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小泉成史 (こいずみ せいし)
早稲田大学理工修士。1974年読売新聞入社。1984年マサチューセッツ工科大学ヴァヌ―バー・ブッシュ・フェロー。米国歴史博物館客員研究員。2002-06年テレビ朝日コメンテーター。03年より金沢工業大学客員教授。著書「おススメ博物館」(文春新書)など。

歴史的建築の保存と活用を

カテゴリ:建築デザイン学科
2013.06.16
 

建築デザイン学科 中森 勉 教授 KITの建築関連学科はあまり一般には知られていないが、建築の歴史(建築史)の調査、研究体制が充実している。今までこのインタビューでも後藤正美先生( http://kitnetblog.kitnet.jp/koizumi/2009/10/post-18.html )や山崎幹泰先生( http://kitnetblog.kitnet.jp/koizumi/2010/11/post-40.html )らを紹介してきた。大学に於ける建築史の充実ぶりは北陸一で先生方は石川県だけでなく富山県や福井県からも声がかかり調査に訪れている。その先がけの一人が中森教授だ。 

——中森先生はKITを出られて、博士課程の時に助手になって以来、ずっとここにいらっしゃるのですね? 最初から建築史を研究されていたのですか?

 「KITは30数年になります。私はもともと設計が専門だったのです。恩師は田中光先生という方でした。あるきっかけで歴史も学ばねばと建築史の竺 覚暁(ちく・かくぎょう)先生のところに週一回通い出したのです。その後、研究のほうは建築史を専門にして、たまに田中先生を手伝ったりしながらやってきました。

——先生はレンガ造りの石川県立歴史博物館http://www.pref.ishikawa.jp/muse/rekihaku/の設立に係ってきたそうですね。

 「田中先生から本多の森公園にある旧陸軍の赤煉瓦建築3棟の調査や現場監督をしてくれと頼まれたのです。

 あの建築は兵器庫でした。兵器庫というと一般の人は機関銃など重火器を想像されるでしょうが、まだ明治の終わりから大正の初めですので、基本的には新兵の携帯するようなライフル銃なのです。拳銃はありません。軍服とか蚊帳(かや)とか、そういったものがずっと保管されていて。基本的に軽いものは2階で、下は石敷の土間で、荷車に載ったような小さな大砲がありました。弾の直径によって何ミリ砲とか書かれていました。

 出来たのは日清戦争が終わって直ぐでした。戦争ですから、兵隊を全国から集めたので解散するのはもったいないと、ついでに師団(軍隊の部隊単位の一つ)を作ってそのまま金沢に常駐させようと」

——そのような新しい師団はあちこちに出来たのですか?

 「金沢は第9師団ですが、新しくできたのが全国に6つぐらい。例えば四国の善通寺市とか。兵器庫の基本設計は東京の陸軍省でやります。基本図面ができたら、それを各師団の設計組織に渡して、その地域に適した要求の規模で造りなさいと。ですから、同じなのですが、微妙に規模や長さが違ったりするのです」

——きちんと残っているのは金沢だけですか?

 「善通寺にも残っています。自衛隊で使っています。ある意味では負の遺産なので大々的に宣伝するわけでもないのであまり知られていませんが、貴重な建築であることにかわりはないです」

——兵器庫を博物館にするには苦労されたのでは?内部は設計し直しですよね。

 「リニューアルは設計事務所にまかせて博物館のプランニングはしているのですが、基本的には重要文化財として文化庁に認めてもらわなくてはいけないので、外観と一部内部を昔通り再現しなければならないのです。

 どこまでオリジナルを残すか、消えている部分があったら、それを復元しなければならない。こうした作業を僕が担当したのです」

——それは忙しそうです。

 「竺先生の下で“おまえ、現場に行ってこい”と。昼間はKITで設計の授業をやって、夜や夕方に打ち合わせを行うという現場と学校の二重生活を7~8年しました。

 復元するだけでなく監理もしろということは設計事務所の上に立てということで、つまり僕の言うことを聞いて設計事務所や施工会社が動くことになる。解体工事では何が起きるか分からないですが、その度に工事が止まるのです.“これは先生に見てもらわないといけない”と、しょっちゅう呼び出されるのです」

——歴史博物館が原点で続いて旧・石川県庁(現・石川県政記念しいのき迎賓館)の調査も担当されます。

 「10数年前に石川県から評価してくれと頼まれました。県庁として現役で使われている時と、機能が新県庁移って丸ごと空になってからの2回です。

 あの建築は石造に見えますが、鉄筋コンクリート造でタイル張りです。現在はリニューアルされて元知事室は三ツ星レストランになっています」

「私は現場主義」と話す中森教授富山県でも町並みを調査

——石川県だけでなく隣の富山県高岡市でも調査をされています。

 「元はと言えば富山も加賀百万石、前田家の領地でしたから文化的には共通しています。高岡はいったん前田家の城下町になるのですが2代目 利長公が亡くなったら、もう城下町ではなくなり、武士達も全部金沢に引き揚げてくるのです。その後高岡は商工都市として発展します。しかし何度も大火にあったので不燃都市を目指して土蔵造にしたのです。その町並みを調査しました。

 同じ高岡に鋳物、鍋、釜を作っていたような職人、鋳物師(いもじ)というのですが、その職人集団が住んだ町並みが残っていて、2、3年前から、そこの調査も依頼されました。この地区、金屋町は2012年に伝統的建造物群保存地区として答申され、今年指定されました」

——現在はどのような調査をしていらっしゃいますか?

 「金沢市の浄水場が末町にあります。ここは昭和7年に完成した施設で今でも現役で働いているのです。1985年には近代水道百選、2001年には登録有形文化財に指定されています。ところが、入り口のすぐ脇に建っている建築だけ長い間に大改造されていまして、ほかの建物はみんな文化財になったのですが、これだけならなかったのです。それで金沢市としてはこれも昔の状態に戻せないかと。骨格は変わっていないのですが窓割りが変わっているので、実施設計に入る前の基本設計を研究室でやっています」

末浄水場の建築の模型を示す中森教授——学生たちは建物を実測したりして勉強になりそうです。

 「僕は学生の育て方として現場主義なところがあって、実際に物をみてどう感じるかは大事ですし、こうした仕事をやれば視野も広がるし人と会うためのコンタクトの取り方も分かるし、卒業した後で役立つと思います」

 インタビューの最後に出て来た末浄水場は噴水なども備え開設当時の近代的な造園技術を取り入れ、さらに美しさも追求しているユニークな施設だ。このような施設を調査するのはエキサイティングで研究者冥利につきるだろう。

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