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小泉成史 (こいずみ せいし)
早稲田大学理工修士。1974年読売新聞入社。1984年マサチューセッツ工科大学ヴァヌ―バー・ブッシュ・フェロー。米国歴史博物館客員研究員。2002-06年テレビ朝日コメンテーター。03年より金沢工業大学客員教授。著書「おススメ博物館」(文春新書)など。

2014年01月 アーカイブ

メディア情報学科 山岸 芳夫 准教授 山岸先生はもともと素粒子物理の研究者。研究の道具として使うインターネットに没入している間にいつのまにかネットワークの専門家に。ネットの進歩の歴史を身を持って体験していた。

----先生は新潟の出身で、大学は新潟大学の物理ですが、何時頃から物理をやりたいという思いがあったのですか?

 「中学の時からですかね。物理が好きで、その当時はもちろん物理という科目ではないのですが、物理関係の実験をいろいろやっていて、運動方程式を解いたら、物体の未来の位置などがわかるというので。これはスゴイと。そうしたら未来は全部分かってしまうのではないだろうかみたいに考えて。それで物理を勉強していく中で、高校に入り、量子力学の考え方を知ると、実はそうではなくて、未来は誰にも分からないというようなことが分かって、これもまたスゴイと思って。それで物理をずっと研究しようと思ったのです」

----大学院は金沢大学に進まれました。ここでは何を研究されたのですか?

 「素粒子物理の理論の方です。鈴木恒雄先生というクォ−クの閉じ込め問題では世界的な方がおられました。

 物理は大きく実験と理論に分けられます。分野的には素粒子、原子核、物性、宇宙などですが、そういった分野の中でさらに実験・理論と分かれることが多いです。私は素粒子の理論をやっていました。さらに、その理論も、かなり理論的には統一する方向にいく、そして非常に数学的な、フォーマル物理というのですが、これをやる人と、それから実験で確かめられるぐらいのところをやる人がいて、私はその実験で確かめられる、いわゆる現象論の方です」

----博士課程の研究はどんなことを? できるだけ易しくお願いします。

 「昨年2013年のノーベル物理学賞はヒッグス粒子を提唱した学者3人に授与されました。ヒッグス粒子は物質に質量を与えるもので、これで標準模型という現代物理学の基本が確立できたのです。昔はトップクォークという素粒子が見つからなくて、でもそれが93年ぐらいに見つかって、後はヒッグスだけだという話になって、それが最近、スイスのCERN(セルン、欧州原子核研究機構, http://home.web.cern.ch/ )という国際研究所の加速器で発見されたので、ノーベル賞へと結びついたわけです。

 ただ、さらに統一した理論の完成のためには、さらにエネルギーの大きな加速器が必要なので、国際プロジェクトILCが進められています。僕もその大きな加速器で発見できるかも知れないことをずっとやってきています。その一つが超対称性というもので、これが発見されると、統一理論がさらに美しく完成されたものとなるのです」

----先生は金沢大学の後、七尾短期大学に講師として移られます。

 「金沢大の卒業生の様子をみていても、なかなか理論物理だけでメシをを食って行くのは難しそうだなと。

 ちょうどその時期、90年代前半、さきほどのCERNでインターネットに革命が起きました。World Wide Webですね。われわれは素粒子をやっていたので、そういう動きが全部わかっていました。日本で最初のホームページは筑波にあるに素粒子物理学のトップ、高エネルギー研究所(KEK)なのです。当時、素粒子物理の人たちはインターネットのトップランナーだったのです。それで七尾短大に行っていた先輩から声をかけられたのです。コンピューターを教えられるしホームページも作れました」

----素粒子の研究者とWorld Wide Webがどうして結びつくのですか?