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小泉成史 (こいずみ せいし)
早稲田大学理工修士。1974年読売新聞入社。1984年マサチューセッツ工科大学ヴァヌ―バー・ブッシュ・フェロー。米国歴史博物館客員研究員。2002-06年テレビ朝日コメンテーター。03年より金沢工業大学客員教授。著書「おススメ博物館」(文春新書)など。

時代が研究に追いついてきた 宮田 教授

カテゴリ:電気電子工学科
2009.02.15
 

学生を指導する 電気電子工学科 宮田 俊弘 教授 透明導電膜という材料がある。世界中のメーカーが熾烈なトップ争いを繰り広げている液晶テレビのディスプレーや太陽電池になくてはならない材料だ。それ自体で製品として売られていないので重要な割には一般市民にはあまり知られていない。
 
 この膜、その名のとおり透明(光を通す)なのに電気も通すという面白い性質を持っている。電気を通す代表は金属だが、普通、金属は光を通さない。また透明なものもガラスのように電気を通さないのが普通。ところがある種の金属の酸化物は透明なのに電気を通すのだ。
 
 液晶は電圧を掛けられることで変化し光を通すので、電極が透明でないとディスプレーとして見えないわけだ。また太陽電池も光を通す電極があるからこそ電気を外に取り出せる。
 
 この透明導電膜、今までほとんど酸化インジウムが使われてきた。しかし、このインジウム、ほとんどが中国からの輸入に頼っている。宮田教授は同じく電気電子工学科所属の南内嗣教授と共にインジウムに替えて豊富な亜鉛を使うプロジェクトを推進中だ。経済産業省の希少金属代替材料開発プロジェクトに07年から採択されている。

――時代の潮流の研究ですね?

 「実はこの研究はKITの南内嗣先生が20年以上も前に始めていたのです。私は当時まだ学生でした。南先生は1984年に世界で最初に酸化亜鉛を使って、酸化インジウム並みの非常に高い導電性と光透過性を実現させ論文発表をしたのです。当時、酸化亜鉛で透明導電膜を開発している人は世界に極僅かでした」

――実用化が難しかったのでしょうか?

 「そんなことはありません。われわれは90年代前半には基本的な技術はすべてクリアしていました。何度も学会で発表し、新聞発表もしましたし特許も持っています。でもメーカーが使ってくれないのです。インジウムの技術が確立し、いくらでも輸入できましたから」

――あえて新しい技術を使う必要がなかったわけですね。

 「われわれも稀少金属の代替とはいわなかったのです。ただ、亜鉛はインジウムに比べて値段は百分の一、非常に安いですよと。インジウムは重金属ですけど亜鉛はおしろいに使われているくらい人体に優しい材料ですとか。もちろん埋蔵量も多いので資源的な問題もないと言ったのですが。当時は資源ナショナリズムもなかったので、やはり早すぎたのですね。ようやく時代が追いついてきたということです」

――インジウムは中国以外では産出しないのですか?

  「インジウムの鉱山というのはありません。インジウムは実は亜鉛の副産物で、亜鉛鉱石の中から亜鉛を精製する過程ででてくるのです。亜鉛の埋蔵量はカナダが一番なのです。しかし、亜鉛鉱石の中に含まれるインジウムはごく僅かで、精製して取り出すのにべらぼうなコストがかかるので先進国ではペイしないのです。唯一ペイするのが中国というわけです。中国は輸出を奨励していたのですが一昨年あたりから政策が変わり奨励金がなくなり関税をかけるようになってきたのです。もし中国が輸出をストップしたら日本はお手上げなのです」

 宮田教授は米国マサチューセッツ工科大学で客員研究員も経験した。ちょうど携帯が出だした頃で、スイッチング・スピードの速い集積回路の高速トランジスタを研究し、米国の厳しい競争を目の当たりにした。また08年9月には韓国の大学で招待講演を頼まれ、大企業「サムソン」丸抱えの最新の研究施設、建設中の図書館などを見て驚愕したという。しかし、優秀な学生でも過半数が就職できない韓国の過酷な現実もある。

危うし日本の理工教育

 透明導電膜の詳しい説明から始まって、ディスプレー、新聞、自動車など各業界の展望などなど。そして日本の産業界、教育と宮田教授の説得力ある話はとどまるところを知らない。その中でも一段と熱がこもっていたのは日本の理工学教育への行く末だ。

日本の理工教育について語る 宮田教授 「海外の学会や会議へ発表しに行きますと、中国、韓国、インドの若い連中が山ほどきています。どこで学んでいてもドクターをとって将来自国でベンチャーを立ち上げることができる力をたくわえています。日本はお寒い限り。まだ余力のあるうちに優秀なドクターは国が丸抱えで育てるような思い切った政策転換をしないと本当にまずいです」

 こうした国際的な体験を常に学生たちに言い聞かせているという。

 「大学のある野々市は非常に平和で勉強するにはいい環境だけれども、外を見ろよと。中国と韓国の連中で、もし日本の移民政策の敷居が下がってどっと入ってきたら君らの仕事はないよと」
 
 「国際的なセンスがないとエンジニアはこれからやっていけない。やはりグローバルなマーケットを意識しながら、どういう時期、タイミングでどういう製品を開発していくと利益に繋がるのかと。会社は利益をあげなければ存在価値がないので、その中で考えないと」

 宮田教授のこうした言葉を学生一人一人がどれだけ自分のこととして受け止めていけるか―。そこにKITの未来がかかっている。

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