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小泉成史 (こいずみ せいし)
早稲田大学理工修士。1974年読売新聞入社。1984年マサチューセッツ工科大学ヴァヌ―バー・ブッシュ・フェロー。米国歴史博物館客員研究員。2002-06年テレビ朝日コメンテーター。03年より金沢工業大学客員教授。著書「おススメ博物館」(文春新書)など。

ロボティクス学科 の最近のブログ記事

ロボティクス学科 太田 和彦 教授 太田先生は、当時学生運動の盛んだった京都大学から防衛大学校に入って研究を続けられるというユニークな道を歩んで来られた。マサチューセッツ工科大学留学の際、タイタニック号探索で世界的にも有名な米国ウッズホール海洋研究所で研究されたこともある。研究歴の一端をうかがった。

――先生は京都大学の理学部を卒業されて、すぐに防衛大学校数学物理学教室の助手(教員)になられています。京都大学は学生運動の本場。珍しいケースですね。

 「在学時、京都大学の学生運動のピークはもう過ぎていましたが、入学式や卒業式では途中から赤ヘルの活動家が入ってきて妨害したりすることはありました。とは言っても流血騒ぎにはなりませんでしたが、オーケストラ構成の学生が脱兎のごとく会場から逃げ出していったのは今でも覚えています。もちろん大事な楽器のためです。

 理学部在学中は素粒子の研究も夢見ていたのですが、古典力学や流体力学など勉強するうちに美しく完成された数式に惹かれ、また防衛大学校教員採用のための公務員試験に合格したこともあり、そのようなことが研究できるかと防衛大学校の教員として入庁しました。」

――防衛大学校の助手というのは学生に何か教えるのですか?

 「その学科の物理実験の指導などを行います。このとき応用物理学科と数学・物理学科の二つの学科から募集があったのですが、数学・物理学科の教授が大学の先輩だったこともあり、そこに入ることになりました。その教授の元では私が8人目の採用と知らされ、理由の詳細は定かではありませんが、前任者達は皆どこか別のところに転出していったようです。そこでの研究対象は放射線関係だったのですが、前述のように自分の興味のある分野ではなかったこともあり、結果的には私も1年で防衛技術研究所の方に移らせてもらいました。」

――そこではどのような研究を?

 「ソーナー、水中音響の研究です。SONARとは"Sound navigation and ranging" の略で水中を伝わる音波を使って水中を探る装置です。海中では深度方向の圧力と水温変化により音速が大きく変化し、また海面反射や海底反射の影響で海中音場は複雑に変化するのですが、それを予測するためのシミュレーションの開発やその検証のための海上実験などを行い、論文に載せるほどの成果が得られたところで、米国のマサチューセッツ工科大学(MIT)に留学することになりました。博士課程に受け入れてもらうためにはQualifyの試験をパスしなければならないのですが、当時は力学、数学、音響など5科目の筆記試験と3科目の口頭試験に加えて研究成果の発表などがあり、大学受験の時以上に勉強した記憶があります。口頭試問では黒板に書かれた問題を見て、その場で解答。当然ですがQ&Aは英語、最も緊張した場面でした。」
 
――でも、それに無事合格されたわけです。

ロボティクス学科 土井 隆宏 准教授 土居先生は幼稚園児の頃からの夢を実現させてロボット研究に打ち込んでいる。今回のインタビューはちょっと趣向を変えてロボットの映像を見ながら、いろいろと伺った。

――先生はロボットを作りたいと子供の頃から思っていたのですか?

