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小泉成史 (こいずみ せいし)
早稲田大学理工修士。1974年読売新聞入社。1984年マサチューセッツ工科大学ヴァヌ―バー・ブッシュ・フェロー。米国歴史博物館客員研究員。2002-06年テレビ朝日コメンテーター。03年より金沢工業大学客員教授。著書「おススメ博物館」(文春新書)など。

伝統木造建築の耐震化を目指す

カテゴリ:建築学科
2020.12.03
 

建築学科 須田 達(たづる) 准教授 神戸市などに多大な被害を与えた兵庫県南部地震は1995年に起きた。当時、現役の新聞記者だった筆者は発生直後から現地入りして取材し惨状を目の当たりにした。この地震をきっかけにして、建築工学研究者の中には理論研究から、より役立つ人命を救う研究に方向転換した方もいる。須田先生はそうした研究者の一人から影響を受けたという。

――先生は伊香保温泉で有名な群馬県渋川市の出身ですが、KITに来られた理由は何かあったのですか?

 「お恥ずかしい話ですが実は高校時代、あまりに勉強してなくて先生に"君は大学に行くべきではない"とまで言われてしまいました。しかも地元の工業大学だけには行きたくないと思ってました。

 そしたら先生が怒ってしまって"お前がそんな贅沢言うな"みたいなことを言われてしまって。"行けるかどうか、受けてみなければわからないだろう"と。それで、あちこち受けて何とか、こちらに受かったというわけです」

――それは、なかなか反骨精神にあふれた高校生でした。博士課程は京都大学に進まれました。何か縁があったのですか?

 「KITの修士を出た時は普通に民間に就職するつもりでした。アカデミックな世界に行くつもりはなかったのです。ところがちょうど就職氷河期で採ってもらえなくて。大手の建材・住宅会社の8次試験ぐらいだったと思いますが、重役面接で落とされてしまいました。

 夏休みも終わる頃でした。何もやる気がなくなって。そしたら4年生の時にお世話になった京都大学の先生が"じゃ、うちに来るか?" と声をかけてくれて。それで無職というか浪人にならなくて済んだというわけです。積極的に選んだ道ではないのです(笑)」

――建築の構造でも木造系を選んだ理由は?

 「あまりよく覚えていないのですが。選んだ研究室が木造系に力を入れていて。いざ調べてみると、いろいろとアカデミックなところが全然解明されていないことがわかりました。これは面白そうだと。

 京大の先生がお酒を飲みながら話してくれたのですが、"日本において木造文化がなくなることはないよ。これからも木造をちゃんと研究しないと地震被害もなくならないし、人命を救えない"と。それで"これはやりがいがあるなと思って、そのままのめり込んでいった感じですね」

――なるほど。

 「元々その先生が振動の先生で、理論の先生です。だから実験もしないし、ずっと解析ばかりする研究だったのです。論文も建築学会よりも数学の学会などに書かれていました。

 その先生が兵庫県南部地震を経験されて、自分の研究があまり役に立っていないことを痛感されたらしいのです。悲惨な状況を目の当たりにして、これは何とかしなくてはいけないと思われて、木造に転向されたのです。そのタイミングでその先生と関わらせていただいたので、今でもずっと一緒に」

外見を保つ耐震化は難しい

――2012年からKITに戻られた。こちらではどんな研究を?

 「KITには木造の先生がいらっしゃいますので、私は建築構法とか建築材料をやることになってます。伝統的な木造建築の耐震性をベースに構法的に考えたり材料的に考えたりしています」

「耐震化は一つ一つ丁寧に」と須田先生――具体的には?

 「最近取り組んだ研究の事ですが、京都の北方、丹後半島の付け根に与謝野町という町があります。そこに結構大きい昭和2(1927)年に建てられた昔の木造庁舎があるのです。これをリフォームして町で再活用したいという話が来ました。そうすると、第一にその建築の安全性を確かめなくてはなりません。ちょうど大きな被害を出した北丹後地震の直後に建てられた建物なので、町としては残して使いたい。

 見てみると、いろいろなところに不具合があるのです。良く調査して構造的な特徴を明らかにする。その後で、工学的に明らかでないものは実験して確かめる。そういうデータを集めて耐震性能を評価して新たに設計していくという流れです。その中で、材料としてコンクリートの基礎を抜き取って再現して補強する方法を提案したりしています」

――1927年だと基礎はかなり弱そうですね。

 「その頃はコンクリートが入ってきているので、その時代の建物すべてが弱いわけではありません。ただ、現場がかなり田舎なので、多分、材料も高価だったこともあって品質が悪いのです。それを補強しないといけないというのが一番のテーマとしてあります。実験するにあたって、その品質の悪いコンクリートの試験体を作らないといけないので、その再現がすごく難しいのです」

立派な木造の本棚がある須田先生の研究室――素人的にはよくある耐震補強工事のように鉄骨でも使って補強すれば良いのではと思いますが。

 「要は古い建物のいいところは古い外観がそのまま残っているのが重要なのです。町もそれがシンボリックに残るから良いのです。だから、そうやって鉄骨がむき出しで丈夫になっても町の人は面白くないのです。見えないところで補強するというのが重要なのです」

――金沢も残さなければいけない建築が多そうですが。

 「私も伝統的な建築をやっているので関心はあります。武家屋敷や主計(かずえ)町、ひがし茶屋街などは多分、まだ大きな災害に見舞われていないのです。例えばの話ですが、もし金沢市を巻き込む大地震が発生したら、これらの地区にある建築は倒壊してしまうでしょう。そして同じものは二度と造れません。だから、この辺の耐震化はもうちょっと何かしないといけないと思います」

――外観を損なわせず進める方法があるのですか?

 「まさに、その方法を研究したいのですよ(笑)。難しいのは主計町なら主計町、茶屋街なら茶屋街と、地域によって建物の特徴があるのです。ですから耐震補強のやり方も違うのです。そこら辺を一つ一つ丁寧にやって、補強方法を提案し耐震化を進めていけたらと思っています」

 高校の恩師から「君は大学に行くべきではない」とまで言われた"劣等生"が一念発起してKITに。さらに就活でも躓いたが、知り合いの研究者に助けられてアカデミックな道へ。須田先生の経歴はなかなかドラマチックだ。

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