2017.12

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

小泉成史 (こいずみ せいし)
早稲田大学理工修士。1974年読売新聞入社。1984年マサチューセッツ工科大学ヴァヌ―バー・ブッシュ・フェロー。米国歴史博物館客員研究員。2002-06年テレビ朝日コメンテーター。03年より金沢工業大学客員教授。著書「おススメ博物館」(文春新書)など。

経済の分かるエンジニアを育てたい

カテゴリ:経営情報学科
2013.10.16
 

経営情報学科 熊井 泰明(くまい やすあき) 教授 熊井先生は金融のプロで、しかも世界経済の中心のニュ—ヨークで6年間もアナリストとして働いた経験を持つ。「世界が音を立てて変化している」ことを感じ、その熱気を学生と共有したいと言う。

——先生は横浜市立大学文理学部のご出身で、卒業後、JETRO(ジェトロ、日本貿易振興機構)に就職されました。ジェトロは経済産業省所管の独立行政法人で、日本の貿易の振興に関する事業、開発途上国・地域に関する研究など幅広く実施しているところです。ジェトロを志望された理由は?

 「大学では外交官に進む連中も結構いましたし、国際関係論なども盛んだったものですから。やはり海外に出たかったということもありました。それなら、海外に行けるところが良いだろうということで。11年間勤めました。」

——ジェトロから米国に留学されたのですか?

 「はい。入社3年目で行って来いと。それまでジェトロでは基本的に研修は海外の特殊語、タイ語やインドネシア語などの語学研修が中心でした。私の時からそうではなくて、もっと基本的な学問を修めて来いという制度になりました。

 それで、自分で分厚い資料を見ながら、いろいろ調べて米国・イリノイ大学に行くことになりました。実はどんな大学だか行くまで良く分からなかったのです。当時はまだ日本がものすごく注目されていましたので、日本から“行きたい”というと、“では、来て見たら”という学校も結構あったのです。とてもラッキーでした。」

——イリノイ大というとイリノイ州で一番の大都会シカゴにあるのですか?

 「ちょっと離れています。シカゴから南の方へ150kmほど南にあるアーバナ・シャンペーンという町にあります。日本ではアイビーリーグのハーバード大やイエール大ほど有名ではありませんが、公立の名門校でノーベル賞受賞者を11人も出しています。」

 イリノイ大学はコンピューターの開発史上でも重要な位置を占め、古くは並列コンピューターの先駆けとなったILLIAC(イリアック)が有名。また学内に米国立のスパコン研究所(NCSA)があり、インターネットが一般に普及するきっかけとなった元祖ブラウザー、Mosaicはここで開発された。

——イリノイ大では何を勉強されたのですか?

 「計量経済学です。経済のいろいろなデータを使って経済の構造を分析して予測するという作業をずっとしていました。

 要するにここに100円を入れたら一体幾らになって返ってくるのか。あるいは政府が100円使ったら経済はどれくらい大きくなるのだろうということを数字で表していくのが一つの流れです。それと、そのような経済的なシステムをブラックボックスとしてとらえ、その仕組みを明らかにするというような研究が中心でした。

 いきなりコンピューターを渡されて、無我夢中で死ぬほど勉強しましたね。」

——いったん米国からジェトロに戻られて、87年に勧角証券(現みずほ証券)に転職され金融アナリストに従事されます。

 「転職した理由は、やはり海外に行って経済や金融の面白さに目覚めてしまったということがあります。今はだいぶ違いますけれど、当時、世界貿易の規模は2兆ドルくらいでした。ところが、いわゆる資本移動、お金が移動しているのは年間でその100倍以上あると言われていました。これはモノの動きだけでは世界経済は分からないということで面白くなってしまったのです。ジェトロはあくまで貿易ですし、やはり国の機関ですから、国策からなかなか離れられないというようなところもありました。」

——スカウトされたのですか?

 「たまたま需要と供給がマッチしたのでしょうね。金融界も今までと違う人間が欲しいし、私の方も今までとは違った仕事をしてみたい。こういうのは本当にご縁ですね。実は転職した年に、世界的株価暴落のブラックマンデーが起きてしまったのです。一瞬、これはまずかったかなと思ったのですが、ただ、その後バブルで景気回復しましたから。」

「学生と世界の熱気を共有したい」という熊井先生——その後、ニューヨークに転勤された。

 「6年間いました。アメリカが再生して一番元気になっていった時代でしたので、非常に面白かったです。

 私の仕事は基本的にはアナリストという仕事です。何をする仕事かと言いますと、例えばある株式があるとします。その発行している会社のいろいろな実力や財務の力を勘案して、現在の市場での評価が安すぎるのか、高すぎるのか、あるいは適当なのかという判断をしていくのです。債券ですと、例えば今のように金利がずっと下がって国債がものすごく上がっている状態はミスマッチなのか、果たして正しい水準なのか。そういった状況について意見を言うだけなのですけれども、それを聞いてディーラーやトレーダーたちが実際に動くわけです。」

金融、為替に絶対解はない

——また“ご縁”があって金融のプロが2012年からKITにいらっしゃった。ここで金融を学生に教えるのですか?

 「金融を中心にとは考えていません。私自身も力を入れていないのです。計量経済をやっていたので、統計的な手法とか、その分析手法といったものを教えます。あまり難しいことを入れますと学生が頭を抱え込んでしまうので(笑)。ただ、今はエクセルが良く出来ていますので、かなりのことを教えられます。」

——経済学部ではなく工学部で金融の基本的考えを教えるのは有意義なことですね。

 「はい。理論に力を入れるのではなくて、例えば工学部出身の技術者でも自分の技術をどうやってビジネスにしたら良いのか。ビジネスにするには絶対にどこからかお金を持ってこなければならない。そのやり方にはどんなやり方があるのか、どのように考えればいいのかというところを中心に教えていこうと思っています。」

熊井先生は「理論に力をいれるのではなく」と言う——為替とか金利とか素人はいくら聞いても今一つピンと来ません。でもこれからのグローバルなエンジニアはそれではいけないでしょうね。

 「難しいのは工学や物理学には絶対に揺るがない理論がありますね。例えばアインシュタインの“E=mc2”で宇宙の論理ができているように。しかし、金融の世界は2,3階建ての船が世界経済や市場という海の上をプカプカ浮いている不安定な状態なのです。絶対解というものがないのです。そこら辺、工学系に方にはなかなか納得していただくのが難しいのです。」

 経済、特に金融は筆者の最も不得意な分野だが、熊井先生の説明でいくらか分かった気になった。直に先生からいろいろ聞ける学生が羨ましい。

< 前のページ
次のページ >