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小泉成史 (こいずみ せいし)
早稲田大学理工修士。1974年読売新聞入社。1984年マサチューセッツ工科大学ヴァヌ―バー・ブッシュ・フェロー。米国歴史博物館客員研究員。2002-06年テレビ朝日コメンテーター。03年より金沢工業大学客員教授。著書「おススメ博物館」(文春新書)など。

模型飛行機から最先端の無人小型機へ

2011.10.15
 

航空システム工学科 岡本 正人 教授 こどもの頃に模型飛行機の魅力に取り付かれる人は多いが、岡本先生はそのままずっと小さな飛行機の研究を続けてきた。時代が変わり、技術が進むと小さな飛行機にも高性能な無線機、カメラ、センサーなどが搭載されるようになった。模型が単なる模型ではなく実用機になり始めたのだ。

——先生は大阪のご出身で東京の理科大機械工学科に進まれましたが、何か特に理由があったのですか?

 「いや、特に理由はありません。航空を勉強したかったのですが、われわれが学生のころ航空はあまり日本でできるところが少なかったのです。両親にも“あまり航空、航空と言うな”と言われて。では機械にしようかと、適当ですね。

 こどもの頃から模型飛行機が本当に好きで、いろいろなものを飛ばしていました。好きになったきっかけは父が好きで教えてもらったのでしょう。

 その頃はまだラジコンがなくて、エンジンが付いた模型飛行機をワイヤーで引っ張ってぐるぐる回転させて飛ばす、いわゆるUコンが主流でした。高校に入るぐらいから、Uコンに飽き足らなくなってきました。結局は自由に飛ばしたくなるのです。

 それと、どんどん小型のものを作るようになってきました。勉強しないでこそこそ隠れて作るものですから、目立たないようにと(笑)」

——片柳亮二先生( http://kitnetblog.kitnet.jp/koizumi/cat66/ )もこどもの頃からの模型飛行機作りからの夢を実現させていらっしゃいますが、飛行機にはやはり人を引き付ける力が強いですね。

 「それで小さなものを作っているうちに、小さくすると飛ばないということに段々と気がついて。また、本物の飛行機も好きで、零戦など、いろいろな開発ストーリーなどワクワクしながら読むのです。そうすると、自分が作る模型も、どうしても本物に似ていってしまうのです。それで本物に似せれば似せるほど、飛ばなくなっていくのです。

 ちゃんと作れば作るほど飛ばなくて、適当に作った方が飛ぶという、この違いは何だろうと考えるようになりました」

——それは高校生の時ですか?

 「そうですね。大学に行っても同じような感じでもう少し大きなグライダーを作りました。本物の飛行機であれば、出来るだけ細長い翼、縦と横の比、すなわちアスペクト比の大きな翼を持った飛行機のほうが性能が良いのです。ですが、模型で非常に細長い翼の飛行機を作ったら全然飛ばないのです。

 それで、これは何なのだと。どうも本物と模型は違うぞと気がついたのです。それで、そのようなことを研究したかったのですが、その当時、低いレイノルズ数で翼がどうすればというような研究は誰もやっていません」

——レイノルズ数というのは?

 「慣性力(周りの流体要素とは別に動こうとする力)と粘性力(周りと同様に動こうとする力)の比です。簡単に言うと、小さくて遅いものは粘性の影響を非常に強く受けます。ですから、例えば昆虫のようなものであれば、空気は非常に粘っこく感じているはずです。ところが、本物の飛行機などはものすごく大きいので空気の粘性はほとんど関係なく、その慣性力だけが支配しています。そこにすごく大きな違いがあります」

——どうして誰も研究しなかったのですか?

 「レイノルズ数のことは航空工学の専門家は誰でも知っていることです。でも低レイノルズ数の小さな翼の研究をしても、何の役にもたたないわけです。そのような飛行機はないわけですから、結局、研究として成り立たないのです」

——そこで先生はご自分なりに研究を続けるためにユニークな方法をとられた。

 「非常に飛行機をやりたくて、しかも小さなものに興味があって。それで学部を出て郷里に近い高校の教員(県立和歌山工業高校機械科)になりました。実は少し会社務めもしたのですが、どうしても小さな飛行機を忘れられなかったのです。

 学校の先生の場合は多少時間的にも制約を受けにくいですね。ですから自分の研究もできますし。それも全然、役に立たないわけではなく、生徒たちにも活用できましたし。ちゃんと実験をしないと分からないので風洞も作りました。

 和歌山時代に学位を取り、今度は秋田高専で流体力学の教員を募集していたのでそちらに移りました。和歌山にずっと退職までいようと思っていたのですが、子供もほぼ手を離れたので最後は自分の専門的なことをやっていきたいと。高専は高校と大学の中間ぐらいですので研究は結構できます。秋田高専時代にKITの先生と知り合い縁あってこちらに来ました。

 本州最南端の暖かい和歌山県から秋田県へと移り初めて雪の中での生活体験をしました。金沢はちょうどその中間あたりということでしょうか。それぞれの土地の文化を体験できるのは楽しいです」

——秋田時代から学生たちの模型飛行機づくりにもアドバイスしています。

 「秋田高専はコンテストで4連覇ぐらいしています。私は学生にはコンセプトだけ言っただけで、実現したのは学生たちの力です。

 ここKITではゴム動力で1時間飛ばそうとプロジェクトを始めました。あまりしゃべると学生たちに叱られるのですが(笑)、計算すればするほど、室内で飛ばすインドアプレーンになってしまいます。それでは全く実用にならないので外でちゃんと飛ばそう、ちゃんとコントロールしようと企てています」

火星探査機の研究も

——長い間、先生がコツコツと研究されてきた小さな飛行機が最近、急に注目され始めました。

 「2000年ごろから急速に増えました。マイクロエアビークル(micro air vehicle)と呼ばれる小型無人機です。それまでは、小さな飛行機の研究など世界中にないものだと思っていました。きっかけはやはり偵察などの軍事でしょうが、日本の場合は測量とか、あるいは災害現場の確認とかさまざまな応用が考えられます。

 最近、始めたのは火星の探査機です。火星は空気が薄いのでレイノルズ数がすごく低くなってしまうのです。それで非常に大きな機体にしてもレイノルズ数は昆虫サイズになってしまいます。そのような特性はあまり知られていないような話です。
 
 今、やっているのはプロペラだけが非常に大きい飛行機です」

 技術の進歩は面白い。たかが模型と思われていた小型機が一気に最先端の研究として注目されるのだから。

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