小泉成史 (こいずみ せいし)
早稲田大学理工修士。1974年読売新聞入社。1984年マサチューセッツ工科大学ヴァヌ―バー・ブッシュ・フェロー。米国歴史博物館客員研究員。2002-06年テレビ朝日コメンテーター。03年より金沢工業大学客員教授。著書「おススメ博物館」(文春新書)など。

ロボティクス学科 の最近のブログ記事

ロボティクス学科 佐藤 隆一 教授 KITには民間企業で製品開発をしてこられた先生や国の研究所で最先端の研究を進めていた先生が多くいらっしゃる。しかし、そのほとんどの先生は「民間」か「官庁」のどちらか一つの経験者だ。佐藤先生は「企業(石川島播磨重工業)」、「官庁(防衛庁)」の両方を経験するというユニークな経歴。「企業、官庁、そして大学と技術者が働ける3つの社会を経験できることを喜んでいます」という。

——佐藤先生はなぜ船舶工学をやろうと決めたのですか?

 「これは学生さんの就職ガイダンスの時にも自分の体験談として話すのですが、乗り物が好きだったのですよ。本当に小さい頃、家は名古屋市の東のほうで、当時、路面電車が走っていたのです。その車庫の前に庭石屋があり、そこに祖母に連れられて良く行き、石の上に座って日がな一日路面電車の出入りを飽きずに眺めていたのです。

 それが原点で、電車にかぎらず汽車や船、乗り物が好きだったのです。進学の時は好きなものをやろう、軸足は乗り物にしようと造船に進んだのです」

——でも、なぜ電車ではなくて船なのですか?

 「実は本当は蒸気機関車(SL)を作りたかったのです。50年ぐらい早く生まれていたら、そっちを目指していたと思います(笑)。子供の頃はまだSLが走っていまして、親類に国鉄の機関士がいて、近くの機関車庫に入れてもらったこともあります。

 しかし、SLの製造は終わってしまっていたので、結局、同じ乗り物ということで船を選んだのです。東大では船のプロペラを学びました」

——船のプロペラというと、潜水艦の探知かなにかですか?

 「いいえ、プロペラで起きるキャビテーションという小さな泡がつぶれる現象の研究です。これが起きると金属がぼろぼろになってしまう。泡がつぶれる時に周りに衝撃波が出るのです。それでどんどん叩かれて疲労破壊が起きる。金属が溶岩とか海綿みたいにスカスカになってしまうのです」

——どうやって防ぐのですか?

 「流体的にそういうキャビテーションができるだけ出ないような、それから、急につぶれないような設計をします、それがコンピューターでできるようになった」

——その研究の縁で石川島播磨重工業(IHI)に入社された。

 「ええ、横浜・磯子にあるIHIの研究所に入りました。入社してすぐにそのキャビテーションの試験をする水槽を作れと言われました。水槽本体はドイツから輸入したものでしたが、周りの配管とか電気の配線とかを先輩に教えてもらって」

——それは水槽の中で実際にプロペラを回して計測するのですね?

 「はい。どれだけのスラスト(推力)やトルク(回転力)を出しているかを測らなければならないのでモーターの先っちょに検力計を付けるのです。そういう仕掛けを動力計と呼びます。この水槽を作るのに約2年かかりました。この水槽は今でもIHIで動いています」

——IHIから防衛庁に移られたのは何か理由が?

ロボティクス学科 河合 宏之 准教授 河合先生は金沢大学電気情報工学科の出身。専門分野は制御工学だ。改めて「制御とは何か」と聞かれるとなかなか難しい。「ある目的に合うように、モノに必要な操作を加えること」などと答えるとかえってややこしくなってしまう。英語でいうと「control」(コントロール)となり分かりやすい。

−−なぜ制御工学をやろうと思ったのですか?

 「もともと僕は磁気浮上という、磁気でモノを浮かす研究をしたいと思っていたのですが、研究室の先生が代わってしまい。新しい先生は小さな二自由度のロボットを持ってこられて、それをやってみないかという話になったのです。二自由度というのは簡単に言えば自由に動く二つの関節を持っているということです」

−−なぜ磁気浮上に惹かれたのですか?

