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小泉成史 (こいずみ せいし)
早稲田大学理工修士。1974年読売新聞入社。1984年マサチューセッツ工科大学ヴァヌ―バー・ブッシュ・フェロー。米国歴史博物館客員研究員。2002-06年テレビ朝日コメンテーター。03年より金沢工業大学客員教授。著書「おススメ博物館」(文春新書)など。

遺伝子から金融まで幅広い経験を生かす

カテゴリ:情報工学科
2013.04.30
 

情報工学科 田嶋 耕治 教授 KITでは多くの先生に留学経験がある。でも、そのほとんどが社会人になってからの企業派遣や研究者として一人前になってからの留学だ。田嶋先生はまだ博士課程の学生の時にフランス政府の給費留学生という珍しい留学を経験されている。しかも行かれたのがトゥールーズという日本人にはあまり馴染みのない都市にある国立の研究所だ。田嶋先生にはそのいきさつからうかがった。

——先生は北海道大学から直接フランスのトゥールーズ国立科学研究センター(CNRS、http://www.cnrs.fr/index.php )に留学されたのですか?

 「ちょうど学部1年生の時に日本全国で大学紛争という騒ぎがありました。あちこちの大学で学生がストライキや授業ボイコットをしたのです。北大でも入学式が中止になって授業も4月からなくなってしまいました。そこで部活でもやろうかと思っていたところに、たまたまフランス語研究会が勧誘にきまして、それでちょっとフランス語をやったら、英語よりも面白そうだということで、そのまま入ってしまいました。

 そのフランス語研究会の2、3年上の先輩が、フランス政府給費留学生というのを受けてフランスに行ったのです。先輩が行ったので自分もと試験を受け、幸い奨学金をいただくことができ、博士課程に入ってから1年の予定で行きました」

——トゥールーズというのは名前だけ聞いたことがあるような気がしますが。

 「日本人にとって一番馴染みがあるのはサッカー・ワールドカップで98年に日本が初出場、初試合をした都市としてです。

 フランス南部のスペインとの国境から100kmくらい北に上がったところで地中海と大西洋との中間点ぐらいです。フランスの航空産業の一大拠点都市でエアバスの本社、工場がありますし、ひと昔前はこの街で超音速旅客機コンコルドを造っていました。

 北大では自動制御工学講座にいたので、いろいろ文献を調べてトゥールーズに政府系の研究所がいっぱいありまして、その中で制御工学専門の研究所長に手紙を書いてお世話になったのです」

——観光的にはどうですか?

 「歴史も古く昔はスペイン系やイスラム系の文化があって、すごく良いところですよ。屋根が赤いレンガで統一されていて。

 ただ、私は海外どころか自宅から出て生活するのも初めてで。ちょっと情けない話ですがすぐホームシックになってしまいました。24時間フランス語ですし、街も金沢と同じくらいの人口だったと思うのですが日本人は4−5人しか会いませんでした。一年の予定を早めに切り上げて日本に帰ってきてしまいました」

——それは残念でした。それでまた北大に戻られてどのような研究を続けられたのですか?

 「ちょっと抽象的な話で分かりにくいのですが、システムアイデンティフィケーションといって、制御工学のダイナミックシステムの数学モデルです。インプットデータとアウトプットデータがあれば微分方程式でシステムのモデルを推定できますよ、という研究です」

——その後は富士通の国際情報社会科学研究所に入社されます。KITでは竹島卓先生( http://kitnetblog.kitnet.jp/koizumi/2009/06/post-13.html )、松尾和洋先生( http://kitnetblog.kitnet.jp/koizumi/2010/05/post-32.html )がこの研究所のご出身ですね。そこではどんな研究を?

 「近くに国立遺伝学研究所があり、ここで遺伝子のデータベースの研究を始めてました。富士通のスパコンが入っていまして、松尾さんから“遺伝子、面白いよ”と勧められたのです。

 その頃、ちょうどエイズウィルスが話題になっていて、エイズウィルスのDNAの塩基ATCG(アデニン、チミン、シトニン、グアニン)の文字列を解析するためのデータベースがあるのです。私はそこでパターン認識という手法で、突然変異でコロコロと変わるウィルスの遺伝子の文字列の変わり方を研究しました。

 分子生物学なのですが、コンピュータでデータを分析するだけで試験管を全く触りませんでした。生物学は素人でしたから勉強もしました。面白かったですね。」

——それはずいぶん先端的です。ヒトの全遺伝子を解析するヒューマン・ゲノム計画のずっと前ですね。その後、先生はロンドンに転勤します。

 「プログラミングが好きで、たくさん計算をしたくてスパコンをしょっちゅう使っていました。その頃、自動車の衝突解析など物理学関連のお客さんはすでにいたのですが、なかなか銀行など金融関係はスパコンを使っていただけなかった。ところが、ある大手の銀行がスパコンを買ってくれた。でも、どのような使い方をしたら良いか分からないということで“田嶋、おまえがそれを調べて研究しろ”ということでロンドンへ行ったのです」

PCはマックを愛用する田嶋教授——それはまたしても先端的です。

 「研究所の名前がロンドン富士通欧州情報技術センター。英語でFujitsu European Centre for Information Technology。略してFECITでフェシットと読みます。ラテン語でfecitというのは礎(いしづえ)とか基礎の意味で、バイオリンの製作者のところにfecit○○と書かれます。そのよう名前の研究所を富士通がロンドンに作った。

 日本人は社長と副社長の私と二人にあと人事の人が一人日本人で、その他に現地の研究員が7−8人いたでしょうか。みんなスパコンの科学技術計算の専門です。金融で使うとなると株価が基本です。株価がどう動くか、株価の動きに応じてオプションの値段が決まるのですが、株価の方程式は作れない。ランダムに動きますから、そこでコンピュータの乱数でシミュレーションするのですが、これが難しい」

CO2削減プロジェクトの評価も

——まさに金融工学の先がけですね。帰国されてから富士通総研の主席研究員を経て08年からKITにこられました。ここではどのようなことを教えられているのですか?

 「富士通総研にいたときに金融関係のコンサルタントをしていました。その時に仕事でやっていたいろいろなテーマを学生に紹介しています。例えばソフトウエアの開発コストの見積もり方法です。銀行のATMの管理ソフトだったら、お客からの要求をもとにシステムはどうか、ステップ数はどのくらいかなどを基準として、数値に置き換えて月何人でできかと分かる方法なのです」

「業務にすぐ使えるアプリケーションを指導したい」と田嶋教授 田嶋先生はその他、地球温暖化防止のための二酸化炭素削減プロジェクトの採算性や経済効果の分析も研究テーマとしてあげるなど、学生にさまざまな視点を提供している。遺伝子から金融工学までスパコン応用を幅広く研究されてきた田嶋先生ならではだ。

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