来年、2010年は平城遷都1300年ということで奈良大和路ブームが始まっている。奈良にある法隆寺・金堂は世界最古の木造建築であることが示すように、木造建築は日本文化の中心といっても良い。
一方、鉄やコンクリートによる住宅が増えたとはいえ、現代でもまだまだ身の回りの住宅建築は圧倒的に木造が多い。長い間圧倒的な木造建築群に囲まれながらその耐震性などの科学的研究は驚くほど少なかったという。後藤先生は構造力学の立場から長年、木造建築の研究に携わってきた。
――木造の構造の専門家は少なかったのですか?
「私が大学院時代の24-25年前は建築基準法の木造関係は農学部関連の先生が主になって作っていたくらいです。なぜかというと農学部には林業があり、木材を多量に使うのは建築ということでした。
木造の論文を調べると、戦前の1940年ぐらいまではあるのです。そこから67-68年まで、もう木造に関する論文はないのです。材料として木材の論文はあるかもしれませんけど、建築としてのメジャーな論文は投稿されてなかった。
だから、学問としての建築の世界は戦後、もうコンクリートと鉄の世界で、木造の住宅は大工さんにお任せというような状況だったのです。それが所得倍増や持ち家政策とかで国家プロジェクトが動き出して少し予算がつき始めました。」
――ところが状況がガラッと変わった。
「きっかけは95年の阪神大震災です。大震災の次の年、極端に言うと外部委託による木造関連の研究費が100倍近くになりました。でもやっぱり林野庁がらみであって、建設担当の国土交通省ではないのですよ(笑)。私もいろいろな委員会に呼ばれたり、耐震実験できるところがないので、KITにやってくれないかというお呼びがかかったりしました。
もちろん、神戸へ現地調査にも行きました。震災1週間後ですけど建築学会の調査員として入りました。泊まるところがないので、お寺のお堂を借りてしょっちゅうお葬式をしているところの隣で寝袋を持っていって寝ました。ただ、そのお寺は井戸水だったので、断水せずに助かりましたが。」
阪神・淡路大震災は1995年1月17日、兵庫県南部地震(マグニチュード7.3)によりひき起こされた大災害。死者約6400人のうち約5000人が木造住宅の下敷きで亡くなった。筆者も直後に取材に行き、多くの木造住宅が倒壊しているのを目の当たりにして衝撃を受けた記憶がある。日本に最も多い木造建築の耐震性がきちんと研究されていなかったのだ。
――その流れで伝統建築の耐震性も手がけだしたわけですね?
「それまで耐震設計の基準そのものがありませんでした。縁があって京都大学の防災研の先生と一緒に研究をすることになり、京都もそうですが、ここ金沢も古い町並みがあるので、それの防災を中心にしようということになりました。
土壁の実験とか柱と梁の軸組の実験とかを京都の先生と一緒にやっていく中で、東本願寺から依頼がありました。2011年に親鸞聖人、750回御遠忌(ごえんき)というのが行われる。門徒さんが4000人も入って法要することもあるので耐震性を調べて欲しいというのです。東本願寺は4代目で完成したのが明治14年でそれほど古くはなくまだ文化財にはなっていません。」
――図面もないでしょうし、どうやって耐震性を調べるのですか?
「まず、天井裏に上がったのですが、100年分のローソクのススで真っ暗。懐中電灯を照らしても近くが見えるだけで全体像が分からないのです。それで現地調査をして50分の1の模型を作り出したのですが、7-8年かかってしまいました。
その他、部分的に2分の1とか3分の1の模型を作り京大の防災研の振動台でゆすったりしました。結果は耐震的にちょっと補強しなくてはいけないという程度で済みました。伝統木造は皆さんが思われているほど弱くはないので(笑)」
木材の特性を知ることが大切
――最近は木材そのものにもご興味を持たれているそうですが。
「僕ら木造、木造と言いながら木自体のこと分かっていなくて。徳島県へ行き林業の人たちと一緒に研究をしたりして眼を開かされました。
今までは木は材質がバラつくから一番下の強度でやっていけばいいと、どちらかというと鉄骨のような方法で設計していたのですが、木の性質をちゃんと知ればバラつかないし、木は木ごとに特性があるので、その特性を踏まえてちゃんとチェックすれば同じ性能の木材がいくらでも確保できるということが分かってきました。
同じスギでも樹齢によって性質が全然違うのです。樹齢20-30年のスギはまだ成長期なので家具などにすると狂ってしまうのですが、樹齢80年以上だと家具にしても全然狂わないのです」
後藤先生のように、構造力学の視点を踏まえた上で、さらに木材に関するエコロジカルな知識が加われば、さらに進化した21世紀の木造建築の展開が期待できそうだ。