 「どうしてでしょうね? 僕らが高校生ぐらいの時はリニアモーターカーが結構、話題になっていた時期でして。モノを浮かせるというのはマジックみたいで不思議で面白いと思ってました。

 その頃、もう一つ超電導というのが流行っていて、抵抗の温度を絶対零度にしてやると、電流を流しても損失がなくて磁界だけ作れて磁気浮上に使え、リニアにも使えるということでした。それにも興味を持ち名古屋大学にその専門の先生がいるとのことで話を聞きに行ったのですが、原理的で基礎的な研究だとわかって諦めました。僕は超電導を使って何かを作りたかったのです」

−−磁気浮上とロボット制御というのは、かなり隔たりがありませんか?

 「確かにモノとしては違います。外から見るとおっしゃる通りなのですが、結局、中で使っている制御理論を突き詰めていくと、最後は数学になり同じ数式を使うことになるのです」

 河合先生は数式を見せてくれて詳しく説明してくれたのだが、このブログはできるだけ易しく書くことを目的としているのでここでは省略する。

 筆者なりに説明してみよう。制御工学の初歩ではよくシャワーの温度の調節の話がでてくる。シャワーを浴びてて熱いと思ったら手で冷水の蛇口を回し調節する。皮膚で感じた「熱い」という情報が脳にフィードバックされ、脳から「手に蛇口を回せ」という指令が送られて制御がうまく行く。

 これを自動で行うにはこの一連の動きをシミュレートした「モデル」を作る必要があり、これは結局、数学となり数式で表されることになる。こうしたモデルでは電気回路もモノの自然落下なども数式となり、さらにロボットの制御や磁気浮上とも繋がっていくのだという。

−−ロボットの動きも数式化できるのですか?

 「はい。学生も4年生になると、数式を見ただけでこれはロボットだと分かるようになるのです。もちろん1年の時はピンとこなくて何を言ってるんだという話になるのですが」

−−ロボット制御では特にどのような分野を研究しておられるのですか?

ロボティクス学科 南戸 秀仁(なんと ひでひと)教授 このブログでも紹介してきたようにKITには多くのロボット研究者がいる。南戸教授もその一人だ。しかし、先生の専門はロボットにつきものの機械工学や制御工学ではない。南戸教授の専門は何とセンサーなのだ。しかも匂いを感知するセンサーだという。南戸先生は焦げた匂いを感知して火災を防止するロボットをメーカーと共同で開発した。

――匂いを感知するセンサーの開発のきっかけは?

 「太陽電池などに使われる透明電導膜の研究をしていた時のことです。この膜はジンクオキサイドという酸化物で非常に透明で、しかも電気抵抗が低い。

 学生と一緒に、毎日スパッタリングという薄膜作成法で膜を作って、その電気抵抗を計るのですが、研究室に置いておいたら、電気抵抗がどんどん変化するのです。透明導電膜は当然ながら安定的に抵抗が低く保たれなければならないのですが、置いておくと抵抗が上がってしまうのです。

 それで学生と調べてみるとジンクオキサイドの表面でいろいろなガスが反応して、半導体の中から電子を取ったりすることで抵抗が変わるということが分かったのです。表面反応で抵抗が変わるなら逆にガスセンサーが作れるのではないかということで始めたのです」

――失敗と思われるような偶然の発見の特性を生かす、まさにセレンディピティの瞬間ですね。

 「そうですね。私はいろいろな分野をやってきたので、そういう面では気がつきやすい。透明電導膜を作る仕事としてはネガティブな結果なのです。当時、指導する学生も多かったので、次の年の4年生にテーマとしてガスセンサーをやってみようということで、やり出したのが匂いセンサーの研究をやるきっかけです。

 電導膜の研究でも少しずつ研究費も入るようになって、それで実験装置も買えるようになりました」

――最初に作られたロボットは?

