社会問題になっているので是非実現させて欲しいです。

 「この磁気分離による汚染除去は95年ごろから結構脚光を浴びて、国のプロジェクトでいろいろやったのです。一番大きかったのは科学技術庁で、その後NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)だとか。私は04年にKITに移籍する前に、原子力予算や、その前は科技庁の超電導マルチコアプロジェクトで環境ホルモンを浄化したり、地熱水の中のヒ素を取り除くなどの研究をしていました。」

「磁気分離は除染に有効」と小原教授——磁気分離は他の方法に比べ何が利点なのですか?

電気電子工学科 平間 淳司(ひらま じゅんじ)教授 電気電子工学科、平間先生の全研究テーマの3分の2は「生き物」系だという。しかも生き物といってもキノコとか植物そして昆虫系だ。ユニークな研究にいたった背景をうかがった。

——最初は電気がご専門ですよね

 「私はもともと小さい頃からものづくり派で、電子部品を使ってものを作ったりしていて、電子工作や電子回路にすごく興味があったのです。小学校5年生ぐらいから真空管でラジオを作ったり。中1の時にはアマチュア無線の資格を取ったので無線機を自分で作りましたね。もちろん送信機も受信機も真空管です。

 電子回路が好きで高校も電気ですし、兄がKITの土木に行っていて、電子工学科もあるというので、親に僕も行きたいと頼んで」

手製の真空管アンプを見せる平間教授——それが、どうして生体の研究に向かわれたのですか?

 「大学出て就職したりしているのですが、基本的にはKITにずっといるのです。ただ学位を取ったのは人間に係るテーマでした。

 ノドが病気になると、声がしわがれ声のような病的な声になってしまう。そういう時に、音を調べて診断技術に使おうというのが、自分の学位論文でした。

 もう少し詳しく言うと、喉頭がんとかポリープになると声がおかしくなるのです。その声を音響分析して、特徴を抽出します。こんどはその特徴から逆に音声合成で病気の人の声を作ったのです。

 それで次はお医者さんを相手にさせていただきました。臨床の現場では患者さんの声を聞いて、この患者はしわがれ声、空気が抜ける声とカルテに書くのだそうです。そのトレーニングをするために病気の声の合成装置を作ってあげたのです。

 それを熟練したお医者さんに聞いてもらって“これは確かに病気の声が出てる”などと評価してもらったのです」

——なるほど、すでに電気、電子だけの研究ではないです。でも、どうしてその学位論文をやることになったのですか?

 「もうお亡くなりになった先生ですが、医学系の先生がちょうどここの電子工学科に入ってこられたのです。その先生の下で研究をさせていただいたので、音声関連に興味が出てきたのです。その時に、自分で装置を作ったりいろいろしますので、電子回路などの技術が役立っているなという感じで研究ができたのです」

——それで生き物系の研究にも目覚めた?

 「学位を取ったとき、ちょうど他の方から“植物関係とか害虫防除とかで面白いことをやってみないか”と声をかけられたのです。

 医学系は大切なテーマですけど、単独でやるのはきついかなと。相手がお医者さんなので実験がやりにくいのです。それならと思い切ってテーマを変えてその話に乗らせてもらおうと。それから15年近くたつのですが、ずっと生き物系です」

——それは農業関連の方のですか?

電気電子工学科 花岡 良一 教授 電気流体力学というあまり聞き慣れない分野がある。液体や気体に電界や磁界をかけると液体や気体が流動するという現象を研究する学問だ。上手く利用できれば新たな原理のポンプやモーターにつながるため、あちこちで開発競争が行われている。しかし電気磁気学と流体力学の両方にまたがるため研究は難しい。花岡先生はこの困難な開発に挑戦してきた。

——先生はKITから金沢大で修士をとり、またKITに戻られたのですか?

 「はい、そうです。もともとはここで助手として電気機器の研究をしていたのですが、後に学長になられた京藤先生が“ぜひ電力をやってほしい。うちの大学ではどうしても電力が必要なのだ。電力のない大学は外科がない医学部のようなものだ”と説得されたのです。当時、KITには大学院がなかったので金沢大の電力の講座に行きました。

 行った当時は、いろいろと気体の放電とかその解析とかやっていたのですが、その中で
液体中の放電というのを誰もやる人がいない。難しくて分からないから。私はそれなら挑戦しようとそのテーマを選んだのです」

——空中の放電ならば雷の問題とか良く聞きますが、液体中の放電なんてあるのですか?

 「当時、極低温のケーブルを開発しようという動きがあったのです。そのときに液体窒素をつかうわけです。ところが、一番、ネックになるのがいわゆる高電圧をかけた時のクエンチという現象です。ちょっと熱がどこかに発生すると、それが重なっていって熱が大きくなって断線してしまうのです。その原因が放電なのです。
 
——液体窒素中に放電するのですか?

 「液体窒素の中で電極が放電を起こすのです。少しでも熱が加わると、そこでバブルができます。気体化して、そこで放電が起き、どんどん膨れ上がっていくという恐ろしい現象です」

——極低温ケーブルは実用化されたのですか?

 「一部、極低温ケーブルということで実用化されつつあります。まだ問題があって完全になっていません。超電導ではないのですが、低温なので抵抗がぐっと小さくなる。私はその開発をしていたわけではないのですが、基礎研究ということで、液体窒素の中の電気伝導とか、破壊のメカニズム、そういったものをやっていました。

 こうしたさまざまな放電を研究しているうちにEHD(Electrohydrodynamics)電気流体力学という現象を知ったのです」

——EHDを一番、最初に発見したのは誰なのですか?

