KITには民間企業で製品開発をしてこられた先生や国の研究所で最先端の研究を進めていた先生が多くいらっしゃる。しかし、そのほとんどの先生は「民間」か「官庁」のどちらか一つの経験者だ。佐藤先生は「企業(石川島播磨重工業)」、「官庁(防衛庁)」の両方を経験するというユニークな経歴。「企業、官庁、そして大学と技術者が働ける3つの社会を経験できることを喜んでいます」という。
——佐藤先生はなぜ船舶工学をやろうと決めたのですか?
「これは学生さんの就職ガイダンスの時にも自分の体験談として話すのですが、乗り物が好きだったのですよ。本当に小さい頃、家は名古屋市の東のほうで、当時、路面電車が走っていたのです。その車庫の前に庭石屋があり、そこに祖母に連れられて良く行き、石の上に座って日がな一日路面電車の出入りを飽きずに眺めていたのです。
それが原点で、電車にかぎらず汽車や船、乗り物が好きだったのです。進学の時は好きなものをやろう、軸足は乗り物にしようと造船に進んだのです」
——でも、なぜ電車ではなくて船なのですか?
「実は本当は蒸気機関車(SL)を作りたかったのです。50年ぐらい早く生まれていたら、そっちを目指していたと思います(笑)。子供の頃はまだSLが走っていまして、親類に国鉄の機関士がいて、近くの機関車庫に入れてもらったこともあります。
しかし、SLの製造は終わってしまっていたので、結局、同じ乗り物ということで船を選んだのです。東大では船のプロペラを学びました」
——船のプロペラというと、潜水艦の探知かなにかですか?
「いいえ、プロペラで起きるキャビテーションという小さな泡がつぶれる現象の研究です。これが起きると金属がぼろぼろになってしまう。泡がつぶれる時に周りに衝撃波が出るのです。それでどんどん叩かれて疲労破壊が起きる。金属が溶岩とか海綿みたいにスカスカになってしまうのです」
——どうやって防ぐのですか?
「流体的にそういうキャビテーションができるだけ出ないような、それから、急につぶれないような設計をします、それがコンピューターでできるようになった」
——その研究の縁で石川島播磨重工業(IHI)に入社された。
「ええ、横浜・磯子にあるIHIの研究所に入りました。入社してすぐにそのキャビテーションの試験をする水槽を作れと言われました。水槽本体はドイツから輸入したものでしたが、周りの配管とか電気の配線とかを先輩に教えてもらって」
——それは水槽の中で実際にプロペラを回して計測するのですね?
「はい。どれだけのスラスト(推力)やトルク(回転力)を出しているかを測らなければならないのでモーターの先っちょに検力計を付けるのです。そういう仕掛けを動力計と呼びます。この水槽を作るのに約2年かかりました。この水槽は今でもIHIで動いています」
——IHIから防衛庁に移られたのは何か理由が?
「IHIには13年いたかな。今でも覚えていますが、研究所の課長だった、ある年の2月18日に突然、防衛省の知っている人から電話がかかってきたんです。4月から防衛庁に移れと。防衛庁とは目黒に昔の海軍時代の水槽があって一緒に仕事はしていたのですが、IHIの上司からは、IHIは“辞めるな”、“人事の計画がぐちゃぐちゃになってしまう”と反対されましたが、自衛隊の言ってきたことだからと。結局、防衛省の上とIHIの副社長か誰かと人材に関する書類を交わして一件落着し、動くことになったのです」
——それは異例ですね。先生がよっぽど欲しかったんだ。
「役所から民間に天下りはありますけどね。逆ですから。防衛省の説明では、IHIで作った中型くらいの水槽よりも、もっと大きいものを作ることになった。それを作った経験があって、年回りで定年までにやれる人間はそうはいないと。それで白羽の矢がたってしまった」
——それで防衛省で水槽作りを始められたわけですね。
「はい、予算要求から始めました。当時の大蔵省、今でいう財務省に説明に行きました。主査にぼろくそに言われて、最初の2回は落ちましたが3回目に予算が認められた。結局5−6年、トータルで8年ぐらいかかった大きな水槽です。縮尺25分の1、長さ7mの模型も入れることができる。ちょうどマイクロバスの室内ぐらい。そこに秒速15mの水を流すことができる。この水槽は艦艇の静粛化に役立っています」
——技術的に苦労したところは?
「軍艦なので音を測るのですが、静かな音なので、背景雑音という、水槽自身の音は静かにしなければならないのです。これに一番苦労しました。
吸音のくさびを入れます。くさびというかゴムシートを入れて、さらにそのシートを積層して、そのシートの硬さと中の空気の含有量をコントロールするのです。それで背景雑音のレベルを下げている。自分でいうのも何ですが、世界で一番静かな水槽です」
シーラカンスからロボットへ
——その後、防衛省でいろいろ移られて、最後は先進技術推進センター長を務められたのですね。ロボットとの縁は?
「センターが先端技術関連だったので、そこで新しいものをやりなさいということでロボットやら何やらやったのです。
ここKITでは研究の1つとして二関節筋を使うロボットを目指しています。今回の震災で思ったのですけれど日本のロボットは役に立たなかった。日本の風土としてロボットというとアトムやガンダムで2足にて歩くものを作ってしまい、本当に役に立つものがなかったので悔しい気がしました」
——二関節筋というのは?
「二つの関節をまたいで繋いでいる筋肉。例えば力こぶを作る上腕二頭筋です。われわれの関節にはモーターは入っていません。筋肉で動いています。生物の動きをもっと学なぼう。筋肉の動きもちゃんと学べば、もっと良いものができるのではということで、ずっとさかのぼってシーラカンスの腕の筋配置や動きを調べています」
佐藤先生のモットーは「フラット、フランク、フレキシブル」という。考え方のしなやかさは生来のエンジニア気質か。