小泉成史 (こいずみ せいし)
早稲田大学理工修士。1974年読売新聞入社。1984年マサチューセッツ工科大学ヴァヌ―バー・ブッシュ・フェロー。米国歴史博物館客員研究員。2002-06年テレビ朝日コメンテーター。03年より金沢工業大学客員教授。著書「おススメ博物館」(文春新書)など。

2008年11月 アーカイブ

 環境土木工学科 宮里准教授 今から25年近く前、米国の女性ジャーナリストらの書いた「America in Ruins:The Decaying Infrastructures」(瓦礫のアメリカ:崩壊するインフラ)という本が日本でも話題になった。先進国・米国の誇る橋や道路が経年変化と劣悪な維持管理の下で崩壊の危機に瀕しているという警告の書だった。著者は来日してゼネコンなどを講演に回ったのを記憶している。

 こうした警告もむなしく、2007年8月ミシシッピ州の高速道路の橋が崩落、9人が死亡、100人以上が負傷するという大事故が起きてしまった。この橋は1967年建造の鉄骨トラス橋でちょうど補強工事が行われていた。事故を受けて日本でも国土交通省が調査を行ったが多くの自治体で橋の点検を行っていない事実が浮かび上がってきた。
実はこの大事故の起きる前から、米国はもちろん日本でも散発的にこうした問題は起きていたのだ。ただ、インフラは完成時には大々的に報道されるが、維持管理という地味な分野はマスコミでも注目されなかっただけなのだ。

 しかし今や橋に限らず、古い水道管や下水、道路など土木・建築の維持管理は重要かつ緊急の課題として注目されている。

 KITでも学生に人気の高いという宮里心一研究室はまさにこのインフラの維持管理、とりわけコンクリートを専門としている。宮里准教授は童顔でニコニコしていて、大学の先生というよりバイト先の先輩という感じが受けているのであろうか。

 宮里准教授が土木を専門にしようと思ったきっかけは、高校時代にある。土木技師だった祖父の葬儀に故郷・沖縄に帰った。その時、参列者たちが口々に「おじいさんはあの橋を作った」、「あの道も手がけてくれた」と話してくれた。「亡くなった後でも人に喜ばれる仕事で良いな」と同じ職業を目指すことにした。大学で土木技術を学び、日本各地の港湾やダムの現場を見学して地域と結びついた、この学問にますます魅せられていったという。

 このため宮里研究室は徹底した「現場主義」と「実験重視」である。

 「できるだけ学生を現場に連れて行きます。現場で初めて具体的に問題を眼にすることができますし、担当の技術者と話し合える貴重な機会もあります。どんどん実験をさせますが失敗は許します。そして成果が出れば海外の学会で積極的に発表させて自信をつけさせるのです」
 
 「現場」と「実験」を通じて学生を育てることに全力をあげているのだ。

電子情報通信工学科 坂本教授が手にするのは画期的なブラウン管、CRT

 「もともとはCRTが専門で、こんなものを作ったことがあります」

 インタビューの冒頭で工学部電気系、情報通信工学担当坂本教授が遠慮がちに見せてくれたのは、携帯端末を一回り大きくしたような厚さ約2センチの平たいガラス製の装置だった。

 CRTはcathode ray tubeの略で要するにブラウン管のこと。ブラウン管は長い間TVやパソコンのディスプレイの王者として君臨してきたが、奥行きのある構造で場所をとることが嫌われて、液晶やプラズマにその座を奪われそうになっている。それがどうしてこんなに薄くなるのか?

 「CRTの電子の源は点ですが、これは線になっているのです」
 
 電子の源が"線"になっている?!

 そのようなCRT、聞いたこともなかったが、現に目の前のここにある。

 "線"源から出た電子は上下の偏向電極で集束、制御され蛍光体を付けた陽極で画像を結ぶ仕組み。非常に面白い独創的な設計で、聞いているだけでわくわくしてきた。

 ――しかし、これで画像が映るのですか?

 「当時、研究を手伝っていた学生も、先生これで映るわけないですよと言っていたのですが、実際に画がでるとオーッと驚いていました」

 坂本教授が1984年に発表した「HAVD形 CRT」(horizontal address vertical deflection flat CRT)と呼ばれるもので、縦約3cm、横5cmのディスプレイにTVの白黒画像が再生できた。今回は残念ながら、実際の映像は見ることができなかったが、当時の写真を見ると鮮明な映像が映っている。もちろん回路を準備すればいつでも再生可能という。

 「HAVD形 CRT」は構造も極めて簡単で学会や専門誌で注目された。ただ大型化とカラー化が難しかったため実用化にはいたらなかった。

 「当時、CRT研究の世界的権威がこれは良いと誉めてくれたのですが」と坂本教授は今でも残念そうだ。