現在の我々の生活を支えてくれているのは交流電力システム。その重要機材の一つが電圧をコントロールしてくれる変圧器(トランス)だ。一般人には馴染みのない、実に地味な存在だが、実際は騒音を出したり内部が劣化したりするので絶え間ない研究、開発が進められている。長い間、このトランスの研究をしてこられた宮城先生の話をうかがった。
----先生は室蘭工業大学電気工学科のご出身ですが、大学に入るとき電気関係に進みたいという何かきっかけはあったのですか?
「特に電気をやりたいというわけではなくて、当時、電気とか電子は工学部の中で割と競争率の高い人気学科でした。そこで挑戦してやろうと。
電気に入って特に何をやりたいということもなかったのですが、目に見えない電気を見る事ができるという研究室に衝撃を受けました。そこで研究していたのはいわゆる放電の実験です。雷もそうですが、放電現象そのものは大昔からあるのですが、電気を肉眼で見る方法というのはそれほど多くないので面白いと思ったのです」
----それで修士にまで進まれて放電のどのような研究を?
「対象物としては電線を絶縁する碍子(がいし)ですね。碍子に汚れが付きますと電気を通しやすくなってしまうのです。基礎実験としては液体の上に電極を置いて放電させて観測します。その時にシュリーレン法という方法を初めて使いました。これを使うとマイクロセカンド、100万分の1秒という短い時間での放電の変化の様子がわかります」
*透明な物質の中で場所により光の屈折率が違うとき、縞模様やもや状の影が見える現象をシュリーレン現象と呼ぶ。暑い日に長時間日光が当たった自動車の屋根の上にもやのようなものが見える事がある。これは温度によって空気の密度が変わるためにおこるシュリーレン現象の一つだ。シュリーレン現象を利用して目に見えないものを見えるようにするのがシュリーレン法だ。シュリーレンはドイツ語のSchliere(むら)からきている。
----修士を終えられて、重電関連が専門の明電舎に入社され沼津の電力機器工場に配属されます。室蘭から沼津だと暖かくて暮らしやすかったですか。ここではどんな仕事をされたのですか?
「いいえ、北海道の寒さに慣れていると最初、沼津は蒸し暑く感じました。慣れるまで夏の暑さはつらかったです。ここで電力用変圧器、トランスの研究開発をしていました」
----トランスというと素人の私には、まだ研究すべきことがあるのかと思ってしまいます。現代においてトランスの研究開発というと何が難しいのですか?
「難しい点はたくさんあります。これからもまだまだ出てきます。その一つは音です。騒音。ブーンという動作音。中は電線をくるくる巻いたコイルだからどうしても動くのです。そのために音が出る。
それでいかに振動を抑えるか、少なくするかというのは課題として残っています。他に、中に入れる油ですが、化石燃料をなるべく使わないようにして植物性の油に替えていこうという動きもあります」
----それは冷却用の油ですか?
「そうです。絶縁冷却媒体と言っています。油というものはトランスにとって絶縁と冷却を兼ね備えた、手放せないものなのです。他の材料に置き換えるというわけにはいかないので、今は品質、品を替えるということで化石燃料を使わない動きがでてきた」
----トランスの油は入れ替えるのですか?
「入れ替えます。劣化もしますしメンテナンスも10年とか15年ぐらいにやります。その時は一旦、タンクの油を抜いて内部を点検したりしますので。
いつ壊れるか分かりませんから。人間の健康の診断は第一に血液を検査してどこが悪いか診断しますよね。診断技術と言いますが、変圧器も同じで中に入っている油を分析するのです。ガス分析といって油中のガス成分によって、どこら辺に異常があるのか、あるいは正常なのか判断できるのです。100%当たるとは限りませんが」
----しかし、変圧器は可動部分もないですし、そんなに悪くなるのですか?
「熱がかかるのです。変圧器自体の効率は99%以上なのですけれども、その残りの1%以下が熱です。結構この熱というのはやっかいなのです。決して高電圧のものばかりではありません。そこら辺りの電柱の上にあるポールトランスにも全部、油は入っています。油が入っていないのは乾式といって、テレビやラジオなどに使う低電力のものだけです」
次世代の電力システムの開発も
----先生は明電舎から直にKITに来られたのですか?
「20年間、明電舎におりまして、その後日本AEパワーシステムズという会社に転籍しました。これはどのような会社かと言いますと、日立と富士電機と明電舎の3社が送変電分野に特化して包括業務提携ということで設立された会社なのです。
ところが、その会社は2012年3月に合弁解消することになり、縁あってKITにくることになりました。会社自体は割とうまく行っていた会社なのですが、それぞれの親会社が電力事業を経営の柱の一つにする動きがでてきまして結局分かれることに。結局、会社の偉い人たちは先を見ようとしてもせいぜい5年くらいなのですね。10年先を見える人はほとんどいない」
----重電は昔、メンテナンスしかないような地味な分野でしたが、今は途上国へのインフラ輸出ということで状況が変わったということですね。
「やはり最初合弁したときは国内しか見てなかったのです。それでお前ら何とか自分たちでやっていけよと、いろいろと人と金と資産をやるからということで一つの会社を作ったのです。これはもう親会社とは独立した会社、資本も全て独立している。それでやったのですけれども、やはり世の中を広く、世界を見れば電力需要は相当ありますよということになって、親会社はまた電力部門が欲しくなったのです」
----今後、KITではどのような研究を? 若い学生さんにはどのように研究の面白さを伝えていきたいと思いますか?
「実際に放電現象は目で見て、しかも、いろいろな要素によって違ってくるのだということを体験してもらいたいです。今は雷を模擬したものしかやっていませんが。
あと、産学協同で次世代に向けた効率的で環境負荷の少ない電力供給システムの構築を目指しています」
宮城先生は30年間、メーカーの第一線のエンジニアとして多くの「ヒト・モノ・コトづくり」を経験してこられ2012年にKITに来られた。産業界はエンジニアに「問題解決力、変化対応力、技術力」を求めている。先生はこうした能力を兼ね備えた学生を育成したいという。