 「かなり前で、歴史はずっと古いのです。1800年ぐらいから知られてました。電圧をかけると液体がわーっと動き出すのです。動き出す現象があるにもかかわらず、電気伝導の理論の中にはEHDは全然入っていなかったのです。要するに流体力学と電気がくっついたものですから、理論解析がものすごく難しいわけです。みんな嫌ったわけです。電気伝導がEHDにどう絡むかを実際に証明して解析したのは私が初めてなのです」

——EHDはどんな液体で起きるのですか?

 「どんな液体でも起きます。水でも起きます。メカニズムは液体によってかなり違うのですが、非常に絶縁性の高い液体ですと、不平等になっているような電界をかけると分極してプラス、マイナスに分かれたものが、強い電界がかかっている方に動き出すのです。

 私が対象にしているのは絶縁性が高い液体です。本当は電流が流れないはずの液体なのに電気が流れる、電気伝導が起きる、放電してしまう。その特性は何で決まるのか、70年代、80年代世界中で盛んに行われてきたのです」

——そんな基礎的なことが分かっていなかったのですか?

電気電子工学科 作道 訓之(さくどう のりゆき) 教授 1942年に設立されて以来、日本の企業研究所の代表的存在として知られる日立製作所の中央研究所。かって、そこの研究員だった作道教授の業績は研究所のサイトで「歴史」の「主たる出来事」の欄に「1979年 有磁場マイクロ波プラズマエッチングの開発」として堂々と掲載されている。( http://www.hitachi.co.jp/rd/crl/history.html

 他の歴史的出来事としては、毎年ノーベル賞候補として噂される有名な外村彰氏の「1982年 電子線ホログラフィー技術」などが並んでいることなどから、作道教授の研究の影響力の大きさ、日立が評価している度合いが類推できるだろう。

 では、その「有磁場マイクロ波プラズマエッチングの開発」とはどのような技術か?

 エッチングとは簡単に言えば半導体の加工技術である。まず半導体の基板に微細な回路が描かれたマスクをプリントする。いろいろな方法でマスクのある部分は残し、ない部分を腐食させて"削り"取っていくことで回路を作り上げていくのがエッチングだ。

 当然ながら半導体の集積度が増すに連れ、線幅が細くなり加工が難しくなっていく。作道教授が開発したのはマイクロ波で作ったプラズマ内に基板を置くというもの。プラズマとはイオンと電子が混ざり合った状態だ。この中で電位の差が生まれ、イオンが基板に引きつけられて垂直にぶつかって行くため、正確にマスクどおりのエッチングができるという。

――微細加工が可能になったわけは?

 「イオンという非常に小さなものを使っていることと、そのイオンの方向を非常に正確に揃えられるということです。化学的な溶液でエッチングするとマスクの脇に回り込んだりしてマスクと同じ形になりません。その前にもプラズマを使ったエッチングはあったのですが、イオンの進行方向が揃っていませんでした。揃うのは私のマイクロ波を使った技術で初めてできたのです。

 当時〈1970年代初め〉、半導体は回路幅1μm(μmは1mmの1000分の1)が壁といわれ、キチンと切るのが難しかったのです。これを使って初めて可能になりました。私は基本特許をとり、日立製作所は半導体製造分野でシェア1位となり儲けることができました」

――半導体レーザーの中村修二さんのように日立に「もっと分け前を寄こせ」とおっしゃらなかったのですか?

学生を指導する 電気電子工学科 宮田 俊弘 教授 透明導電膜という材料がある。世界中のメーカーが熾烈なトップ争いを繰り広げている液晶テレビのディスプレーや太陽電池になくてはならない材料だ。それ自体で製品として売られていないので重要な割には一般市民にはあまり知られていない。
 
 この膜、その名のとおり透明(光を通す)なのに電気も通すという面白い性質を持っている。電気を通す代表は金属だが、普通、金属は光を通さない。また透明なものもガラスのように電気を通さないのが普通。ところがある種の金属の酸化物は透明なのに電気を通すのだ。
 
 液晶は電圧を掛けられることで変化し光を通すので、電極が透明でないとディスプレーとして見えないわけだ。また太陽電池も光を通す電極があるからこそ電気を外に取り出せる。
 
 この透明導電膜、今までほとんど酸化インジウムが使われてきた。しかし、このインジウム、ほとんどが中国からの輸入に頼っている。宮田教授は同じく電気電子工学科所属の南内嗣教授と共にインジウムに替えて豊富な亜鉛を使うプロジェクトを推進中だ。経済産業省の希少金属代替材料開発プロジェクトに07年から採択されている。

――時代の潮流の研究ですね?

 「実はこの研究はKITの南内嗣先生が20年以上も前に始めていたのです。私は当時まだ学生でした。南先生は1984年に世界で最初に酸化亜鉛を使って、酸化インジウム並みの非常に高い導電性と光透過性を実現させ論文発表をしたのです。当時、酸化亜鉛で透明導電膜を開発している人は世界に極僅かでした」

――実用化が難しかったのでしょうか?

 「そんなことはありません。われわれは90年代前半には基本的な技術はすべてクリアしていました。何度も学会で発表し、新聞発表もしましたし特許も持っています。でもメーカーが使ってくれないのです。インジウムの技術が確立し、いくらでも輸入できましたから」

――あえて新しい技術を使う必要がなかったわけですね。

 「われわれも稀少金属の代替とはいわなかったのです。ただ、亜鉛はインジウムに比べて値段は百分の一、非常に安いですよと。インジウムは重金属ですけど亜鉛はおしろいに使われているくらい人体に優しい材料ですとか。もちろん埋蔵量も多いので資源的な問題もないと言ったのですが。当時は資源ナショナリズムもなかったので、やはり早すぎたのですね。ようやく時代が追いついてきたということです」

――インジウムは中国以外では産出しないのですか?