KITの先生は話の面白い方が多いが、松尾先生の体験談は飛び切り面白い。できるだけ、そのまま紹介しよう。
――ご出身はどちらですか?
「岡山県の玉野です。三井造船の企業城下町で父は造船技師でした。ど田舎だけど工学系の技師などが身の回りにいっぱいいて結構文化水準が高かったです。
私はかなり早熟で学校の勉強は自分でどんどんやってしまって中学校で大体高校の数学を終えてしまいました。その頃、ノーベル賞の湯川先生とか朝永先生の素粒子の面白い話がいっぱいあったので東大で理論物理をやろうと。
それと高校の英語の先生に禅宗のお坊さんがいたので禅に凝ったりしました」
――高校生で“禅”とは本当に早熟ですね。
「さらに東大に受かり東京で下宿を探して歩いている時に、井の頭公園近くで偶然、禅の道場を見つけました。しかも、そこに学生寮があるのでそこに住むことに決めたんです。東大生は私一人でいろいろな大学の学生が12~13人住んでいました。皆でいろいろな議論をして楽しかった。
しかし、朝4時半に起こされて5時から作務が開始で、6時から1時間座禅です。しかも当番で掃除から食事の準備までやらなければならない。夜も7時から座禅です。
面白かったけど、何せ眠い(笑)。授業の半分は寝てました。」
――4年間もそこにいたんですか?
「それが3ヶ月(笑)。成績は急降下するし、これは駄目だと。普通の下宿に移ると今度は反動で遊びたくなりました。友達とマージャン合宿した時は3日連続役満という記録を打ち立てました。それで成績が下がり理論物理に行けなくなり、やむなく地球物理に進んだのです。
ところが、必須授業ではないので私は選択しなかったのですが、海洋実習とかで船に乗らされ、海流の速度を計ったり海水の成分測定をやらされる授業があったりしたので“こんなのは俺の趣味じゃない、もっと頭で勝負したい”と大学院は理論物理に進んだのです」
大学院で指導を受けたのが久保 亮五 教授(1920―1995 )。教授は物理学会長、学術会議会長などを務め、文化勲章も受けた統計力学・物性物理学の世界的権威だ。
――久保教授の下では何を研究したのですか?
「統計物理学です。当時、統計物理は半導体とかLSIとか今日の電子産業を支える基礎の部分の研究が盛んで、江崎玲於奈さんとかそうそうたる方がいました。私は性根が曲がっていますので“みんながやっているのはつまんねえ”と統計物理そのものをやりました。
物性もその一つです。いろいろなモノが集まったときに一つ一つの現象ではなくて全体がどういうことをおこすかということ。モノの個々の性質とモノが集まった集団としての性質の違いということです。
学位論文は“非平衡の統計力学”。化学反応というのは化学式で書くのですが、あれは一つ一つの分子、分子の反応なのか、全体としてはどうなのか。それは時間的、空間的にどう変わっていくのかなということです。
こうした問題は化学工場などで反応炉を設計する際に重要になってくるし、統計物理の問題としても一番新しい話でもあったのです」
“なんでもあり”の研究所へ
東大で学位を取った後、ポスドクでカリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)の奨励研究員となり、帰国後、富士通の研究所に入ることになる。
――富士通に行くきっかけは何だったのですか?
「米国から帰ったもののちょうど大学にポストがない時期で。久保先生にどこかお願いしておいたところ、学者の国会といわれる学術会議で、久保先生と隣合った席に座っていたのが北川 敏男先生。北川先生はちょうど富士通に招かれて国際情報社会科学研究所というユニークなものを作られたところでした。この研究所は竹島先生のインタビュー(http://kitnetblog.kitnet.jp/koizumi/2009/06/post-13.html#more)にも出てきます。
お二人が隣同士で話しているうちに北川先生が新しい研究者を欲しいということになったのです。学術会議の席はアイウエオ順なので「カ・キ・ク」で席が並んでいた(笑)。ひょんな縁ですよね。
統計物理の基本は、それを応用すると別に一つ一つのものが原子、分子でなくてもいいわけですよね。材料学の人は原子や分子にも個性があるというけれど、やはり生き物とか人間とかの情報などの個性の広さと深さ、多様性のほうがはるかに面白い。だから社会学や経済も興味がある。富士通国際情報科学研究所。なんかうさん臭そうな、何でもありそうな感じでしょう(笑)。
“ようし、やってみるか”ということで、ですから富士通に入るというより北川先生のところに行ったという感じです」
この後、松尾先生は富士通の米国・研究所を立ち上げ、バイオコンピュータといった最先端の研究を指導するなどの国際的な活躍をした後、縁あってKITに。インターネットが創る新しい世界をビジネスにどう活かすかという問題を中心に幅広く学生たちを指導、刺激を与えつづけている。先生の面白いお話の続きはまた別の機会に・・・。