 「はい。テレビの影響が大きいですね。友人たちはガンダムが好きとか、ドラえもんが好きというのが多かったです。私は"コン・バトラーV"という番組が好きでした。幼稚園の卒業文集に将来の夢はロボット博士になることと書いていました」

――それはすごい。大学は東京理科大学 機械工学科から東京工業大学の大学院に進まれます。

 「たまたま理科大にはロボットをやっている先生は少なくて、当時、使っていたロボット関連の教科書が東工大の広瀬茂男先生が書かれた教科書で、それが面白かったので広瀬先生の研究室に行きたくなったのです」

――東工大のロボットというと森 政弘先生が有名です。何十年も前の新聞社科学部時代に授業が面白いというので取材に行ったことを覚えています。確か乾電池数個で人間1人が乗れる乗り物を作れというもので、学生のグループを競わせる先進的でユニークな授業でした。ロボコンなどが始まる何年も前でした。

 「森 政弘先生の流れです。森先生の下に梅谷 陽二先生がいて、梅谷先生の下に広瀬先生がいて孫弟子のような感じです。東京理科大の学部の頃に広瀬先生の教科書で4足ロボットの話がいろいろ出ていて、これは面白いなと思い、研究室に見学に行ったりして決めました」

――やはり4足ロボットは一番実用性が高いのですか?

 「そう思っているのですが、もちろん研究者によって意見はいろいろあります。4足の良いところは、電源を切ってもそのまま立っていられるのです。2足だとモーターの電源が切れると倒れてしまうのです。そうなると建設ロボットとか、安定して動けないといけないものには使えません。2足なら大丈夫で、実際に建設用のロボットを企業と一緒に開発しています」

http://www2.kanazawa-it.ac.jp/doi-lab/research/index.html

――これはかなり大きそうですね。

 「ええ、7tあります。 名前はTITAN 。 普段は千葉県の茂原市にある建設会社の倉庫に置いてあります。ただ、私が行かないと動けないので、今マニュアルを作ったり、使いやすいインターフェスを開発したりしています」

――このロボットはどのような工事に使われるのですか?

 「がけ崩れを防ぐ工事があります。がけに穴を開け鉄筋やコンクリートを挿入して固めるのです。そのようなところで、従来は車輪を使って登って行って、ドリルで穴を開けたりする機械が使われていました。しかし、車輪だと横に移動できないのです。あとはがけがコンクリートフレームという格子状のコンクリートで補強されているところがあります。電車や車で高速を走っていると脇のがけによく見かけますよね。このフレームを無視して横に動いたりするとコンンクリートの角を壊してしまったりするのです。そこでフレームをまたいで横に移動できるロボットがあればと研究が始まったのです。

――なるほど、格子があるから滑り落ちる心配もない。

ロボティクス学科 竹井 義法 教授 竹井先生はロボット開発がご専門だが、研究している分野は「匂いセンサー」、「ガス源探査」、「ドローン」、「二足歩行」さらに「節電義手」や「農業支援」など実に多種多彩だという。さて、どこまで紹介できるだろうか。

――先生は九州のご出身で福岡大学工学部電気工学科、九州大学大学院を経て、縁あって2003年からKITに来られました。最初に電気工学科を選んだ理由は何ですか?

 「もともとロボットをやりたいというのはあったのですけれど、すぐに制御関係を考えたのですね。制御工学という分野があるのを知り勉強したいと思ったのです。もちろん機械工学科でもよかったのですが、機械よりも電気の方が制御分野の研究をしている研究室があったというのが最初のきっかけですね」

――もともとロボットをやりたいという動機は何だったのですか? やはりウルトラマンとかガンダムですか?

 「アニメーションを見てというのは多分、幼稚園ぐらいの時だったと思います。実際、大学入試を控えた時に、いろいろな大学の案内パンフを見て、当時2足歩行のロボットの研究をしている大学があって、制御分野の研究は面白そうだと」

――高校生としてはずいぶん、しっかりしているというか、地に足がついているというか。素晴らしいですね。

 「とにかくロボット、それもコンパクトなものを造りたいとも思っていたのです。実際に学ばなければいけないものとは必ずしもリンクしてはいないのです」

――高校、大学、大学院時代はずっと九州で、KITに入って初めて九州を離れたわけですね。もっと若い時に地元を離れようという気は無かったのですか?

 「これは全然無かったです。九州の人間には比較的多いと思うのですが、地元を出る気があまりなかったです。金沢に来た時は、だいぶ遠くまで来たなという気はしましたが(笑)。今はもちろん遠いとは思っていません。気候にも慣れました」

――ロボットから現在は主に「匂いセンサー」の研究をされているのは?

