研究者の半生には専門分野に入るきっかけとなった「自分のやりたいのはこれだ!」と思う瞬間があることが多い。生まれて初めて望遠鏡で見た土星の輪に感動して天文学者になったり、鉄腕アトムのアニメを見てロボット製作者になったりといった具合である。
矢島先生が鉄の研究を志したのはKITの金属材料の授業だったという。
――それまでは特に金属に興味を持っていたわけではなかったのですか?
「子供の頃、お祭りか何かで肥後ナイフという小刀を買ってもらってよく遊びました。竹トンボとか作ったりして。でも使っているうちにだんだん刃の先端が曲がってきたりして切れなくなってしまう。
雑誌や本などで刀鍛冶の人が刀を作る時、鉄を真っ赤にして水に入れてジューッとやったりする光景が頭にあって、焚き火を使って真似してみたら余計に切れなくなってしまったのですよ。そのことをずーっと不思議に思っていました」
――KIT に進学されたのは何故ですか?
「ちょうど大学紛争の頃でごたごたしている大学はいやだったし、父親がサラリーマンでしたけど機械関係なので何となくという感じです。工学部をでてエンジニアになれればバラ色というイメージでした。
大学はどこでもそうでしょうが、高校と違って好きな時間に行けて好きな授業をとれて面白かったです。3年の専門科目で金属材料の授業で初めて熱処理とか相変態とか結晶構造の話を聞いて、目からウロコが落ちたのです。子供の頃からの疑問だったなぜナイフが切れなくなったかが解けたのです。適正な温度以外で処理をしたことということです。へエーッという感じ。勉強というのはこういうことなのかと、それに気付いた。それからはかなり勉強に身をいれるようになり、4年の時に助手として大学に残ってみないかと言われたのです」
――それはラッキーですね。
「それで残って機械工作の先生について切削工具の研究などをしているうちに、日立製作所の出身で金沢大学の工学部長までつとめられた小河 弘(ひろむ)という先生がKITに来られたのです。この先生が僕の本当の師です。
小河先生は東京工業大を出て日立に入社、仕事をしながら圧延ロールの研究で学位を取られました。当時はサラリーマンをしながら学位をとるのは大変珍しいことでした。圧延というのは金属に圧力をかけて薄い板をつくることですが、僕も機械出身だけれども、金属の破壊現象に興味を持っていたので小河先生の下で研究をすることにしたのです。」
ところが小河先生は矢島先生の学位論文をまさに審査している途中、脳梗塞で倒れ、そのまま入院するという事件が起きてしまった。
――ずいぶんとドラマチックですね。