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小泉成史 (こいずみ せいし)
早稲田大学理工修士。1974年読売新聞入社。1984年マサチューセッツ工科大学ヴァヌ―バー・ブッシュ・フェロー。米国歴史博物館客員研究員。2002-06年テレビ朝日コメンテーター。03年より金沢工業大学客員教授。著書「おススメ博物館」(文春新書)など。

工作機械で地元貢献を目指す

カテゴリ:機械工学科
2016.01.21
 

 機械工学科 森本 喜隆 教授 あまり一般には知られていないが、日本の工作機械産業は自動車と並んで世界一のレベルにあるという。工作機械は"機械を作る機械"とも言われ、工業生産では最も重要なものだ。工作機械が専門の森本先生は地域の発展に貢献するため故郷に戻ってきたという。

----先生は地元、七尾の出身で七尾高校から金沢大学機械工学科に進まれました。機械をやりたいというきっかけは何かあったのですか?

 「能登の宝達志水町という本当に田舎の町の出身です。もともと機械が好きで、それこそ自転車に始まってオートバイ、自動車に乗るという具合に。自分らの年代はまさにそういう時代と一緒に動いてきたような気がします。

 ここにスバル360のラジコンがありますが、父親が一番最初に買った車で、近所でも珍しがられたものです。私は今でも2輪に乗ってレースに出ます。しかもエンジンから車体まで作ってしまう。といってもエンジンはさすがに既製品を分解して調整するのですが」

----金沢大でも自動車を勉強したのですか?

 「いいえ。当時、伸び盛りの繊維機械をやりました。ジェットルームやウォータージエットルームいうのが本当に伸びる時代で。当時は石川県にも繊維産業がありましたので、研究室もそのようなことを研究していたのです」

 *布を織る時には縦糸の間に横糸を通して織る。古くは糸を巻いたシャトル(杼=ひ)が往復して横糸を通したが、現代の繊維産業では横糸を空気(ジェット)や水で飛ばして織る。これがジェットルームやウオータージェットルームと呼ばれる織り機だ。

----空気や水で横糸を通す織り機は初めて見ると手品みたいでビックリしますね。

 「水の摩擦で横糸を引っ張っているのです。糸が反対側に到達したとこで留めて、ハサミでプチと切るという一連の動作を素早くやっています。私は空気で横糸を飛ばすにはどのくらいの力が必要か、空気抵抗はどのくらいかなどを計算したりしていました」

----当時、空気で織る織り機はどのメーカーが進んでいたのですか?

 「空気は豊田自動織機、石川県でいうと津田駒工業の2社ですね。当時は日産もスズキもやっていました。自動車メーカーなのですが、織り機のメカニズムは複雑でエンジンに近いものがあります。大学で織り機を機械工学的に研究しているのはこの近辺では金沢大と信州大しか無かった」

----メーカーに入ろうとはしなかったのですが?

 「メーカーは受けてはいたのですが、途中で嫌になって(笑)。それで石川県の工業試験場に技師として入って、仕事をしながら金沢大で博士号を取ったのです」

----機械いじりが好きで、県の工業試験場なら勤め口としては最高ではないですか。

 「入った時はそう思ったのですが(笑)。そうでもないと。やはり公務員なのである程度エスカレーターになっていて40歳くらいになると、課長などになって何もできなくなってハンコを押すか鉛筆をなめるのが仕事になってしまう。それが30歳くらいで見えてきたので、今度は国立の富山工業高等専門学校に移ったのです。ここではロボコンを担当したりして面白かったです」

----話は戻りますが、金沢大での博士課程では何を研究されたのですか?

 「工業試験場で配属されたのが機械電子部だったので、繊維機械からは離れ、工作機械をやることになったのです。これが今に繫がっているのです。石川県の機械産業をバックアップするという意味で、工作機械メーカーが当時からいろいろあったので、それで付き合いが始まったという感じで」

----石川県に工作機械メーカーが多いのは繊維機械が最初にあって、その面倒を見るために出て来たのですか?

 「そうです。繊維機械の下請けというか、その部品加工から始まって機械産業全体に移ったという感じです。工作機械は地味ですが、日本が世界一といえる産業は自動車と工作機械ぐらいではないでしょうか。日本人にピッタリだと思います。作り込むとか、こだわるという点では」

「日本の工作機械は世界一」と森本先生----先生は工作機械の中でも何を専門にされていたのですか?

 「旋盤を主にやっていました。横にした"ろくろ"で丸いものを削り出すのが旋盤ですが、楕円のような特殊なものも作れるようになりました。世界でわれわれのグループでしか出来ないものもあります。制御も難しいのですが、レイアウトも難しくて、その特許を取って継続しています」

----何か名前を付けているのですか?

 「僕は勝手に"NACS-Turning(ナックス・ターニング)と名付けています。日本語で書くと非軸対称3次元曲面の旋盤加工というのです。英語ではnon axisymmetric curved surface-turning となります。turningは旋盤です。これは石川県の高松機械工業と一緒に行っていて商標も取っています」

3Dプリンターに挑戦

----先生は富山高専の後、宇都宮大学に移られ9年間過ごし、08年から縁あって故郷にあるKITに来られました。KITではどのような研究を。

 「ニュースにもなりましたがKITに金属造形の3Dプリンターが導入されました。これを使って何かやってやろうと考えています。具体的には非常に細かい部品を作ろうかと。小さい部品というのは作る時に掴んで加工しなくてはなりません。でも非常に小さいと持つ所がないのです。

 3Dプリンターで作るものは、竹の子のようにニョキニョキと生えてくるものですから土台のとこだけくっついていればいいわけです。それで小さくて複雑なものが加工できるのです。今までは職人さんがヤスリ掛けしていたという領域だったのですが、もっと本当に小さくなると時計職人さんがルーペを使ってやるレベルになるわけです。それで1~2個はうまく作れるかもしれませんが、どんどん供給してくれと言われたら無理でしょう。しかし3Dプリンターなら並べれば100個でも出来てしまいます。」

KITに導入された3Dプリンター 3Dプリンターが出て来た時、プラスチックなら加工が容易なので可能だろうけど、どうして溶けにくい金属でそのような加工ができるのか解らなかった。ずっと疑問に思っていたが森本先生の丁寧な説明で初めて納得がいった。機械いじりが好きで今でも2輪レースに参加する森本先生が最高性能の3Dプリンターを使ってどんな製品を作ってくれるのか楽しみだ。

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