 「人間は五感を駆使しますが、今のところロボットが感じ取るのは通常、視覚、触覚、聴覚の三感であり、味覚、嗅覚の応用は少ないのです。そこで人間の嗅覚に相当する匂いセンサーを研究しています。

具体的には、この技術をガス源探査ロボットや、火災の発生源の早期発見ロボットに応用し、生活支援などに活用したいと考えています」

――ガス源探査とはどんなものですか?

 「例えば、むき出しの配管があって、どこかに亀裂がありガスがぱっと出ているとします。目視しても分からないような状況で出ている箇所を探しだすことができるようなロボットです。

 それから、別の問題があって難しいのですが、地雷を探査するのに犬を使ったりすることがあるので、その替わりとなるようなロボットもあります」

――具体的にはどのように研究するのですか?

 「実験室の中でやる時に、ものすごく危険なものを流しながら実験するというのは難しいので、危なくない消毒用エタノールを流して、そのガス源に対してロボットをどのように誘導するかという研究をやっています。

 そうするとセンサーは特別なセンサーではなくてエタノールセンサーを使い、ロボットは嗅覚だけを頼って発生源を探していく。そういう研究を移動体を使ってやっています」

ドローンも研究

――ドローンを使った研究も始めていると、うかがいましたが。

 ロボティクス学科 藤木 信彰 准教授 藤木先生は子どもの頃から機械いじりが好きで「レゴ」で遊び、「ガンダム」にあこがれ、KITに進学しロボットメーカーに就職した。いわば新しい時代の典型的なロボット工学者。学生たちに好奇心を持ち続ける授業を心がけているという。

----ロボット工学を目指したのは何かきっかけがあったのですか?

 「子どもの頃から漫画が好きなので。ちょうど小学生の時にガンダムが流行っていまして。それに、もともと機械なども好きで。おもちゃを分解して中はどうなっているのだろうと。最初は電池で動く車ですかね。ステアリングの部分はどうなっているのだろうかと。そんなところから初めていろいろと」

----初期の日本のロボット工学者の中で手塚治虫の漫画「鉄腕アトム」に刺激された人が多いのは有名な話です。若い先生の時代ですと「ガンダム」なのですね。古い私はアトム世代でガンダムは名前しか知りません。ガンダムは自律しているのですか?

 「人が操縦しているのです。お腹の中の操縦席に人が入って、モニターを見ながら操縦します。ガンダムのようなロボットは実業の世界にはないです。最近、マニアの方が自分で入って操縦するタイプのロボットを作ったりしていますが。移動したりするのに大きなエネルギーを必要とします、歩行するとなると、結構上下に揺れるはずです」

----先生は富山県の高校を卒業して、KITの機械システム工学科に入学し、修士まで進まれます。

 「ちょうど1期生ですね。メカが好きで、機械のことを勉強したかったのですが、新しくKITに機械システム工学科ができるということで。機械も電気も両方学べそうだと。修士では倒立振子を研究しました。振子に円板を付けて、円板の回転で振り上げから倒立までをおこなうにはどうしたら良いかを考えるのです。いつの間にか機械でなく制御工学に興味を持っていました」

----修士の後は?

 「富山県に不二越という工作機械やロボットを作る会社がありまして、そこのロボット製造所に入りました。不二越のロボットはNACHIというブランド名で知られています。有名な那智の滝に由来すると聞いています。

 最初は試験研究で、設計して試作した産業用ロボットの耐久試験とか評価試験をやりました。こうしたロボットが作業に応じてどれだけ時間的に持たなければいけないかは決まっています。一応、その周期で一度分解して軸受とかを交換することになるのです。そこまで持つかどうかということを試験するために、ひたすら動かし、それを定期的に分解して異常がないか調べるのです」

----それは具体的にどんなロボットなのですか?

