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小泉成史 (こいずみ せいし)
早稲田大学理工修士。1974年読売新聞入社。1984年マサチューセッツ工科大学ヴァヌ―バー・ブッシュ・フェロー。米国歴史博物館客員研究員。2002-06年テレビ朝日コメンテーター。03年より金沢工業大学客員教授。著書「おススメ博物館」(文春新書)など。

2013年02月 アーカイブ

電子情報通信工学科 野口 啓介 教授 いつの間にか携帯からアンテナが消えてしまった。スマホにいたっては最初から存在しない。と言ってもアンテナはなくなったわけではない。小形化、高性能化で製品の内部に入って活躍しているのだ。最近はWi-Fi(無線LAN)などの普及でアンテナの重要性は増す一方だ。野口先生は小形アンテナのさらなる高性能化を目指している。

——先生は山形県鶴岡市のご出身で、同じ日本海側のKITに進学されたわけですが、どうしてKITを選ばれたのですか?

 「当時、大阪大学からKITに来られた石黒先生という方がレーザーの研究をしていらっしゃったのです。もともと小さい時から光などの興味があって自分も実験をやったりしました。KITにそのような専門家がいらっしゃるなら、是非レーザーをやってみたいと思って来ました」

——それは、ずいぶんしっかりとした高校生ですね。

 「いえ、いえ。高校生の時に先生からアドバイスを受けただけです。ところが、いざKITに入って、石黒先生に“レーザーは今後やっていけますかね?”と伺ったら“レーザーはもうやらない方がいいよ。レーザーでやることは半導体レーザーしか残っていない”と言われてしまいました。そうか、レーザーはやることがないのかと。

 ただ、その時のことを考えると当時、光ファイバー通信が立ち上がりの時でもあったので光をやっていても面白かったのではと思います。

 光やレーザーがやれないのなら、光は電磁波の一種なので、光からちょっと周波数を下げてと、電波の世界に入りました」

——そもそも、どうして少年時代から光に興味があったのですか?

 「小さい時から光というのは目に見えて何か美しいなというイメージが強かったのです。例えば、夜空に輝く星、色が異なる天体などにも興味があって、光というのは面白い性質を持っていると思っていました。

 その光を調べるにはどうしたら良いかと考えて、大学に行って勉強すればいいと。そして鶴岡からここKITに来たのです。大学に入ってみて電波関係にいらしたのは、三菱電機から来られていた水澤丕雄先生がアンテナについて研究をされていました。それに山口尚先生、奥村善久先生と大御所が揃っていました。それで電波関連が面白そうだと」

——大学院は東北大学に進まれます。東北大といえば八木・宇田アンテナが有名です。東北帝国大学(現・東北大学)の八木秀次教授と宇田新太郎助手が第二次大戦前に世界に先駆けて開発し、日本よりも米英で有名になりました。

 「アンテナ研究の総本山といえば東北大なので、今度はそちらに場所を移しました。八木・宇田系列の安達三郎教授という方がいらっしゃって、アンテナ研究の歴史を踏襲されていました。そこでアンテナについて研究を行いました」

——どのようなアンテナですか?

 「その時は超電導アンテナをやっていました。なぜ、超電導かというと、アンテナには損失があるのです。損失を極力小さくしてやれば、電波の放射の効率が上がります。超電導材料をアンテナの金属導体のところに使って、超電導状態を起こして放射させる。実を言うと宇宙で使う目的だったのですが、結局は実用化しませんでした」

——超電導アンテナは聞いたことがありませんものね。何が難しかったのですか?