池永先生はKITで修士を終えられた後に、地元金沢市の優良企業・澁谷工業に勤務するも、どうしても子供の頃の夢の研究者になりたくてまたKITに戻ってこられた。今でも原子1個、1個をコントロールして新材料を作る研究で夢を追い続けている。
――先生は大阪のご出身でKITにこられたのは何か理由があったのですか?
「大阪にいると金沢工業大という名前は当時、全然聞こえてこなかったのですよ。だけども、大阪には大阪産業大学とか大阪工業大学などいろいろあって、大体みんな行くところが決まっているのです。それで何か面白みがないなという感じで。でも、関東、東京は人口が多いのでしんどそうだとも。やはり、金沢あたりが来やすいかなと」
――理系だったのですか?
「もともと中学生の頃から研究者になりたかった。機械いじりとかいろいろやっていた。イメージしていたのは科学者が白衣を着ていろいろやっている感じ。鉄腕アトムのお茶の水博士のような(笑)。でも教員になろうとは全く思っていなくて。一応、会社に就職したのですけど、白衣を着ているというよりは作業服を着て油まみれになっていたというのが実情でした」
――入社された澁谷工業はどのような会社ですか?
「金沢に本社があるボトリング機械の会社で、大体、身の回りにあるビン詰めされているものはほぼ国内トップシェアです。ペットボトルのお茶、コーラなどを充填する装置の国内シェアが70~80%もあります。
もともとは醤油のビン詰からスタートして日本酒になって、最近では清涼飲料水ですけれども。その他にもマヨネーズやケチャップなどいろいろなものを。最近では製薬設備の薬の搬送も含めて全部自動でやるとか。また力を入れているのが再生医療方面のプラントなども」
――先生はその会社で何を担当されたのですか?
「もともとはそういうビン詰以外に何か新しいことをやろうと、メカトロ事業部というのが立ち上がったのです。半導体の工程や医療機器も始めたのです。その中の一つにレーザーがあったのです。実はその頃、日本国内でレーザー発振器を作れる会社はなかったのです。その後、独自のレーザー発振器というのを初めて作ったのが澁谷工業だったのです」
――それはすごい技術力です。
「私が会社に入ってすぐにやったのがプラズマを使ったレーザー発振器です。最近では固体の発振器が使われていますが、溶接や鉄板の切断などは全部CO2レーザーです。
後、私が関わったのは会社としていろいろやってみたいということもあったので、いろいろな提案をしました。その中の一つはペットボトルの内面にコーティングしてガスが抜けないようにするというものです。そうすればビールの入れ物にペットボトルが使えてとても便利なのですが」
――でも、コーラやサイダーはすでにペットボトルがあるのでは?
「コーラなどは少し抜けてもいいように最初から高圧の炭酸ガスをわざと入れているのです。ところがビールをそうすると劣化が激しく味が変わってしまうのです。もう一つ、紫外線からバリアしないといけない。牛乳も同じです」
――個人的にはペット入りのビールがあるとありがたいです(笑)。
「ヨーロッパというか、ドイツには普通にあるのです。日本でも実際に作って売っているところもあるのですがあまり一般に広がっていない。ボトル、そのものにコストをかけたくない企業体質もあるでしょうし、ペットボトルはそんなにリサイクルできてないという事情もあります」
――話は元に戻りますが、先生はもともと電気工学科に入って、その後大学院ではプラズマ研究に進まれたのはなぜですか?
「我々の時代は研究室を選ぶのも、今みたいに行きたい研究室見学をして選んでも行けなかったような時代で。もう運だけなのです。電気に行きたいというのは入学の時に決まりますが、大学院に進む時に一応、研究室見学をして、いろいろアンケートのようなものはありましたけど、どこに行けるかは全く分からなかった。当時は日本の半導体が世界を席巻していたので、とにかく半導体をやりたいと、半導体がらみの研究室を行きたいリストの上位に並べて」
――そうしたらプラズマ関連の研究室だった?
「はい、最初の研究は半導体製造装置のプラズマ研究でした。これは一般の人は知らない世界です。ごく簡単に言うと、半導体というのはシリコンウエハーにボロンやヒ素などの元素イオンを注入して、トランジスターを作り、それでスイッチングやメモリーができてコンピュータの素になっていくわけです。そのイオン注入のイオンを供給するのがプラズマなのです。このプラズマを高密度にすればするほどたくさんイオンが取り出せるので短い時間で処理できます。それでイオン電流の大電流化に取り組んだのです」
原子1個、1個をコントロールしたい
――澁谷工業に勤められた後、もう一度、研究者に戻りたくなって、今度は石川県にある科学技術振興機構(JST)の研究所に入られたのですか?
「はい、そうです。この時もやはりプラズマなのですが、プラズマを使ってダイヤモンドライクカーボンという硬質膜、硬い膜を作ろうというプロジェクトでした。
それが終わって、ここKITの博士課程に入り直しました。ずっとプラズマ目線でやってきましたが、ここでちょっと材料に関する知識も蓄えなければいけないと思い、材料とプラズマという2つの知識で新しい観点から材料開発をしていこうと材料設計工学に入ったのです」
――最近ではどのような研究を?
「ボトムアップ式の材料設計と僕は勝手に言っているのですが、炭素原子を1個、1個綺麗に並べてグラファイトからダイヤまで人の手で設計して作れないかと考えています。プラズマというのはまさに原子1個、1個の世界なのです。プラズマをコントロールして出来上がる原子の積み方のテクニックを研究したいと。
でも、プラズマの扱いは学生には難しくて、今の4年生では扱うことが知識的にできないので、そこらへんが悩みです」
いったん、地元の優良企業に入社してから、また学術研究の世界に入り直すのはなかなか容易なことではない。池永先生の夢を追い続ける姿勢が少しでも今の学生たちに伝わればと思う。