長い間、新聞社で科学技術の記事を書いていた。その間、最先端の素子やチップ加工の話題を書いたことは何度もある。しかし、そのチップの基となるウエハーをどうやって切り出しているのか全く知らなかった。不明の極みである。
ウエハーはシリコンなどの半導体素材の種結晶を円柱状に成長させたインゴット(塊)を薄くスライスしたものだ。そのことは知識として知っていても具体的にどうやってスライスしているのか思いが至らなかったのである。
諏訪部仁教授の研究室でその切断装置を初めて見せてもらってびっくりした。マルチワイヤソー(MWS)と呼ばれるもので、細いピアノ線(ワイヤー)が何個もあるプーリーにかけられ、一定の間隔で平行に高速で往復運動をしている。そこにインゴットを押し当てて砥粒(みがき粉のようなもの)と特殊な切断液をかけて一気に切っていく。一度に何枚ものスライスが得られ、切断除去量(切りクズ)が少なく、いつも新鮮なワイヤーが供給されるので精度が高い加工ができるなどの長所があり、スライシングの主流となっている。
メカニズムはちょっと異なるが、ゆで卵のスライサーをイメージすると良い。ゆで卵はやわらかいので、金属線に押し当てるだけできれいに切れるが、シリコンはそうはいかない。そこで、金属線が高速で動いて切るわけだ。
―――こんな機械、誰が作ったのですか?
「1960年代にフランスで発明されて、60年代後半に当時の電気試験所(現・産業技術総合研究所)に技術導入し、データを取って研究が始まりました。以後、あちこちで開発が進み様々なメーカーが作っています。最初はピアノ線で切るというので精度が悪く、でかいものは切れないと思われていたんですが、切れるとわかりブレークスルーとなったのです」
なるほど「マルチワイヤーソー」で検索すると、製造会社がいくらでも出てくる。しかし、正確にフランスのどんな人間がどうやって発明したかといった歴史的著述があるものはない。これは調べ甲斐がありそうだ。
諏訪部教授の専門は機械工学の中の部品加工だ。自らを「機械屋」と称する。現在の
目標は二つ。半導体の基板と太陽電池をいかに効率良く作るか。両方ともシリコンの塊をMWSで薄く切り出していく点では同じだ。半導体製造全体の中では、「上流」あるいは「前工程」と呼ばれる部分だ。「チップの値段にすると数円するかしないか、でも今、一番重要と言われている」
今、力を入れつつあるのは太陽電池のほうだ。基板の上に、複雑な回路を作りあげる半導体より、極端に言えば、切ってリード線を作れば終わりの太陽電池のほうが、切り方の技術がより重要になる。
「現在、より薄くより安く作ることを目指しています。最終的には厚さ60um(umは1mmの1000分の1)が目標ですが、とりあえずは100umというところ」
切削部の視覚化に成功
諏訪部教授がMWSの研究で成し遂げたのは、切っている部分を特別な工夫で見えるようにしたことだ。もちろん、シリコン・スライスは何枚も並んでいるので、真ん中の部分は見ることができない。見えるのは一番、端っこの基板とその隣の基板を切り分ける部分だ。一番、端の基板を磨いて透明にし、ワイヤーがまさに切っているところ高速度カメラを使って可視化することに世界で初めて成功したという。
一般の企業の実際に使っているMWSでは安全装置やらいろいろな付属装置があって簡単には覗けない。大学の研究室なので余計なものを取り除くことができ、可能になったのだという。
こうしたごく狭い部分で起きることぐらい、コンピュータ・シミュレーションで簡単にできそうに思えるが、そうではない。シミュレーションが得意なのは天気予報のように大気と水といった構成要素が単純な場合。対象がいくら大きくても計算にのりやすいのだ。ところが、MWSの切断面のように、シリコン、ワイヤー、砥粒といった物理特性の異なる構成要素が何種にもなると狭い現象でもお手上げなのだ。
この現実の可視化で何が分かったか?
例えばワイヤーと切断面に空気の泡が入ると、著しく効率が落ちたり傷がつく原因になったりすることが分かり、現在では、その対策が取られている。また砥粒が切断している溝の中で時々固まってしまう原因も突き止められたという。
半導体を製作している会社は多いため、諏訪部教授はあちこちのメーカーからアドバイスを頼まれることが多い。ヨーロッパの企業が映像を見せて欲しいとやってきたこともある。
諏訪部教授はさらに製品を薄くするだけでなく、削り取る量も少なくすることにも挑んでいる。その時は、砥粒に何とダイヤモンドの微粉末を使うという。また、ウエハーをICサイズに切り出す加工「ダイシング」も手がけていて、切削工具に超音波振動を与えて
効率をあげる研究もしている。
「削る」、「磨く」という聞き慣れた言葉の幅広さ、奥深さに改めて気づかされたインタビューだった。