芸は身を助ける、と言われるが、赤坂先生は学生時代からの趣味のパラグライダー好きがそのまま専門の研究になるという何ともうらやましい話だ。最近の研究はスパイ飛行などで何かと話題になる無人飛行機や、米国では宅配サービスも始まろうとしている無人ヘリコプターと最先端の開発にも繫がっている。
----先生は東海大学航空宇宙学科のご出身です。高校時代から航空関係にあこがれていたのですか?
「出身地の神奈川県愛川町は米軍厚木基地も近く、飛行機はしょっちゅう見ていました。 そんなに飛行機、飛行機とあこがれたわけではないです。高校3年の時の学科選びの案内をいろいろ見ているうちに航空ってロマンがあるなと、先端の学問であるというキャッチコピーに惹かれました。
大学に入った時の新入生歓迎会でビラをもらって、パラグライダーのサークルに入りました。これにはまってしまい、バイトでインストラクターをやるまでになりました」
----大学の近所で練習できたのですか?
「いいえ。長野県の菅平高原まで行きました。神奈川県にも練習できるところはあるのですが、風の条件とかいろいろあるので、うちのサークルは面倒見が良かった菅平に行っていました。雪のない時にスキー場のゲレンデの斜面を使うのです。毎週末に行き、夏休みは2ヶ月ぐらいの合宿です。
パラグライダーは一応ライセンス制になっていて学科試験もあるのです。航空力学の初歩も教えるので好都合でした。自分が勉強していることとリンクしていたのです。
当時ですが、バブル時代全盛でパラグライダーもブームになり、各地で事故が多発してしまいました。国内で安全をちゃんと検討しようという専門部会が立ち上がったのです。私が学部4年生になる前でした。
恩師となる先生が、ちょうどその部会に関係していたため、"東海大でも誰かパラグライダーの研究をするやつがいないか"と探し始め、私にお声がかかり卒論で研究できたのです」
「パラグライダーは布とヒモでできているので、グチャッとつぶれると、回復せずに
スピンして落ちてしまうのです。翼がピンと張っていないといけないわけです。風が荒れている所で飛んでしまうと、当然グチャッとなります。ただ、今はだいぶ技術も進歩したので、よほどの風でないとつぶれないです。また、いざと言う時は予備のパラシュートを持っているので、高さが十分にあれば開きます」
----その後もパラグライダーの研究を続けられたのですか?
「その専門部会が3年間だったのです。学部の卒論で1年間行い、修士で2年行い、ちょうど3年です。ずっとパラグライダーと関わりたいなと思って大学院まで行き、さらに面白くなって博士課程まで行こうと。博士論文をパラグライダーの研究で行ったのはまだ日本ではいませんでした。自慢するわけではありませんが、この業界では一応、名前が知られています」
----研究は具体的にどのようにするのですか?