熊井先生は金融のプロで、しかも世界経済の中心のニュ—ヨークで6年間もアナリストとして働いた経験を持つ。「世界が音を立てて変化している」ことを感じ、その熱気を学生と共有したいと言う。
——先生は横浜市立大学文理学部のご出身で、卒業後、JETRO(ジェトロ、日本貿易振興機構)に就職されました。ジェトロは経済産業省所管の独立行政法人で、日本の貿易の振興に関する事業、開発途上国・地域に関する研究など幅広く実施しているところです。ジェトロを志望された理由は?
「大学では外交官に進む連中も結構いましたし、国際関係論なども盛んだったものですから。やはり海外に出たかったということもありました。それなら、海外に行けるところが良いだろうということで。11年間勤めました。」
——ジェトロから米国に留学されたのですか?
「はい。入社3年目で行って来いと。それまでジェトロでは基本的に研修は海外の特殊語、タイ語やインドネシア語などの語学研修が中心でした。私の時からそうではなくて、もっと基本的な学問を修めて来いという制度になりました。
それで、自分で分厚い資料を見ながら、いろいろ調べて米国・イリノイ大学に行くことになりました。実はどんな大学だか行くまで良く分からなかったのです。当時はまだ日本がものすごく注目されていましたので、日本から“行きたい”というと、“では、来て見たら”という学校も結構あったのです。とてもラッキーでした。」
——イリノイ大というとイリノイ州で一番の大都会シカゴにあるのですか?
「ちょっと離れています。シカゴから南の方へ150kmほど南にあるアーバナ・シャンペーンという町にあります。日本ではアイビーリーグのハーバード大やイエール大ほど有名ではありませんが、公立の名門校でノーベル賞受賞者を11人も出しています。」
イリノイ大学はコンピューターの開発史上でも重要な位置を占め、古くは並列コンピューターの先駆けとなったILLIAC(イリアック)が有名。また学内に米国立のスパコン研究所(NCSA)があり、インターネットが一般に普及するきっかけとなった元祖ブラウザー、Mosaicはここで開発された。
——イリノイ大では何を勉強されたのですか?
「計量経済学です。経済のいろいろなデータを使って経済の構造を分析して予測するという作業をずっとしていました。
要するにここに100円を入れたら一体幾らになって返ってくるのか。あるいは政府が100円使ったら経済はどれくらい大きくなるのだろうということを数字で表していくのが一つの流れです。それと、そのような経済的なシステムをブラックボックスとしてとらえ、その仕組みを明らかにするというような研究が中心でした。
いきなりコンピューターを渡されて、無我夢中で死ぬほど勉強しましたね。」
——いったん米国からジェトロに戻られて、87年に勧角証券(現みずほ証券)に転職され金融アナリストに従事されます。