今から20年以上前、新聞社で科学部の記者をしている頃、「東工大で面白い授業をしているらしいから取材して来い」と上司に命令されたことがある。
授業は学生達のグループに課題を与え、その結果を一堂に集めてコンテストを行うというもの。その時の課題は「乾電池1個で人間の乗れる乗り物を作れ」だったと記憶する。ある学生グループは乾電池の電圧を上げるために1個の電池を4等分の輪切りにしたりして、その発想の斬新さに感心した。学生たちにアイデアを競わせるという授業自体もとてもユニークで面白い記事を書くことができた。
この授業こそ、実は世界中に広がったロボコンの原点なのだ。この授業の生みの親は当時、東工大の教授だった森政弘氏(現・名誉教授)。森氏は日本の自動制御、ロボット工学の第一人者。竹島教授はこの森研究室の出身だ。
――当時、竹島先生は何を研究していたのですか?
「ロボットの人工の手足、それも専ら足の制御をやっていました。森先生はお元気で今でも自在研という私設の研究所をずっと続けておられます。和魂洋才で最近は仏教の研究に力を入れておられます。かなり先生の影響を受けていると思いますが、ああいう発想豊かなとこまではとても追いつきません」
――就職して入った富士通でもユニークなところに配属されましたね。
「国際情報社会科学研究所という富士通株式会社の中に作られた研究所です。日本のコンピュータの草分けとなった池田敏雄という有名な人と当時の富士通の社長などが、高名な統計学者である北川敏男さんを招聘して所長に迎えて設立しました。
"社会科学"ではなくて"情報社会"を科学する研究所と言う意味で、今で言う大学院大学のようなものを目指したようです。企業の中にありながら、直接のしがらみはなく情報化社会というもののありようを基本的に考えるという非常にアカデミックなとこでした」
池田敏雄氏〈1923-1974〉はNHK「プロジェクトX」にも取り上げられた日本のコンピュータ産業の生みの親の一人とされている。あの田原総一朗氏が書いた「日本のコンピュータの黎明 富士通・池田敏雄の生と死」(文藝春秋社刊)を読んでいたので池田氏の名前は聞き及んでいたが、この研究所のことは知らなかった。北川敏男氏〈1909-1993〉もウエッブなどで略歴を読むと単なる統計学者というよりは幅広く時代を先取りした情報科学者のようだ。
この研究所ができた70年代、富士通に限らず日本の企業はかなり先を睨んだ経営をしていたようである。現在の企業にそうした余裕はあるのだろうか。
技術の発展史が重要
――その研究所で竹島さんは何を担当されていた?
「最初に入った時はデータベースの基礎理論のようなところです。自分自身がやりたかったのはAI(人工知能)の発展したようなもので数式処理という分野でしたが、富士通はデータベースというものがこれから重要になることを見越して社内にも組織を作っていました。研究所でも情報化社会を見据えてということで実際に作られているソフトを調査したりして勉強を始めました」
――それも先見の明がありますね。
「当時はリレーショナル・データベースというものの概念が出てきたばかりで、これは一体何だろうと。役に立つのかという感じでした。それまではデータベースというとファイルを使いやすくするにはどうしたら良いかという方向で、ハードウエアに近いところからのアプローチでした。
しかし、リレーショナル・データベースというのはそれとは全く逆に、データの処理、データの構造といったものは論理的にこうあるべきだというというところから起こしているのです」
リレーショナル・データベースはIBMのエドガー・コッドによって考案された。コッドの論文に触発されたカリフォルニアのプログラマー、ラリー・エリソンはデータベースをビジネスにする会社「オラクル」を設立し一大企業へと発展させる。これはシリコンバレー神話の一つだ。
このデータベースの研究で論理学や意味論まで幅を広げたおかげで、竹島先生は当時の通産省が始めた大プロジェクト「第5世代コンピュータ」に富士通から参加する。ここで論理に従って計算する言語の開発をした後で、その応用としてかねてからやりたかった数式処理のプログラムを作り上げた。この時の経験はその後、国産数式処理システム「リサ アジール」として結実することになる。
数式処理とは何か? 数値の計算だけではなく文字式を文字式のままで計算したり、そのグラフが表示できるソフトウエアのことだ。例えば x2 + y2 = a2 といった円の方程式を打ち込めば円の形がプロットされる。これは何かモノをデザインする時には強力なツールとなる。
ロボットの制御からデータベース、第5世代、数式処理まで竹島先生の歩んできた道は戦後のコンピュータ発達史でもある。先生は歴史の重要性を指摘する。
「懐古主義ではなく、技術の発展の歴史を理解しておかないと今あるものの表面しか見ないことになって、根本的な改革が必要になった時にできない心配があります」