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小泉成史 (こいずみ せいし)
早稲田大学理工修士。1974年読売新聞入社。1984年マサチューセッツ工科大学ヴァヌ―バー・ブッシュ・フェロー。米国歴史博物館客員研究員。2002-06年テレビ朝日コメンテーター。03年より金沢工業大学客員教授。著書「おススメ博物館」(文春新書)など。

自宅にいながら観光地を散策する!

カテゴリ:メディア情報学科
2018.09.29
 

メディア情報学科 中沢 憲二 教授 中沢先生は電電公社時代からディスプレー研究を核にICT(Information and Communication Technology = 情報通信技術)の激動の発展を身を持って体験してこられたという。先生の体験談は通信技術史としても興味深いお話だ。

――先生はもともと群馬県草津町のご出身ですが、国立の金沢大学工学部電子工学科に入学されました。何か、きっかけはあったのですか?

 「単に金沢に来たかったのです(笑)。高校生の頃から、作家の五木寛之さんの小説が好きで結構読んでいました。五木さんが通っていた喫茶店が香林坊にあったりして。受験する前に一度金沢に来て、ここだったら大学4年間住んで勉強したいなと。

 結局、大学院も含めて6年間いまして、32年後に縁あってKITに来て、また金沢に戻ってきたという感じです」

――金沢大学のキャンパスは当時、お城の中ですね。

 「そうです。すごく楽しかったですよ。大学1~2年の時は 5月の連休とかに 兼六園が無料開放する時がありました。そういった時は兼六園を通り、大学に通っていました。観光客気分でお城に行って勉強していました」

――電子工学専攻で修士を終えられて1983年に日本電信電話公社(現・NTT)に入られます。何か志望理由があったのですか? 先生や先輩に勧められたとか。

 「やはり、電電公社は大手ですから、そこへ行けば安心ですし。当然、選んだ理由としてはそれが一番大きいと思います。

 入って、東京武蔵野市にある武蔵野電気通信研究所に配属されました。いわゆる武蔵野通研です」

――入られて、何を研究されたのですか?

 「当時の状況を説明すると、85年に電電からNTTになりました。全国津々浦々に電話はもう引かれました。次のサービスとして光を使って何かやろうという状況だったのです。もちろん、この頃スマートフォンはなく、パソコンもインターネットも普及していません。
 
 光を使うとどんなサービスがあるかというと、すぐ思い浮かぶのが、ビデオ会議、テレビ会議、テレビ電話といったものです。それでテレビ電話、テレビ会議を次のNTTの目玉にしようと。研究所ですから広いビジョンをもってやっていこうと」

――というと、いわゆる INS(Information Network System = 高度情報通信システム)が話題になっていた頃ですね。記者時代に取材しました。

 「そうです。INSとかそういう話です。それでテレビ電話をやるには何が必要かということです。音に比べると当然映像ですから情報量はすごく多いです。ですからその情報量の多いものを小さくするような、いわゆる圧縮する技術も必要でしょう。

 それを伝送路に載せて通信する技術も必要でしょう。そして、ではお客さんが実際に使う時に用いるインターフェイスの端末はどうするのという話になったのです。その頃は映像が映るのはテレビに使われているブラウン管、全盛だったのです」

――もう少し時間が経つと、若い人でブラウン管を一度も見たことがないと言う人が出てくるかもしれません。黒電話と同様に。

 「そうですね。私が入社した時はそれが机の上にドカンと置いてあったのです。そういうモノを使って果たしてテレビ電話が普及するかという話があって。当時はまだ液晶ディスプレーも普及していませんでした。それだったら、自分たちでディスプレーを作ろうとNTTでも研究を始めたのです」

「広範囲に研究をしてきました」と中沢先生――それは知りませんでした。NTTはそんなことも手がけていたのですか。

 「驚かれるかもしれませんが、いわゆるディスク関連やデータの入れ物などもやっていたのです。それを考えると人間とのインターフェイスですからカメラやディスプレーの研究をしてもおかしくない感じでした。そのような気概でやっていたのです。

 もちろん他のメーカーさんも一生懸命やっていたと思います。その中でNTTも独自の研究開発をして将来はメーカーさんと組んでテレビ電話などに使えるようにしたいという狙いです。入社して、ちょうどそこに配属されたのです。最初にやったのはガラス基板の上に極小のトランジスターを1個1個精密に並べて、その上に液晶を載せて蓋をするといった技術です。たまたま私は金沢大学でアモルファスシリコンという半導体の膜作りやっていました。

 でも結果としてNTTブランドのディスプレーが出るとこまではいきませんでしたが」

――その次はどのような研究をされたのですか?

 「そういったディスプレー技術を生かして、では次にということで、大きい画面をやろうという話になりました。今でこそ4Kとか8Kがありますが、当時はそんな解像度のディスプレーはありません。

 その頃、挑戦したのは大画面による野球の中継です。野球はバックネット裏で見るのが一番いいわけです。ネット裏に行ったような感じで見られるディスプレーができると面白いねということで、ネット裏にハイビジョンのカメラを3台置いて、後楽園球場の都市対抗野球で NTTとどこかのチームが対戦した試合を映したりしていました。かなりの大きさで、これだと自分の好きなとこだけ注目して見ることができるのです」

学生からも刺激を受ける

――随分、広範囲に研究されているのですね。大学の先生にぴったりです。何でも教えられるわけだ。

 「ありがとうございます(笑)。NTTの中でもサイバースペース研究所やコミュニケーション科学基礎研究所に行ったりしています」

――2015年にKITに来られました。ここではどのような研究を目指していますか?

 「専門は高臨場感通信です。通信であたかもそこにいるような感じにするということです。例えば自宅にいながらにして兼六園での散歩を楽しむようなことができるようにすることです。

 もう一つは仮想世界ですね。今、ARとかVRとかよく言われていますが、現実世界に何か仮想世界のものを利用して、非常に便利なものを作るというような技術です。

 昨年の卒業生がやった研究ですが、自動車のナビと同じようなことをする。観光用の歩行者メガネです。メガネの中にディスプレーが入っていて、これをかけていれば、西も東も判らない観光客でも"21世紀美術館へは次の角を左へ曲がるよ"と案内が出るのです」

開発中のディスプレーをチェックする中沢先生――なるほど学生にとっては最先端で面白く、やりがいのある研究です。

 「学生には自分たちの殻の中に閉じこもっていてはまずい。学生には世の中にはどんなサービスがすでにあるかを常々言っていて、それと彼らの新しいアイデアとの違い、実現させるにはどうすると言ったことを問いかけながら進めています」

 こうしたやり取りの中で学生から得た情報で中沢先生自身も新鮮な刺激受けることもあるという。先生の技術的蓄積が学生の刺激でどのように進化していくか、興味深い。

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