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小泉成史 (こいずみ せいし)
早稲田大学理工修士。1974年読売新聞入社。1984年マサチューセッツ工科大学ヴァヌ―バー・ブッシュ・フェロー。米国歴史博物館客員研究員。2002-06年テレビ朝日コメンテーター。03年より金沢工業大学客員教授。著書「おススメ博物館」(文春新書)など。

2011年07月 アーカイブ

出原 立子(いずはら りつこ)准教授 ユニークな研究者が多いKITだが、出原先生の博士論文はひときわ異彩を放っている。題名だけ聞いたら、とても理工系大学の研究者の論文とは思わないだろう。

 題して「三浦梅園“玄語図”の形成原理と図言語体系に関する研究」。三浦梅園は江戸時代の豊後国(現・大分県)の医者だが、仏教書や西洋天文学など膨大な書を読み、独自の世界観、哲学を打ち立てた思想家だ。「玄語」は梅園の思想体系を表したもののひとつ。梅園には一部の識者に熱狂的支持者がいるが、一般的には有名とは言い難い人物だ。

 先生の現在の専門は視覚情報デザイン、CGだ。いったい梅園とどんな繫がりがあるのだろうか?

――先生の研究の出発点は何だったのですか?

 「もともとは学部は東海大学理学部の情報数理学科を出て、コンピューターメーカーのシステムエンジニアをしてました。その頃、私が働いていた時のコンピュータというのはWindowsが出るか出ないかというころで、ビジネス用はインターフェイスは命令語をいちいち打ち込むのが主流でした。

 でもお客さまのシステムを作る中でやはりインターフェイスが非常に重要だと気がついたのです。それで単にコンピュータ科学を学んでいるだけでは足りないと思い、デザインの勉強をしてみたいと考えたのです」

——なるほど、それで美術系の大学に行かれたのですね。

 「それに家族もデザイン系の人間が多いのでもともと興味がありました。父は通産省でデザインに早くから着目しCGなども手がけていました。

 そこで武蔵野美術大学の大学院に入り直し、さらにコンピュータを取り入れたデザインを早くからやっていた神戸芸術工科大学に移りました。その時の学科主任は山口勝弘さんといって日本のメディアアートの先駆者で有名な方でした。他にも杉浦康平さんというグラフィックデザインで高名な作家もいらっしゃいました」

——そうそうたる顔ぶれです。

 「はい。その神戸でCGをやりつつも逆に過去へとさかのぼってみました。インターフェイスで文字言語とそれと対照的な図的言語という、情報を図で表すものに興味を持ちました。図を調べていく内に日本で昔、面白い図を表した人がいることを知りました。それが三浦梅園だったのです。

 梅園が描く図は玄語図と呼ばれ、哲学書の中に文章と図が両方書かれているのです。この図の形が妙に面白いなと思って調べてみたら立体構造を表していることが判ったのです。それでCGを使ってシミュレーションしてみたのです。

 梅園は東洋の思想と西洋の思想の両方を自分の中に吸収して独自の思想を作り、東洋的な陰陽思想を立体化し、それを平面に投影したのではないかというのが私の解釈です」

——それを立体化した模型が韓国の博物館に展示されたそうですね。