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小泉成史 (こいずみ せいし)
早稲田大学理工修士。1974年読売新聞入社。1984年マサチューセッツ工科大学ヴァヌ―バー・ブッシュ・フェロー。米国歴史博物館客員研究員。2002-06年テレビ朝日コメンテーター。03年より金沢工業大学客員教授。著書「おススメ博物館」(文春新書)など。

AIを使って障がい者を支援

カテゴリ:情報工学科
2020.03.14
 

情報工学科 松井 くにお教授 今やコンピュータ業界にとどまらず産業界全体がAI ( Artificial Intelligence, 人工知能)ばやりだ。テレビCM でもAI の言葉を聞かない日はないくらいだ。現在は第3次AIブームだそうで、第2次は1980年代に起きた。松井先生はその頃から日本を代表するコンピュータ会社 富士通でAIの研究開発に取り組んでこられたという。先生からその一部をうかがった。

――いきなり失礼ですが、最近の子供はともかく先生のご年齢としては"くにお"という平仮名のお名前は珍しいですね。

 「実は父もコンピュータ技術者だったのです。ごく初期だったので8ビットの世界でした。8ビットだと256文字しか表現できないので、漢字はコンピュータでは表現できないと父は思っていたらしくて。

 もともと父は通産省関連の研究所にいて、辞めて静岡大学の教授になったのです。それで私も中3の時に東京から浜松に移りました。そして静岡大から富士通に入り、2017年から縁あってKITに来ました。期せずして父と同じような道を歩むことになりました」

――靜大の学部卒からすぐに富士通研究所に入られたのですか?

 「はい。当時は学部からでも研究所が採用してくれたのです。やはり平仮名の名前のこともあるので入社の時に"日本語処理、漢字処理がやりたいです"と言いました。そしたら、会社は"いや、日本語だけでなく英語も助けてよ"と言われ、最初にやったのは機械翻訳でした。その機械翻訳が、まさに私のAIとの出会いでした」

――機械翻訳というのはあまり聞いたことがありませんが?

 「今、Googleなどが普通にやっている、コンピュータを使ってする自動翻訳のことです。当時、英語でmachine translationと言ったので、それを直訳したわけです。

 人工知能の第2次ブームでした。ルールベースというのですけれど、プログラムはif then else いわゆる"もし、こうだったら、こうしましょう"、"そうでなかったらこうしましょう"というif then else の連続でお化けみたいなシステムだったのです。

 例えば医療診断とかですね。"こういう症状があったらこの病気だ"とか"そういう病気だったら、こう対処しましょう"と、といった具合です。翻訳は言葉をコンピュータで分析して日本語から英語に、英語から日本語に直すのです。

 現在のAIブームは第3次と言われ、学習系あるいはディープランニングという進化した方法が取れれています」

――そう言えば、当時の第2次人工知能は、専門家の知識、経験を、コンピュータに替わりにやらせるという意味でエキスパートシステムとも言っていたのを思い出しました。それで翻訳もできたのですね。でも日本語は難しくないですか?

 「はい、よくそう聞かれるのですが、言葉の難しさはみんな一緒なのです。日本語が特に難しく見えるのは、単語と単語の間に切れ目がないからです。英語だとブランク、空白があって単語というのはしっかり分かれていますが、日本語の場合は全部続けて書くので、まずは文章を単語ごとにしっかり切り分けるということが必要になるのです。その単語に分けたものを分析していきましょうというので、そこはそれほど難しくはないのです」

――難しいのはどのようなところですか?

 「われわれの使っている言葉というのは色々な意味があるのです。例えば英語だとspringには"春"と"バネ"という2つの意味があります。1つの言葉が、いろいろな意味を持っていることがいくらでもあるので、それを解析するのは難しい。

 例えばspringが春の方だったら、当然、前後の言葉は季節とか花とか、そのような言葉がたくさん出てくるはずです。一方、バネだったら機械系のネジとか歯車とか出てきます。他の周りの言葉が決め手になって、その言葉の意味が決まってくる、そこを分析するのがポイントです」

――その機械翻訳の研究は実用化に結びついたのですか?

 「もちろん企業の研究所ですから製品事業部とも関わりがあって、ATLASという機械翻訳システムになりました。レンタルですが、すごい高額になりましたが、自動車会社のマツダが最初のユーザーになってくれました。日本語の整備マニュアルを英語にしたいとのことでした」

障がい者支援システムを説明する松井先生――先生はその後、富士通の中国研究所を立ち上げたり、シリコンバレーで新事業を起こされたりしました。最先端で多彩な仕事をされた後、2017年からKITに来られました。ここではどのような研究をされていくつもりですか?

 「言葉を扱うことをやりたいのですが、現在、共同研究先の方と一緒にやっているのが、既存の点字ブロックを利用して、視覚障がい者の方にAIが周囲の情報を伝えるシステムです。点字ブロックにマークをつけておいて、これを視覚障がい者の方が、白杖に付けたカメラで読み取り、来た方向に合わせたきめ細かい情報をイヤホーンなどで教えてあげるのです。

 例えば、視覚障がい者がこの点字ブロックを手掛かりに歩いてきたとします。そうするとこのT字の角で"正面に金沢駅があります。右手には音楽堂があります"といった案内が聞こえるようにします。一方、90度違う方向から、この角に歩いてきた方には"左手に金沢駅があります"と違う案内を出さなければなりません。

 点字ブロックが十文字にクロスしている箇所では4つのどの方向から来たかによって案内メッセージを色々と変えることができるのです。

 2019年に金沢駅の地下通路で行った検証実験では様々なデータを得ることが出来、今後の研究開発に生かしていきたいと思っています」

学生はもっと質問を

――KITの学生はどうですか?

 「最近はどこの学生もそうかもしれませんが、静かですよね。おとなしい。やはりアメリカ、中国などでも学生を見る機会がありましたが、大きな違いは教室の席の埋まり方ですよ。アメリカや中国は前から埋まっていきますが、日本は反対に後ろから。

 質問も少ない。1年生は結構、質問をしてくるのですが、段々減ってくる(笑)。ある授業では終わりに授業の要旨を書いて提出させるのですが、必ず質問も書いてもらう。それを重視して次に授業では代表的な質問を選んで、それにきちんと答えてあげるようにしました。そうすると、質問のレベルがどんどん上がってくるのです。

 インタラクティブに毎回毎回、答えてあげると、"なるほど、こういう風に質問すればいいのか"と学んでくるのですね」

 「先祖は加賀藩の足軽」という松井先生 KIT教員録にある松井先生の自己紹介によると、150年前、先生のご先祖は加賀藩の足軽だったという。AI技術を携えた末裔、久しぶりの里帰りで思わぬアイデア、イノベーションが生まれるかもしれない。

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