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小泉成史 (こいずみ せいし)
早稲田大学理工修士。1974年読売新聞入社。1984年マサチューセッツ工科大学ヴァヌ―バー・ブッシュ・フェロー。米国歴史博物館客員研究員。2002-06年テレビ朝日コメンテーター。03年より金沢工業大学客員教授。著書「おススメ博物館」(文春新書)など。

2017年06月 アーカイブ

応用化学科 吉村 治 教授 吉村先生は「松任生まれの松任育ち。根っからの松任人」を自認する。石川県の工業試験場に25年間勤務された経験を元に、地域に根差した幅広い研究を目指している。

――先生が化学を志したきっかけは何だったのですか?

 「高校時代は数学と歴史が好きだったのです。どちらかというと歴史をやりたい、考古学の方面に進めたらと漠然と思っていました。でも、たまたま星稜高校の木坂信先生という化学の先生に出会いまして。化学の面白さに目覚めたのです。教え方も良かったのですが、いろいろな実験が面白かったと思います。その先生が金沢大学の化学の出身だったのです」

――大学は地元以外をという考えはなかったのですか?

 「遠くへ行く気満々でした(笑)。京都に行きたかったのですが、家は兼業農家で、昔は本当に農繁期に人手が必要だった。農業を継いでいた父ですが、当時、父の従兄弟2人は金沢大学で教授をしていたのです。医学部と教育学部。父自身も多分、勉強をしたかったのでしょうが、農家の長男なので諦めたのだろうと。で、私は金沢大学に行かせてもらえたのです。」

――それでは自分勝手に遠くの大学に行けませんよね。では、ずっとご実家から大学に通っていた。

 「大学どころか以前の勤務先だった県工業試験場も、今でもずっと実家から通っています。要するに他の場所に住んだことがない。だから松任生まれの松任育ち(笑)。

 私が通っていた頃は金沢大学はお城の中にあり、兼六園はタダだったので、みんなあの中を通学していました。昔、金沢は学生に優しい街でした。学生が付けで飲み食いできるのです」

――大学では工業化学を学ばれて、専門はどんなことを?

 「ずっと分離分析化学です。試薬、ある化合物を作り、それをいろいろな事に応用しようとすること。例えば、水の中からウランや希土類元素を採る樹脂を作るとか。鉄分を測る試薬に応用するとか」

――大学を出られて、石川県の予防医学協会に勤められていますが、ここではどんなお仕事をしていたのですか?

 「そこでは食品分析とか細菌検査、排水検査や水の分析ですね。要するに地下水が飲料に適しているかどうかといったことです。研究もいろいろあったのですが、基本的には技術者です」

――それから工業試験場に移られます。

 「恩師に金沢大学に新しくできた博士課程に1期生として誘われたのです。修了して勤めたのですが、工業試験場の目的というのは石川県の産業振興なのです。3本柱は研究、企業が持ってくる依頼試験、それと中小の企業の指導とか相談に乗るとかです。 始めは学生時代から関係があった化学食品部という部署に入るものと思っていましたら、いきなり特産意匠部というとこに配属されました。特産品というのは主に漆。石川県には有名な輪島塗とか、山中漆器、金沢漆器といろいろありますので、漆の分析とか改良を担当することになりました。漆は特に光に弱くて劣化するのです。でも、そこは1年だけで、化学分野に移り、プラスチック、機能性高分子・繊維などの担当になり25年間勤めました」

――縁あってKITにこられましたが、試験場時代からKITとの繋がりはあったのですか?