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小泉成史 (こいずみ せいし)
早稲田大学理工修士。1974年読売新聞入社。1984年マサチューセッツ工科大学ヴァヌ―バー・ブッシュ・フェロー。米国歴史博物館客員研究員。2002-06年テレビ朝日コメンテーター。03年より金沢工業大学客員教授。著書「おススメ博物館」(文春新書)など。

都市・金沢の魅力を探る  増田 達男教授

カテゴリ:建築デザイン学科
2009.10.14
 

建築デザイン学科 増田 達男 教授 このブログ形式によるインタビュー連載を始めて1年近くなった。KITの多くの先生方が地域の特色を意識して研究・開発をすすめていることに感銘を受けた。その中で増田先生は都市・金沢そのものに焦点をあてている点が特徴的である。

――都市を研究するにもさまざまな切り口がありますが・・

 「われわれは都市というと、どうしても繁華街を第一に思い浮かべますが、ほとんどは住宅地なのです。都市といえども住宅に住んでいる人たちがビジネス街や商店街の周辺に集まり住んで市街地が形成されています。また、郊外の住宅地から中心市街地へ通勤したりショッピングに出かけたりしているわけですから、圧倒的に多いのは住宅なのです。

 その住宅をどう快適に住みやすくするかということが大切です。われわれの研究では一つ一つの住宅の設計ではなく住宅規模とか建築密度とかが関わってきます。あとは環境、住環境ですね。例えば道が歩きやすいとか、町並が美しいとか」

――要するに集合としての住宅なのですか?

 「そうです。住宅の集合体といいますか、そこに都市との密接な関わりが生じてきます。でもやはり、金沢で面白いのは歴史ですね。伝統のある土地柄なので。研究テーマとしては金沢における都市型住宅の歴史的変遷を追っています」

――金沢の都市住宅はどのような特徴があるのですか?

 「一つには城下町ですから、武家屋敷の伝統をひいているということです。京都は公家の文化はあっても武家の文化ではなく、むしろ京都の代表的住宅は町家です。他の古い街、萩や松江といった城下町でもほとんど残っていないでしょう。金沢も決して武家屋敷が多く残っているわけではないのですが、空襲にも合わず歴史が途絶えませんでしたから。日本の中でこれだけの城下町が残っているのは金沢だけですので。研究材料というかデータに恵まれているということはありました。

都市・金澤の魅力を語る増田教授 でも、厳密に言うと武家屋敷は都市型住宅とは言えないのです。大きくて豪華な邸宅でしたから。ただ、それをコンパクトにした下級武士の足軽屋敷がありました。下級武士系の伝統が明治以降受け継がれるのですが、維新以降、武家が没落しますから、明治の初めはしばらく都市としての金沢は沈滞します」

――士族は食べていくのにも苦労するわけですね。

 「はい。貧乏しますから、明治の初中期は普請という事があまり行われないわけです。でも明治の終わり頃から主に大正の15年間、そして太平洋戦争の始まる前の昭和16年までの計30-40年間は足軽屋敷を原型とした市街地住宅が多く建てられ、近代都市金沢として復活することになります」

――足軽屋敷の特徴は?

 「平面でいうとサイコロの六の目というか長方形を6つに割った空間構成になっています。玄関からまっすぐ畳敷きの玄関の間を通ると奥に座敷があります。これで三部屋の接客空間がつくられています。もう一列、平行して台所が最初にあって、次に食事をする茶の間が続き、最後に奥の寝室が連なります。だから、2列3段型といっています。

 敷地は50坪(約165㎡)もあるので、落語に出てくる長屋よりはかなり立派です。江戸時代の姿を残す足軽屋敷を2棟、長町の武家屋敷の外れに移築復元してあります」

歴史を起爆剤に活性化

――金沢全体の都市としての特徴はありますか?

 「要するに加賀平野の中で城下町は際だって非常にコンパクトに密住していたわけで、あとは人口密度の低い田畑農村地域でした。しかも城下町に1万5000軒もの店舗がありました。武家屋敷、足軽屋敷よりも2倍以上の町人が住んで、都市サービスを提供しました。もちろん武具なども作りますが、食べ物をはじめ、ありとあらゆる生活サービスを供給してくれます。今の郊外のショッピングセンターなど比較の対象にもなりません。1万5000軒がずっと連なっていたわけですから。一日中、街を歩き回って遊興したという日記も伝わっています。

 ある意味で理想的な都市が作られていて暮らしやすかったと思いますよ。お店はいくらでもあるし、競い合って当時のおいしいものも食べられたでしょうし」

――現在の都市・金沢の問題点は何でしょうか?

 「郊外に住宅地が増えて中心部で空洞化が起こっています。駐車場だらけになり空き家が増えてきたりとか。お年寄りしか住んでいない地区も広がっています。

 そういう町をいかにして活性化していくかということですが、やはり歴史が起爆剤になると思います。歴史的な資産を大切に残しながら、その中で新しく発展させていくということが大切です。

 具体的にはプロジェクトデザインの授業で学生を市内に連れて行って、1時間ほど町中を歩かせてアイデアを出させたりしています。他にもいろいろなプロジェクトを企てています。KITはせっかく金沢を大学の名に冠しているのですからもっと密接に金沢に絡んでいくべきと思いますね。もっとも私自身は白山市に住んでいるので金沢市長に"それはいけません。金沢に住んでください"と言われてしまいましたが(笑)」
 
研究室のアンプは管球式の年代物 日本全体を活気づけるにはイノベーション(技術革新)が必要だといわれる。そのイノベーションを起こすのに一番必要なのは人の集まる魅力的な「場」だ。増田先生の話をうかがっていて、歴史都市・金沢はその「場」になる可能性が十分にあると思った。

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