ロボティクス学科 出村 公成 教授 久々に説得力があり刺激的な本を読んだ。

 「ものつくり敗戦」(木村英紀著。日本経済新聞出版社)だ。著者の木村氏は理化学研究所の研究者で制御工学の第一人者。内容は背表紙によると、日本型「ものつくり」の限界を明らかにし、普遍性を追求せず、暗黙知ばかり重視する「匠の呪縛」の危険性を明らかにする警告の書という。

 詳しい内容は省略するが、木村氏はこれから日本の技術には「理論」、「システム」、「ソフトウエア」の三分野がますます重要になってくると指摘している。しかし、この三つは日本が長年、苦手としてきた。なぜ日本が不得意だったかというと、三分野とも「見えない」からだという。確かに筆者自身も技術に興味はあるが、具体的にモノが見えない分野は原稿にしにくいし苦手である。

 この本を読んで、インタビューしたばかりの出村教授の話を思い出した。

 出村教授はニューラルネットワークの「学習理論」で博士号を取り、現在、ロボットを動かす「ソフトウエア」を研究している。ロボットは「システム」の一種だろう。日本の苦手三分野を1人でまとめて挑戦していることになる。

 「2050年までにサッカーの世界チャンピオン・チームに勝てる自律型ロボットのチームを作る」のが目標のロボカップは1997年に始まった。KITは99年からこのグローバルな大会に挑戦し続けている。夢考房ロボカップ・プロジェクトと出村研究室の共同研究によるロボットは02年から3年連続で世界大会準優勝という好成績を挙げた。

――「学習理論」からなぜ「ロボット」に?

 「もともとは生体の神経系統を模したニューラルネットワークをやっていたのですが、どうしてもブラックボックスになってしまい、高度な情報処理は難しいですね。

 ロボットには興味があって所属していた大学の研究室でもロボットのOSとかも作っていたのですが、ロボットというのは研究にならないことを相当やらないと駄目なのです。動かすだけでも非常に大変で、決められた年月で学位を取りたかったので当時は諦めたのです」

――ロボットはKITに来られてからですね。

ロボティクス学科 鈴木 亮一 准教授 鈴木准教授は2回、ドイツに留学している。この2回の留学には歴史的に有名なドイツ人兄弟が関係してくる。18世紀から19世紀半ばにかけ活躍したフンボルト兄弟だ。兄のヴィルヘルム・フォン・フンボルト(1767-1835)は言語・教育学者で外交官としても活躍、ベルリン大学の創始者でもある。"フンボルト理念"を提唱したことでも知られる。

 「ドイツに行って良かったなと思っていることの一つは、フンボルト理念を身をもって知ったことです。この理念は教育と研究の一体化ということで、教授はいつも最先端の研究を追い求め、最新のテーマを見つけてきて一生懸命研究し解決する。その中に学生を一緒に取り込んで、その新しい発見や問題解決のプロセスに学生を巻き込んで教育するという。これを否定する人もいるのですが、できる限り私も、学生と一緒に面白いテーマを見つけてきて問題解決を楽しもうという感じですかね」

 "フンボルト理念"はそれまでの封建的な大学を近代化する考え方とされ、事実、その後ドイツ科学は第二次大戦前まで世界を凌駕する。鈴木准教授はいわば近代大学の原点に立ち、研究と教育の関連を意識することができたわけだ。
 
 先生の2回目の留学はアレクサンダー・フォン・フンボルト財団からの奨学金による。同じフンボルトでもアレクサンダー(1769―1859)はヴィルヘルムの弟で、博物・地理学者で探検家でもある。功績は「フンボルトペンギン」や「フンボルト海流」として残る。彼の業績を顕彰して海外の優秀な学生をドイツに留学させるのがこの財団だ。フンボルト理念とフンボルト財団、ドイツの偉大な兄弟は今でも世界に影響を与えている。

 鈴木准教授はウルム大学の工学部・計測制御マイクロ技術研究所に留学した。

――制御の分野に入ったきっかけは?

 「小林伸明先生の授業がきっかけです。私はもともと数学が好きで、制御工学はすごくきれいに体系化された数学と言えます。数学の式だけで、このシステムは安定だ、不安定だというのが判定できるのです。そこが面白いと思ったのです」

――しかし、現実は理論通りにうまく行かないほうが多いのでは?