KITの先生方は理系男性が圧倒的に多い。その中でバリバリの文系女性の大砂先生は極めて異色だ。しかし、シンガポール、ソウルでの豊富な国際ビジネス経験を基にKITの学生や大学自体のグローバル化の推進役として期待が集まっている。
----先生は金沢泉丘高校から早稲田の西洋史学科に進まれました。西洋史を勉強したいという何かきっかけはあったのですか?
「大学を選ぶ時って何かあります? 私は全然ありませんでした。いろいろ受けて、そこに受かったからみたいな感じです。
早稲田というより、すごく東京に出たかったのです。生まれ育って思うに、金沢はとても封建的で、もうこんなところにいたくないと思って。テレビや映画でみる東京にいってみたいと。さらに世界に行ってみたいと、外国のことを知りたいと思って、西洋史を選んだのですけど。フランスとドイツの中世から勉強したのですが、その時、語学の勉強もちょっとしました」
----世界に出たいとジェトロに入られた?
「世界中に80カ所ぐらい事務所があるので。でも入った時は女性の地位が低くて、雇用機会均等法成立の前だったので。年齢が分かってしまいますね(笑)。雇均法前だったので"3年ぐらいで辞めてください"みたいなことも言われました。仕事は面接の時、"男性の補助職ですよ"とも」
----それは露骨ですね。
「ええ。普通に結婚して子どもを産んで辞めると思っていたのですけれど、何故かそのまま(笑)。大学卒業後2年で結婚しましたが主人も東京勤めだったので、共働きでずっとこられたのです。仕事は確かにつまらなくて伝票の入力とかファイルの管理とか。でも公的機関なので男性の補助職でも待遇は良いのです。給料は男性と同じで、子どもを産んだら早く帰れるとか」
*ジェトロについては、熊井泰明先生のインタビュー( http://kitnetblog.kitnet.jp/koizumi/2013/10/post-69.html )を参照して欲しい。職場は違うが同じ法人に勤められていたお二人が偶然KITで教鞭をとることになった。熊井先生はジェトロでは大砂先生の3年先輩だったという。
----海外赴任のきっかけは?
「その後、子どもを産んで、中学校ぐらいになって手がかからなくなってきたころに雇均法もできてきて、ジェトロでも人手が足りなくなって海外に行く独身の女性職員が出始めたのです。そこで私も上司に子連れ単身赴任で海外に行きたいと申し出て、ビックリされました。主人は、どうぞご自由にという感じです。そしてシンガポールに4年間行かせてもらいました。
家事は大変でしたのでフィリッピン人のメイドを住み込みで雇いました。日本食を70種類ぐらい教えましたよ。それでお弁当を作ったり、子どもの世話をしてくれて」
----ジェトロの海外の事務所は具体的にどんな仕事をするのですか?