 「いろいろなことができるロボットで、持てる重量100~200kg。良く使って頂いているのが自動車会社で、溶接ですね。溶接用のガンを付けて、それでバチッ、バチッと要所、要所を。そうしたロボットの耐久試験と言うのは地味ですが、最初にどのような所が壊れるのか分かるので勉強になりました」

----不二越には何年ぐらいいらしたのですか?

ロボティクス学科 佐藤 隆一 教授 KITには民間企業で製品開発をしてこられた先生や国の研究所で最先端の研究を進めていた先生が多くいらっしゃる。しかし、そのほとんどの先生は「民間」か「官庁」のどちらか一つの経験者だ。佐藤先生は「企業(石川島播磨重工業)」、「官庁(防衛庁)」の両方を経験するというユニークな経歴。「企業、官庁、そして大学と技術者が働ける3つの社会を経験できることを喜んでいます」という。

——佐藤先生はなぜ船舶工学をやろうと決めたのですか?

 「これは学生さんの就職ガイダンスの時にも自分の体験談として話すのですが、乗り物が好きだったのですよ。本当に小さい頃、家は名古屋市の東のほうで、当時、路面電車が走っていたのです。その車庫の前に庭石屋があり、そこに祖母に連れられて良く行き、石の上に座って日がな一日路面電車の出入りを飽きずに眺めていたのです。

 それが原点で、電車にかぎらず汽車や船、乗り物が好きだったのです。進学の時は好きなものをやろう、軸足は乗り物にしようと造船に進んだのです」

——でも、なぜ電車ではなくて船なのですか?

 「実は本当は蒸気機関車(SL)を作りたかったのです。50年ぐらい早く生まれていたら、そっちを目指していたと思います(笑)。子供の頃はまだSLが走っていまして、親類に国鉄の機関士がいて、近くの機関車庫に入れてもらったこともあります。

 しかし、SLの製造は終わってしまっていたので、結局、同じ乗り物ということで船を選んだのです。東大では船のプロペラを学びました」

——船のプロペラというと、潜水艦の探知かなにかですか?

 「いいえ、プロペラで起きるキャビテーションという小さな泡がつぶれる現象の研究です。これが起きると金属がぼろぼろになってしまう。泡がつぶれる時に周りに衝撃波が出るのです。それでどんどん叩かれて疲労破壊が起きる。金属が溶岩とか海綿みたいにスカスカになってしまうのです」

——どうやって防ぐのですか?

 「流体的にそういうキャビテーションができるだけ出ないような、それから、急につぶれないような設計をします、それがコンピューターでできるようになった」

——その研究の縁で石川島播磨重工業(IHI)に入社された。

 「ええ、横浜・磯子にあるIHIの研究所に入りました。入社してすぐにそのキャビテーションの試験をする水槽を作れと言われました。水槽本体はドイツから輸入したものでしたが、周りの配管とか電気の配線とかを先輩に教えてもらって」

——それは水槽の中で実際にプロペラを回して計測するのですね?

 「はい。どれだけのスラスト(推力)やトルク(回転力)を出しているかを測らなければならないのでモーターの先っちょに検力計を付けるのです。そういう仕掛けを動力計と呼びます。この水槽を作るのに約2年かかりました。この水槽は今でもIHIで動いています」

——IHIから防衛庁に移られたのは何か理由が?

ロボティクス学科 河合 宏之 准教授 河合先生は金沢大学電気情報工学科の出身。専門分野は制御工学だ。改めて「制御とは何か」と聞かれるとなかなか難しい。「ある目的に合うように、モノに必要な操作を加えること」などと答えるとかえってややこしくなってしまう。英語でいうと「control」(コントロール)となり分かりやすい。

−−なぜ制御工学をやろうと思ったのですか?

 「もともと僕は磁気浮上という、磁気でモノを浮かす研究をしたいと思っていたのですが、研究室の先生が代わってしまい。新しい先生は小さな二自由度のロボットを持ってこられて、それをやってみないかという話になったのです。二自由度というのは簡単に言えば自由に動く二つの関節を持っているということです」

−−なぜ磁気浮上に惹かれたのですか?

