あまり一般には知られていないが、日本の工作機械産業は自動車と並んで世界一のレベルにあるという。工作機械は"機械を作る機械"とも言われ、工業生産では最も重要なものだ。工作機械が専門の森本先生は地域の発展に貢献するため故郷に戻ってきたという。
----先生は地元、七尾の出身で七尾高校から金沢大学機械工学科に進まれました。機械をやりたいというきっかけは何かあったのですか?
「能登の宝達志水町という本当に田舎の町の出身です。もともと機械が好きで、それこそ自転車に始まってオートバイ、自動車に乗るという具合に。自分らの年代はまさにそういう時代と一緒に動いてきたような気がします。
ここにスバル360のラジコンがありますが、父親が一番最初に買った車で、近所でも珍しがられたものです。私は今でも2輪に乗ってレースに出ます。しかもエンジンから車体まで作ってしまう。といってもエンジンはさすがに既製品を分解して調整するのですが」
----金沢大でも自動車を勉強したのですか?
「いいえ。当時、伸び盛りの繊維機械をやりました。ジェットルームやウォータージエットルームいうのが本当に伸びる時代で。当時は石川県にも繊維産業がありましたので、研究室もそのようなことを研究していたのです」
*布を織る時には縦糸の間に横糸を通して織る。古くは糸を巻いたシャトル(杼=ひ)が往復して横糸を通したが、現代の繊維産業では横糸を空気(ジェット)や水で飛ばして織る。これがジェットルームやウオータージェットルームと呼ばれる織り機だ。
----空気や水で横糸を通す織り機は初めて見ると手品みたいでビックリしますね。
「水の摩擦で横糸を引っ張っているのです。糸が反対側に到達したとこで留めて、ハサミでプチと切るという一連の動作を素早くやっています。私は空気で横糸を飛ばすにはどのくらいの力が必要か、空気抵抗はどのくらいかなどを計算したりしていました」
----当時、空気で織る織り機はどのメーカーが進んでいたのですか?
「空気は豊田自動織機、石川県でいうと津田駒工業の2社ですね。当時は日産もスズキもやっていました。自動車メーカーなのですが、織り機のメカニズムは複雑でエンジンに近いものがあります。大学で織り機を機械工学的に研究しているのはこの近辺では金沢大と信州大しか無かった」
----メーカーに入ろうとはしなかったのですが?