モノづくりを核にさまざまな経歴の先生が集まるKIT。その中で増山先生は一際、ユニークな経歴の持ち主だ。なにしろKITに来る前はヨットの設計を専門としていたのだ。もともとは富山大学機械工学修士で大企業の石川島播磨重工業に入社し、蒸気タービンの設計をしていた。しかし僅か9か月で退社し、それまで何の経験も知識もないヨットの世界に飛び込んだのだ。ヨットを見たこともほとんどなかったという。
――せっかく入社した石播をどうして辞めたのですか?
「やりたいことを、とことんやってしまう性分なのです。石播の仕事はそれなりに面白かったのですが、それをずっとやっていくのが良いのかなと考えて。
もう一つ、メーカーでモノを作るというのは必ずコストの問題が出てきます。設計上どうしてもこれは譲れないというところがあっても、"コストがこうだから、設計のグレードを下げなさい"と言われてしまいます。
いろいろ考えたら、結局、遊びの世界しかない。例えばF1,1台1億円。でも一人しか乗れませんよね(笑)。要するに、損得勘定をしないで究極の良いものを作りたいと。
大学院で流体をやったので、その分野を調べたらヨットとグライダーとスキーと全部、遊び道具。グライダーは日本で1社しかなく月産1機。スキーはすでに大きな産業になっていたのでヨットしかないと。」
――ずいぶんと大胆ですね。
「ヨットデザイナーとか造船所とかをずっと調べて手紙を書きました。"こういうわけで是非ともヨットにかかわる仕事がしたい"という内容で。ちゃんと皆さん、ご返事くれましたが、全員"やめなさい"という返事でした。でも、その中の一人の熊沢さんという親方の手紙に波長が合う気がしたので、横浜まで会いに行きました。そこはヨットで有名な造船会社の設計部門なのですが、"じゃあ、来ますのでお願いします"ということに」
――そこで初めてヨットに乗ったのですか?
「その親方の設計したヨットに乗ったのが最初。乗ってセールに風がふっとはらんで、すーっと船が走り出す。その瞬間に鳥肌が立ちました。大体、ヨットに乗っている人はこれで皆、はまるのですよね。その時、やっぱり間違っていなかったなと思いましたよ。
要するに流体力学で、まさに風の力で3トン、4トンもあるヨットが走るのですよ。帆の曲面の美しさが流体力学的にマッチしていること、船体そのものの曲面も、やはり流体力学的にきれいですし、工学的なものと性能と美しさが渾然と一体になっている、これがヨットではないかなと」
――そこでどのような仕事をしたのですか?
