山田先生は現在、建築学科に籍を置かれているが、大学学部の時は土木学科だったという珍しいご経歴だ。いかにして土木から建築に移られたか、その経緯を伺った
――先生はもともと京都大学土木学科のご出身ですが、何か土木に行こうとするきっかけはあったのですか?
「父親が京大出身だったので憧れていました。元々は建築をやりたかったので、現役の時は建築を受け落ちました。一浪の時、安全を考えて、当時、少し偏差値の低かった土木にしたのです。同じ空間を扱う学問ですし」
――土木学科の中でデザイン関係を勉強しようとしたわけですね。
「いや、土木も建築と同じように空間をデザインするものだと思って入ったのです。ところが実際に授業でやるのはほぼ力学系の計算ばかりなのですよ(笑)。
構造物というのは構造のシステムだけを描くわけではなくて、形としてあるではないですか。授業でやるのはシステムの話しかありません。これが実際、どういう橋の形になるのだということはほとんど意識されないので習わないのです」
――それは困りました。
「これはもうやっていけないと、建築学科に転学科しようかなとも思ったりしたのですが、踏ん切りがつかずズルズルと土木にいました。しかし、土木でもデザインをするという分野が作られていたのです。提唱した方は東京大学出身で東京工業大学の教授をしておられた中村良夫先生です。中村先生の書かれた『風景学入門』を読んで、これだと思いました。
それで京大の研究室を良く調べると建築と土木が一緒になっている研究室があったのです。教授が建築系で助教授が土木系、そういう研究室があることがわかり、ではそこを目指そうということになったのです」
――調べないと分からないものなのですか?
「そうなのです。今の学生さんは真面目なので研究室や先生のことを良く調べますが、僕らの頃は、そういう感じはなくて。たまたま3年生の冬休みの読書レポートの課題の1冊に『風景学入門』があって、それを読んで、この分野を知ったのです。4年生のゼミの時は行けなかったのですが、大学院から受け直して無事にその環境地球工学の研究室に行けたのです」
――修士課程に進まれて、どのような研究をされたのですか?
「修士の時は用水路の研究をしました。京都には多くの用水があります。川から引いてきた水を最終的に個人の家の敷地の中に取り込んで庭の遣り水として使ったりします。そういうパブリックな空間の水をプライベートな空間に流し込むというやり方ですね。
一例をあげると琵琶湖疏水から引いてきた水が東山の別荘群、庭園群に流れていくネットワークがあります」
――修士の後は?