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小泉成史 (こいずみ せいし)
早稲田大学理工修士。1974年読売新聞入社。1984年マサチューセッツ工科大学ヴァヌ―バー・ブッシュ・フェロー。米国歴史博物館客員研究員。2002-06年テレビ朝日コメンテーター。03年より金沢工業大学客員教授。著書「おススメ博物館」(文春新書)など。

「地震嫌い」から研究をスタート

カテゴリ:建築学科
2015.09.15
 

建築学科 山岸 邦彰 准教授 山岸先生はKIT教員録の自己紹介欄に「幼少より地震が嫌いであったため、地震に強い建物づくりを目指して建築を志しました」と書かれている。筆者は今まで多くの耐震工学者、建築構造学者に会ってきたが、地震が嫌いだったので耐震を目指したという研究者は初めてだ。

----地震が嫌いになった理由は何かあるのですか?

 「実家は東京の渋谷区にあります。母親が素人ながらも建築に興味があり、方眼紙と鉛筆を片手に家の改修図面を何枚も書いていたのを覚えています。家の間取りを考えているうちは良いのですが、暗い家はいやだ、通風がないと駄目だ、ということになり大工さんに頼んであちこちの壁に窓を開けてしまったのです。窓を空けろと指示する方も問題ですが、それに応じた大工にも問題があります。そして、よく揺れる家が出来上がりました(笑)。

 私が高校1年生の時に東京で震度5の地震があったのですが、家は激しく揺れ、私の血の気はひき、大げさですが齢15にしてもう死ぬのかなと思いました。そのような体験があったので自分は地震に強い建物を造りたいと。一般的に、建築を目指す人はデザインをやりたいというのが多いのですが、私の場合、デザインはひとまずおいて、とにかく地震に強く、大きい地震がきても内部の人が生き延びることができるような建築を作りたいという思いが強かったのです」

----それで早稲田大学の建築学科に進まれました。構造では何を学ばれたのですか?

 「4年生でゼミに配属されるのですが、当初は耐震構造や地震動などの研究を行うはずでした。しかし、指導教員に地震の揺れをコントロールできる制震技術のデモンストレーションを目の前で見せられ、これは面白いと飛びつき今に至っています(笑)。

 修士ではスロッシング・ダンパー( sloshing damper )について研究しました。スロッシングとは容器内の液体が揺れ動く様子を言い、コップの中の水が揺れている様を想像してくれれば分かりやすいでしょう。

 建物の上部に液体の入ったタンクを置きます。建物の揺れとスロッシングが同調すると建物の揺れが小さくなります。これがスロッシング・ダンパーの原理です。ただし、地震がないときはタンク内の液体は何の役にも立たず、ただのおもりです。そのためにそれを支える柱が大きくなり不経済です。もう少し高率的なスロッシング・ダンパーはできないかと、容器形状や液体の粘度を変えて実験を行いました。」

「地震嫌いだか地震の研究は好き」と山岸先生----実際に日本でスロッシング・ダンパーが使われた例はあったのですか?

 「ありました。1980年代の終わり頃に、香川県の多度津町にあるゴールドタワーという高さ158mの展望タワーで使われていました」

----水は単なる重りではなくて防火用水などで使えないのですか?

 「使用することは可能です。しかし、飲料用としては品質管理などの面で問題があるのと、水量の調整などのためにメンテナンスが必要になるため、実用的ではありません。また、スロッシング・ダンパーは塔のような揺れの周期が長い構造物だと効果的なのですが、周期の短い10階建てぐらいの建物だと、実はあまり効かないのです」

----その後はどのような研究を?

 「私は修士で卒業して、94年に三井建設(現・三井住友建設)に入社し、すぐに技術研究所に配属されました。そして1年も経たない翌年の1995年1月に神戸市を中心に兵庫県南部地震が起きたのです。そこで、『おまえは地震動の研究をやれ』という話になりました。地震そのものは嫌いですが、地震の研究は好きでしたので、願ったりかなったりでした」

----そして2011年3月11日には東日本大震災が起きてしまいます。神戸と東北では建物の被害に違いはあったのですか?