 「どうしてでしょうね? 僕らが高校生ぐらいの時はリニアモーターカーが結構、話題になっていた時期でして。モノを浮かせるというのはマジックみたいで不思議で面白いと思ってました。

 その頃、もう一つ超電導というのが流行っていて、抵抗の温度を絶対零度にしてやると、電流を流しても損失がなくて磁界だけ作れて磁気浮上に使え、リニアにも使えるということでした。それにも興味を持ち名古屋大学にその専門の先生がいるとのことで話を聞きに行ったのですが、原理的で基礎的な研究だとわかって諦めました。僕は超電導を使って何かを作りたかったのです」

−−磁気浮上とロボット制御というのは、かなり隔たりがありませんか?

 「確かにモノとしては違います。外から見るとおっしゃる通りなのですが、結局、中で使っている制御理論を突き詰めていくと、最後は数学になり同じ数式を使うことになるのです」

 河合先生は数式を見せてくれて詳しく説明してくれたのだが、このブログはできるだけ易しく書くことを目的としているのでここでは省略する。

 筆者なりに説明してみよう。制御工学の初歩ではよくシャワーの温度の調節の話がでてくる。シャワーを浴びてて熱いと思ったら手で冷水の蛇口を回し調節する。皮膚で感じた「熱い」という情報が脳にフィードバックされ、脳から「手に蛇口を回せ」という指令が送られて制御がうまく行く。

 これを自動で行うにはこの一連の動きをシミュレートした「モデル」を作る必要があり、これは結局、数学となり数式で表されることになる。こうしたモデルでは電気回路もモノの自然落下なども数式となり、さらにロボットの制御や磁気浮上とも繋がっていくのだという。

−−ロボットの動きも数式化できるのですか?

 「はい。学生も4年生になると、数式を見ただけでこれはロボットだと分かるようになるのです。もちろん1年の時はピンとこなくて何を言ってるんだという話になるのですが」

−−ロボット制御では特にどのような分野を研究しておられるのですか?

ロボティクス学科 南戸 秀仁(なんと ひでひと)教授 このブログでも紹介してきたようにKITには多くのロボット研究者がいる。南戸教授もその一人だ。しかし、先生の専門はロボットにつきものの機械工学や制御工学ではない。南戸教授の専門は何とセンサーなのだ。しかも匂いを感知するセンサーだという。南戸先生は焦げた匂いを感知して火災を防止するロボットをメーカーと共同で開発した。

――匂いを感知するセンサーの開発のきっかけは?

 「太陽電池などに使われる透明電導膜の研究をしていた時のことです。この膜はジンクオキサイドという酸化物で非常に透明で、しかも電気抵抗が低い。

 学生と一緒に、毎日スパッタリングという薄膜作成法で膜を作って、その電気抵抗を計るのですが、研究室に置いておいたら、電気抵抗がどんどん変化するのです。透明導電膜は当然ながら安定的に抵抗が低く保たれなければならないのですが、置いておくと抵抗が上がってしまうのです。

 それで学生と調べてみるとジンクオキサイドの表面でいろいろなガスが反応して、半導体の中から電子を取ったりすることで抵抗が変わるということが分かったのです。表面反応で抵抗が変わるなら逆にガスセンサーが作れるのではないかということで始めたのです」

――失敗と思われるような偶然の発見の特性を生かす、まさにセレンディピティの瞬間ですね。

 「そうですね。私はいろいろな分野をやってきたので、そういう面では気がつきやすい。透明電導膜を作る仕事としてはネガティブな結果なのです。当時、指導する学生も多かったので、次の年の4年生にテーマとしてガスセンサーをやってみようということで、やり出したのが匂いセンサーの研究をやるきっかけです。

 電導膜の研究でも少しずつ研究費も入るようになって、それで実験装置も買えるようになりました」

――最初に作られたロボットは?

