前田先生はNTTで半導体の「超高速」、「超微細」、「超高集積」と技術の最先端を追いかけ「いかにして作るか」の「how」の世界を経験して来られた。KITでは「how」と同時に一歩立ち止まって「どうしてそうなるのか」の「why」の世界も考えて行きたいという。
----先生は東京のご出身ですが北海道大理学部で化学を学ばれました。きっかけはあったのですか?
「父親の転勤で北海道に行きました。高校の時はおおざっぱに物理とか化学など理系の科目が好きでした。大学で研究室の配属の時に化学の方に。北海道大学には触媒研究所があって触媒研究が結構昔から盛んだったのです。授業でその関連の話を聞いて興味を持ちました」
----北大で化学というと、2010年にノーベル化学賞を取られた鈴木章名誉教授が有名ですが講義を聞かれたことはあったのですか?
「鈴木先生は工学部の応用化学なので、残念ながら私は授業などでお世話になったことはありません。数年前にたまたま学会で北大に行った時に受賞のお祝いの垂れ幕が下がっていました。北大でノーベル賞は初めてでした」
----先生は理学部の化学ご出身というと工学部より基礎的だったのですね。学部や修士の研究はどのようなことを?
「触媒表面のガスの吸着状態を調べるという内容でした。ガスを反応させて有用な物質を作るのですが、どうしても触媒が必要なのです。詳しく言うとまず触媒の表面にガスを吸着させます。その吸着した表面上でガスを反応させて化合物を作るというステップです。
具体的には例えば触媒の白金の表面に一酸化炭素(CO)を吸着させて、アルコールやアルデヒドなどを作っていくのですが、その最も初期の段階で一酸化炭素が白金表面にどういう状態で吸着するのかを調べました」
----かなり基礎的な化学の研究をなさったのに就職は日本電信電話公社(現NTT)に入られます。なにか理由があったのですか?
「私が学部を卒業したのは1975年で、その時は第一次オイルショックの後遺症で化学会社の求人など一切ありませんでした。全滅です。ちょっと前、就職難と騒いでいましたが、あんなものではありません。そこで修士に2年行ったのですが、就職状況は多少改善されていました。それでもまだ化学系は厳しかったです。そこで講座の先生に相談してNTTの研究所の方にお世話になったのです。当時はまだ電電公社といいましたが」
----電電公社ではどのような研究を?
「電電公社の電気通信研究所は当時、幅広くいろいろなことをやっていました。これは今でもそうかもしれません。私は化学の出身だったので配属希望の際に材料関連、高分子、金属という3分野の研究室を希望しました。ところが全部蹴られたというか全く考慮されないで言われたのが集積回路の研究部だったのです。これには驚きました(笑)」
----電電公社がIC(集積回路)を作ろうとしていたのですか?
「電電公社は自分のところでは、例えばLSI(大規模集積回路)を作って売るということはやらないですね。ただ、自社の電話サービスというか、データ通信のサービスなどに使う、いわゆるシステムは自分のところで作っていた。そのようなところで当然ICは必要となります。ただ、全国の電話局などに入れるものは、もちろんどこかメーカーに作ってもらうのです。最初のプロトタイプというか、ある程度の商用試験ができるかという確認のために、自分のところで作っていたのですね。部品から作って、そのための集積回路を作るということです」
----メーカーは後で一般に売るのですか?
「いいえ。電話サービス用のいわゆるコンピューターにしろ、交換機にしろ、そういうものはメーカーも納入先が電電しかないので、作っても一般に売れるものではないです。だから、メーカーの方では、そんなことにお金を使って研究するなどということは到底できないので、電電公社の中でまず実証実験までやる。もちろん、その過程でメーカーにも共同研究でいろいろ話をしながら、こういう仕様でお願いしますということをどんどん出しながら進めます」
「大学で電子工学の授業は聞いたことがないし、トランジスターなんてどうやって動くかも知らない。まして集積回路なんて、それ何ですかという感じです(笑)。
ただ入って分かったのですが、集積回路の研究というのはすごく裾野が広いのです。電子工学関係がもちろんメインです。でもICを作るにはシリコンの上に薄い膜を付け、それに回路のパターンを付けて、また膜を付けて、パターンを付けて、不純物をドーピングしてということを繰り返していくわけです。
結局、膜を作るというのは、私が学生の時にやっていた、基板の上にガスをくっつけて、そこで反応させて薄い膜を作る。まさに化学の世界で言えば、そういうことなのです。ですから入ってみるとあまり苦にならなかったです。ただ、できたものがどうやって動くのかというのは分からないので、そこは結構、自分なりの勉強は必要でした」
重要なのはヒューマン・ネットワーク
----なるほど、言われてみれば、その通りですね。23年間NTTにおられて、縁あって2000年からKITにいらっしゃいました。ここではどのような研究を続けているのですか?
「光触媒を使って、水を光で分解して、水素を発生させる。それを燃料電池や燃料として使えるようにしたいと。まだまだ効率が低いですが。
どうして光触媒の作用が起きるかというと、光を吸収して半導体の中で電子と正孔(電子の抜け穴で、プラスの電荷を持った粒子のように振る舞う)に分かれます。この電子と正孔が強い酸化還元反応を起こすのです。光を吸収しないとこれができません。今一番一般的な光触媒は酸化チタンなのですが、これが紫外線しか吸収できません。ところが太陽光の中の紫外線はごく僅かでほとんどは可視光なのです。これでは効率が悪いので可視光を吸収する光触媒材料の研究が世界中でおこなわれています。
その他、マイクロメートルからナノメートルサイズの小さな穴、微細孔を持つ物質はこれまでの物質にはない性質があるとして注目されています。これを使って太陽光エネルギーを使いやすい化学エネルギーに変換できないかということなども研究しています」
前田先生は長年の企業での経験で「研究に限らず、物事を動かす際に重要なのはヒューマン・ネットワークである」と痛感されたという。それこそ学生時代の専門にこだわらず、柔軟に研究を続けて来られた技術者として最も大切な指針なのかもしれない。