 「東北の時、ここ金沢では震度2でしたが、まったく気付きませんでした。私が生きているうちにマグニチュード9が日本近海で起きるなどというのは思ってもみなかったことで、とても衝撃的でした。

 神戸では大きなパルスにより建物が壊滅的に破壊されました。東北ではパルスの大きさは神戸に比べて小さいのですが、比較的長い間揺れが続きました。そうすると、例えば鉄筋コンクリート造の柱に斜めの亀裂が徐々に大きくなり、最終的にせん断破壊という柱がそのひび割れに沿って滑り落ちるような破壊が生じます。以前の建物ではせん断破壊を防止する鉄筋の量が少なく、このような破壊が生じやすくなっています。津波被害ばかりに目がいってしまいがちですが、古い建物を中心にこのような破壊が報告されています」

BCP主任管理者の資格も

----研究所の次は建築事業企画部に移られます。

 「研究所は顧客に会う機会が多くありません。顧客と会い、今求められている技術や、展開できる保有技術を知る機会が欲しいと、研究者らしからぬ『営業』を希望していました。時間は掛かりましたが本店の営業部門に異動することができました。

 建築事業企画部では、将来の受注計画の立案や、潜在する技術や無償化された技術の事業展開などを企画する部です。これまで培った技術がどのように展開されるか、また受注に繋げることができるかなど、いろいろと試してみたいという気持ちがありました。

 ちょうどその頃、産業界ではBCP(Business Continuity Plan:事業継続計画)の必要性が謳われました。BCPとは地震など大災害があっても事業を速やかに継続させていく計画です。そこで「おまえは地震の研究者だろ。BCPをやれ」ということになって。取り組みだしたのですが、徐々にBCPが分かってくると、地震だけでなく会社経営に係る、手にあまるすごいことに携わらされてしまったという感じもありました」

----縁あって、09年からKITに来られました。BCPの研究はこれからも続けていかれるのですか?

 「国内に事業継続推進機構というNPO法人があって、そこが認証している事業継続主任管理者という資格を持っています。ですから、地元の企業からBCPに関する相談があれば、いろいろとアドバイスはできるのですが、まだ石川県ではBCPがあまり浸透していないようです。しかし、地域の事業継続性が高まるよう微力を尽くしたいと考えています」

----企業はともかく大学でBCPを持っているとこはあるのですか?

 「ほとんどないです。ただ、徳島大学は地域企業と連携してBCPの策定のサポートをしています。南海トラフ地震が切迫するという危機意識の高さの現れなのでしょう。最近では室蘭工業大学が事業継続マネジメントシステム( BCMS )の国際認証を取得していますし、東日本のある大学ではBCPを策定中であると聞いています。徐々に大学においてもBCPが浸透しています。徳島大学のように、地域と連携しながらBCPを進め、地域としての事業継続性を高めることができれば素晴らしいことだと思います。ある危難が襲ってきても、危難が去った瞬間から普段と同じ活動ができることが究極の事業継続だと思っています。」

----他にはどのような研究を?

 「産業を立地する際に自然災害だけでなく、事業環境なども含めた総合リスク指標を作りたいと考えています。そして事業リスクの可視化によりリスク分散を積極的に進めるべきだと考えます。その他にも、マンションなどの上階で子どもが飛び跳ねて生じるドスンと聞こえる重量床衝撃音を減らす研究や、建設業界の現状を憂いて生産性を高める工法の研究などを行っています」

学生を指導する山岸先生 太平洋側の企業や個人が地震に備えて、日本海側にも予備の拠点や住居を構えるという話は時々、耳にする。でも日本海側だって絶対安全とは限らない、いろいろな想定をしておく必要があるという先生の話は新鮮だった。

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