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小泉成史 (こいずみ せいし)
早稲田大学理工修士。1974年読売新聞入社。1984年マサチューセッツ工科大学ヴァヌ―バー・ブッシュ・フェロー。米国歴史博物館客員研究員。2002-06年テレビ朝日コメンテーター。03年より金沢工業大学客員教授。著書「おススメ博物館」(文春新書)など。

2011年06月 アーカイブ

建築デザイン学科 谷 明彦 教授 東日本大震災の報道で何度も登場した研究者の一人に片田敏孝・群馬大学教授がいる。片田教授は釜石市の小中学生に型通りではなく自分で状況を判断し避難する方法を教え、何人もの命を救った人だ。

 一方、今回登場の谷先生はゼネコンの清水建設で海外の大型プロジェクトを手がけてきた経験のある都市計画の専門家。驚いたことに、谷先生は以前から片田教授と“考え方を共有”し繫がりがあるという。意外な繫がりの背景をうかがった。

——先生の研究室は徹底した実務派と聞いています。

 「私はもともと学者になろうとずっと思ってきた人間ではないので、今更、学者、学者した学者になる気はないのです。より実践的なことをするのが私の強みと思っていますので、自分の仕事も象牙の塔みたいなものは一切しないつもりです。ですから、研究をするにしても、それがどう社会に生きるかということを常に前提としています。

 よくある学生のお調べごとのよう研究はやっても無駄だと。今、うちの研究室では安全マップを作っていますが、これはある小学校から依頼されてやっているわけです。学生も小学校のPTAの会に出て行って一緒に議論します。調査をするときにも学校の父兄とか子どもと一緒に調査してすべて実践的にやってます」

——それはユニークですね。

 「こういうことをやっている人は少ないです。ただ注意しなければならないこともあります。防災とかまちづくりというとにわか専門家が多くて。

 例えば今回のような地震とか水害とかがあると、すぐハード屋さんが出てきてもっと堤防を高くしましょうと、そういう仕事の話に持っていてしまうのです。実際は違うだろうと。今回の津波でも堤防は一定までの役割しかしないのです。その後はやはりソフトで守っていかないといけない」

——ソフトというと、やはり効果的な避難訓練とかですか?

 「そうですね。まず避難教育をしっかりするということです。群馬大の片田さんはテレビに何回も出てきていてご存知のかたも多いでしょう。片田さんは釜石市の防災計画もやっていて、要するにどこに避難しなさいという教え方ではなくて、こういう場合にはこういう行動をとりなさいという教育をしてきたのですよ。

 だから、本来、避難する場所に避難したら助からなかったのに、引率の先生が機転を利かして、もう一段上のところに逃げたので助かったのです。あれはやはり片田さんならではの教えです。実は片田さんは私と同じような考えをもっている方で個人的にも知っているのです。

 教育とかプログラムとかが本当は一番大事なのですが、それよりも防潮堤や堤防にお金がポンとついて、そっちの学者の方が幅を利かせているというのが現実ですね」

——日本はどうしてもソフトよりハードが優先される。

応用化学科 土佐 光司(とさ こうじ) 教授 都市工学を学んだ研究者というと、都市計画を立案するデザイナ−系の先生かあるいは橋や道路を設計する土木系の先生の2種類しか思い浮かばなかったが、土佐先生はそのどちらでもなかった。

——若い頃から水質を研究しようと思ったそうですが、そのきっかけは?

 「私はガンダム世代なのです。テレビアニメ・機動戦士ガンダムでは宇宙の植民地、スペースコロニーが出てきます。番組の一番最初が“人類が増えすぎた人口を宇宙に移民させるようになって、既に半世紀が過ぎていた”というようなナレーションで始まります。中・高校生ぐらいまではスペースコロニーを作りたいと思ってました。

 しかし、コロニーはそこで何万人か何百万人か設定は忘れましたが巨大なものなのです。大学に入る前には、ちょっと生きている間には実現しないだろうことはわかってきました。そこまで行く前に、地球に問題がおきるはずだという考えで」

——なるほど都市計画的なものを目指す志はあったわけですね。

 「出身の東大では教養課程で専門が決まらないのです。教養を終え専門を選ぶ時の一番の考えはやはり困っている人の役に立ちたいと。途上国や貧困などの問題を解決するような仕事、しかもエンジニアでできたら良いなと思ってました。いろいろな学科を調べているうちに多分、都市工学科がそれに一番適していると思いました。 

 もう一つは、地球は人がどんどん増えてきて人口問題が出てくる。そうすると資源や水、いろいろなものが枯渇するわけで、そういうことに関わりたいなと。そして決まった専門がほとんど水を扱っている研究室ばかりだったのです」

——それで環境衛生の中で水をやろうということに。

「若いうちは小さなことからコツコツ行こうと。実際に専門をやっていて思ったのは大きなことをやろうとすると、結局、自分ではできないのです。シミュレ—ションになってしまって。そしてシミュレーションをやろうとすると、ここのデータがないとか、ここがわからないからできないとか、そういう事がたくさんでてくるのです。

 それで出来る事をやっているうちに、気がついたら、どちらかというと実験屋になっていました。ある先生に“君はコンピュータを使う方が得意なんじゃないの”と言われた事もありますが」

——水処理技術は今や輸出に繋がると注目されていますね。

 「あれは技術的というよりは、商売のためのマネージメントの問題で技術自体はある意味完成しているのです。それをシステムとして組み上げて、売り込んで、かつ売った後のメンテナンスを引き受けて儲けなければならないのです。

 その仕組みがなかったということで、東京都は水ビジネスとして売り出そうとしているのです。恐らく能力として一番持っているのは東京都の水道・下水道だということでやっているのでしょう」

——なるほど、技術ではなくマネジメントの問題なのですね。