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小泉成史 (こいずみ せいし)
早稲田大学理工修士。1974年読売新聞入社。1984年マサチューセッツ工科大学ヴァヌ―バー・ブッシュ・フェロー。米国歴史博物館客員研究員。2002-06年テレビ朝日コメンテーター。03年より金沢工業大学客員教授。著書「おススメ博物館」(文春新書)など。

都市環境の中で音を考える

カテゴリ:建築学科
2013.11.21
 

建築学科 土田 義郎 教授 日本に長く住んでいると気がつかないが、わが国は街中や駅で無用で無神経な音が溢れているらしい。その日本の都市環境の中で、土田先生は音の持つ重要性に着目、効果的な警告音の出し方や快適な音環境、サウンドスケープについても研究するなど多方面に活躍している

----先生は早稲田大学理工学部建築学科のご出身で、学部の卒論は尾島俊雄教授に指導を受けられたそうです。尾島先生を選ばれた理由は?

 「尾島先生が非常にユニークで面白かったのが一番大きいです。高校時代にローマクラブの"成長の限界"とか、そういう環境問題が非常に言われるようになって、建築をやる上でも、やはり環境のことを考えないといけないだろうということで。

 そのようなことに一番近いことをやっていたのが尾島先生です。当時は首都移転構想とか、いろいろと大きな風呂敷も広げていらっしゃいました」

*尾島俊雄 早大学名誉教授は元々、建築設備の研究者だったが、「熱くなる大都市」(1974年)といった著書で早くからヒートアイランド現象に着目し都市の環境問題に警鐘をならして来た研究者として有名だ。

----というと先生も最初は熱関連の研究をしていたのですか?

 「ええ。学部時代は熱の研究を行っていました。それで一晩中、銀座の街路で地面の温度を測ったりしていました。当然、修士は尾島研に進みたかったのですが、推薦の枠がぎりぎり私の前で終わってしまったので、仕方がなく(笑)受験して東京大学に行きました。それこそ、尾島先生におだてられて"受かるよ。受けてごらん"と。

 東大では音響が専門の安岡正人先生の研究室に入ることになりました。音響の勉強は大学院で始めたようなものです」

----でも、もともと音には興味があったのでは?

 「そうですね。音楽も好きでしたし、環境問題の中には騒音関連の話もあります。修士の時は音だけでなく、心理にもちょっと興味があったのです。高校時代から心理学や精神分析などもごっちゃにして、フロイトや心理学者の宮城音弥氏などの本を読んでいました。上っ面の知識しかなかったのですが、もう少し勉強すれば心理学も面白そうだなと。

 それで安岡研究室の助手の方が景観の分析といった心理的なこともやられていたので、音の心理的分析といった、間をとったようなことをやっていました。まあ、人間には良く分からないところがありますから、そういうところに非常に興味を持っていたのは事実です。いまだに苦労していますから」

----それで東大の助手になられてから、ご縁があって1992年に講師としてKITに来て、助教授を経て2004年から現職になられるわけですね。KITに来られてから、音と環境でどのような研究してこられたのですか?

 「修士のころは、遮音性能の評価みたいな建築寄りの話を中心にやっていました。ドクターでは、ちょっと違うことをやらねばならないと思って、もう少し都市的なレベルでみて音の問題はないかと考え始めたのです。そして音のサインの研究に行き当たったのです。今でこそ、視覚障害者のために信号が音を出すとか、高齢者が踏切の報知の音が聞こえにくいといった問題が話題になっていますが、当時はそんなことはまだ問題になっていませんでした」

----音の聞き違いが事故に繫がることもあるそうですね。

 「88年に横須賀沖の東京湾で海上自衛隊の潜水艦と遊漁船が衝突した事故がありました。右に行くという音(汽笛)は短い"短声"で、左に行くは長く鳴らす"長声"ですが、危ないと警告するのも、ずっと鳴らすのです。潜水艦は長く鳴らしたので漁船は"左"なのか"警告"なのか分からなくなってしまったのです。

 もう一つ、首都高のトンネルで火災があった時、信号が赤になっているのにどんどん後続の車が突っ込んでいくという事故がありました。警告のサイレンがすっと鳴っていたのですが、みんな停まらなかったのです。それはサイレンが鳴っていたからで、ドライバーはパトカーとか消防車が通っているなとしか認識しなかったという例があります。

 音についてはそのような認識上の問題があるということで、記号的な機能に関する音の研究という博士論文にしました」

----なるほど、それから視覚障害者のための音のサインなどへと繫がっていくのですか?

 「はい、その辺の関係はずっとウオッチしてきたつもりです。それから高齢者の耳の問題なども出てきました。高齢者は家電製品の"お知らせ音"などが聞こえにくいのです。それでパナソニックさんと共同研究を始めました。今は昔より留守番電話の"ピーと鳴ったら"の"ピー"の音とか、報知音の音が全部低くなっているのです」

今でもスキ間の学問です

----音関連の研究を建築の方からアプローチするのは面白いですね。通信関係の学科の研究者がやるのかと思っていました。

 「スキ間だったのです。建築の人もあまりやってこなかったですし、電気音響というような人もやってこなかったのです。ちょうど人間と環境のインターフェイスの部分なのです。工場の危険を知らせるための音、報知音が周りの騒音に負けて聞こえなかったりというような問題もあったりして。それでISO(国際標準化機構)の規格が出て来たりしました。

 今でもスキ間のような感じです。学問分野は10年、20年ではなかなか変わりません。50年、100年かからないと分野としては確立してこないのです。今、音響学会の中にも音バリアフリー委員会といった分野が少しずつ出てきてはいますが」

「学問の分野は10年、20年では変わりません」と語る土田教授----音バリアフリーですか?

 「駅などで視覚障害者のためのサインが出来ているのはご存知ですね。改札口で"ピン、ポン"、階段で"鳥の声"が奨励されたのですが、それもまた徐々に変わりつつあります。というのは"ピン、ポン"や"鳥の声"が障害者ではない人には意味が分からないと。"何かずっと鳴っているけど。うるさい"と苦情を言われたりするのです。あるいは駅員がずっと聞いていると耳に負荷になったりする。

 そのため経産省がらみのワーキンググループで3年間ぐらいかけて検討し、ガイドラインの改訂版がついこの間改訂されました」

研究室にあるご自慢の風鈴コレクション 土田先生はこの他、情緒としての音環境ということで月見光路( http://www.kanazawait.ac.jp/prj/tsukimi/about.html )で音を演出し神秘的な雰囲気を醸し出すことに成功している。良好な音環境づくりのためにサウンドスケープという概念の具体化だ。

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