ロボティクス学科 出村 公成 教授 久々に説得力があり刺激的な本を読んだ。

 「ものつくり敗戦」(木村英紀著。日本経済新聞出版社)だ。著者の木村氏は理化学研究所の研究者で制御工学の第一人者。内容は背表紙によると、日本型「ものつくり」の限界を明らかにし、普遍性を追求せず、暗黙知ばかり重視する「匠の呪縛」の危険性を明らかにする警告の書という。

 詳しい内容は省略するが、木村氏はこれから日本の技術には「理論」、「システム」、「ソフトウエア」の三分野がますます重要になってくると指摘している。しかし、この三つは日本が長年、苦手としてきた。なぜ日本が不得意だったかというと、三分野とも「見えない」からだという。確かに筆者自身も技術に興味はあるが、具体的にモノが見えない分野は原稿にしにくいし苦手である。

 この本を読んで、インタビューしたばかりの出村教授の話を思い出した。

 出村教授はニューラルネットワークの「学習理論」で博士号を取り、現在、ロボットを動かす「ソフトウエア」を研究している。ロボットは「システム」の一種だろう。日本の苦手三分野を1人でまとめて挑戦していることになる。

 「2050年までにサッカーの世界チャンピオン・チームに勝てる自律型ロボットのチームを作る」のが目標のロボカップは1997年に始まった。KITは99年からこのグローバルな大会に挑戦し続けている。夢考房ロボカップ・プロジェクトと出村研究室の共同研究によるロボットは02年から3年連続で世界大会準優勝という好成績を挙げた。

――「学習理論」からなぜ「ロボット」に?

 「もともとは生体の神経系統を模したニューラルネットワークをやっていたのですが、どうしてもブラックボックスになってしまい、高度な情報処理は難しいですね。

 ロボットには興味があって所属していた大学の研究室でもロボットのOSとかも作っていたのですが、ロボットというのは研究にならないことを相当やらないと駄目なのです。動かすだけでも非常に大変で、決められた年月で学位を取りたかったので当時は諦めたのです」

――ロボットはKITに来られてからですね。

ロボティクス学科 鈴木 亮一 准教授 鈴木准教授は2回、ドイツに留学している。この2回の留学には歴史的に有名なドイツ人兄弟が関係してくる。18世紀から19世紀半ばにかけ活躍したフンボルト兄弟だ。兄のヴィルヘルム・フォン・フンボルト(1767-1835)は言語・教育学者で外交官としても活躍、ベルリン大学の創始者でもある。"フンボルト理念"を提唱したことでも知られる。

 「ドイツに行って良かったなと思っていることの一つは、フンボルト理念を身をもって知ったことです。この理念は教育と研究の一体化ということで、教授はいつも最先端の研究を追い求め、最新のテーマを見つけてきて一生懸命研究し解決する。その中に学生を一緒に取り込んで、その新しい発見や問題解決のプロセスに学生を巻き込んで教育するという。これを否定する人もいるのですが、できる限り私も、学生と一緒に面白いテーマを見つけてきて問題解決を楽しもうという感じですかね」

 "フンボルト理念"はそれまでの封建的な大学を近代化する考え方とされ、事実、その後ドイツ科学は第二次大戦前まで世界を凌駕する。鈴木准教授はいわば近代大学の原点に立ち、研究と教育の関連を意識することができたわけだ。
 
 先生の2回目の留学はアレクサンダー・フォン・フンボルト財団からの奨学金による。同じフンボルトでもアレクサンダー(1769―1859)はヴィルヘルムの弟で、博物・地理学者で探検家でもある。功績は「フンボルトペンギン」や「フンボルト海流」として残る。彼の業績を顕彰して海外の優秀な学生をドイツに留学させるのがこの財団だ。フンボルト理念とフンボルト財団、ドイツの偉大な兄弟は今でも世界に影響を与えている。

 鈴木准教授はウルム大学の工学部・計測制御マイクロ技術研究所に留学した。

――制御の分野に入ったきっかけは?

 「小林伸明先生の授業がきっかけです。私はもともと数学が好きで、制御工学はすごくきれいに体系化された数学と言えます。数学の式だけで、このシステムは安定だ、不安定だというのが判定できるのです。そこが面白いと思ったのです」

――しかし、現実は理論通りにうまく行かないほうが多いのでは?