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小泉成史 (こいずみ せいし)
早稲田大学理工修士。1974年読売新聞入社。1984年マサチューセッツ工科大学ヴァヌ―バー・ブッシュ・フェロー。米国歴史博物館客員研究員。2002-06年テレビ朝日コメンテーター。03年より金沢工業大学客員教授。著書「おススメ博物館」(文春新書)など。

空間と社会を一体的にデザインする

カテゴリ:建築学科
2019.06.24
 

建築学科 山田 圭二郎 准教授 山田先生は現在、建築学科に籍を置かれているが、大学学部の時は土木学科だったという珍しいご経歴だ。いかにして土木から建築に移られたか、その経緯を伺った

――先生はもともと京都大学土木学科のご出身ですが、何か土木に行こうとするきっかけはあったのですか?

 「父親が京大出身だったので憧れていました。元々は建築をやりたかったので、現役の時は建築を受け落ちました。一浪の時、安全を考えて、当時、少し偏差値の低かった土木にしたのです。同じ空間を扱う学問ですし」

――土木学科の中でデザイン関係を勉強しようとしたわけですね。

 「いや、土木も建築と同じように空間をデザインするものだと思って入ったのです。ところが実際に授業でやるのはほぼ力学系の計算ばかりなのですよ(笑)。

 構造物というのは構造のシステムだけを描くわけではなくて、形としてあるではないですか。授業でやるのはシステムの話しかありません。これが実際、どういう橋の形になるのだということはほとんど意識されないので習わないのです」

――それは困りました。

 「これはもうやっていけないと、建築学科に転学科しようかなとも思ったりしたのですが、踏ん切りがつかずズルズルと土木にいました。しかし、土木でもデザインをするという分野が作られていたのです。提唱した方は東京大学出身で東京工業大学の教授をしておられた中村良夫先生です。中村先生の書かれた『風景学入門』を読んで、これだと思いました。

 それで京大の研究室を良く調べると建築と土木が一緒になっている研究室があったのです。教授が建築系で助教授が土木系、そういう研究室があることがわかり、ではそこを目指そうということになったのです」

――調べないと分からないものなのですか?

 「そうなのです。今の学生さんは真面目なので研究室や先生のことを良く調べますが、僕らの頃は、そういう感じはなくて。たまたま3年生の冬休みの読書レポートの課題の1冊に『風景学入門』があって、それを読んで、この分野を知ったのです。4年生のゼミの時は行けなかったのですが、大学院から受け直して無事にその環境地球工学の研究室に行けたのです」

――修士課程に進まれて、どのような研究をされたのですか?

 「修士の時は用水路の研究をしました。京都には多くの用水があります。川から引いてきた水を最終的に個人の家の敷地の中に取り込んで庭の遣り水として使ったりします。そういうパブリックな空間の水をプライベートな空間に流し込むというやり方ですね。

 一例をあげると琵琶湖疏水から引いてきた水が東山の別荘群、庭園群に流れていくネットワークがあります」

――修士の後は?

 「大学に残るのか就職するのか決心がつかないまま、逃亡してスペイン旅行に行っていました(笑)。いわゆるモラトリアム(現実逃避)です。

 旅行から帰ってきたら、助教授の先生が『来年、東京から偉い先生が来るから、君、そこの助手にならないか?』と声をかけてくれたのです。その偉い先生が何と『風景学』の中村先生だったのです」

著書を手にする山田先生――それは、すごいラッキーな偶然ですね。私は新聞記者時代、中村先生に東工大でインタビューしたことがあります。『風景学』、いわゆる景観工学というのはかなり斬新な感じがしたので。その後、京大に移られていたのだ。全く知りませんでした。

 「当時、教授の定年は東工大が60歳で京大が63歳だったので、中村先生は最後の4年間(最初の1年は東工大と併任)京大に移られたのです」

――山田先生はドクターの時はどのような研究を?

 「基本的には修士の時と同じです。要するに都市を取り囲んでいる大きな自然環境やパブリック空間を最終的に個人の敷地内のプライベートな空間に取り込んでいくという、ある種の日本の文化体系を論じています」

――都市の話をすると、日本はこれから人口減なのでこれまでの拡大する都市からなるべく住民に集まって住んでもらうコンパクト・シティが話題になっています。

 「日本は地方の田舎まで道路が整備されていますが、これからは財政も厳しく、そういうものを維持していくとかなりコストがかかる。できるだけ都心に人を居住させて、エネルギーや環境負荷をできるだけ少なくする。公共交通も整備してお年寄りも利用しやすくする。最近はスマート・ウエルネス・シティとか健康的な要素も入ってきています」

――金沢市もそのような方向に行くのでしょうか?

 「金沢もそちらの方向に行こうとしているところなのです。昔の金沢は駅より東側しかまちはなくて本当にコンパクトだったのです。もちろん需要があったから外に展開せざるを得なかったと思います。ここから、それをどのように縮めていくのかということは結構、重要な問題で、どういう姿に都市をもう一度していくかということとセットで考えるべきだと思います」

景観の危機は社会の危機

――先生はこれからKITでどんな研究を?

 「僕自身がここで何をやるかというよりは、ずっとやってきている景観やあるいは都市そのものが今どんどん壊れてきているではないですか。今ある景観も変わっていくし、いいものだって無くなっていく。都市も農村も人口が少なくなっていく。地域そのものが存続の危機にあるではないですか。

 そもそも都市がどう持続可能性を持ち得るのかということと、そこの風景をどう維持できるにかということはほぼ一緒のことなのです。空間や景観の問題と社会の問題は重なっているのでセットで考えないといけない。それが今、自分の中に大きなテーマとしてあって、それは僕一人では解決はもちろん無理なので、行政学や社会哲学、公共経営学などの専門家のメンバーが集まって研究会を作っています。そこで得たことをまとめて出版して成果を出していきたいと思っています」

「風景の維持は社会の維持」と山田先生 私見だが、これからの大学は就職率や施設の充実よりも、社会変革の大きなテーマを呼びかける方が若い人を惹きつけるような気がする。その点、前回の平本篤太郎先生( http://kitnetblog.kitnet.jp/koizumi/2019/05/post-106.html#more )や今回の山田圭二郎先生のような大きなテーマを持っていて心強い存在だ。

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