花岡宏匡さんが「私の体験発表会」で最優秀賞

金沢高専機械工学科3年生の花岡宏匡さんが、2月21日(日)に石川県立生涯学習センターで行われた「私の体験発表会」(石川県話し方研究会主催)で、最優秀賞に選ばれました。

0221a.jpg 花岡さんは、昨年10月の工大祭のイベントの一つで、穴水町から野々市町までの約100キロを夜通し歩く「100km歩行」に参加した体験をテーマに発表しました。

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このスピーチは、昨年12月に行われた金沢高専の「校内意見発表会」で初めて披露され、1位に選ばれました。
その出来が素晴らしかったため、校長先生から今回の発表会への出場を勧められたそうです。

「文章を書くのが好き」という花岡さん。出場に当たっては、学校外の方にもわかりやすいよう細部まで原稿を見直し、修正したそうです。以下にスピーチの全文を掲載します。ぜひご一読ください。

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「100km歩行」 M3 花岡 宏匡
金沢工業高等専門学校の機会工学科3年花岡宏匡です。
高専もとい、キャンパスを共有している金沢工業大学といった工業系の学校にはオタクが多い、貧弱そうというイメージをお持ちかと思いますが、今日は自分の話を聞いて「工業系もガッツがあるな」と、思っていただけると嬉しいです。

さて、突然ですが「100km」というと、ここからどこまで行けると思いますでしょうか?
金沢から富山県の高岡市までが約50キロで、福井県の福井市までが約75キロあります。
では、100キロ先に何があるか。
ここから100キロ北に「穴水湾自然学苑」という金沢工大の研修所があります。
去年の10月自分は、ここから、金沢工大まで歩いて帰る「100km歩行」に参加しました。
金沢工大の文化祭のイベントの一つで、一睡もする事無く、28時間かけて穴水から野々市までの100キロ以上の道のりを歩くというもので、ゴールできる確率が50%と、尋常でない過酷さを誇る競技です。

何故こんな競技に参加しようとしたかですが、2年前に自分の尊敬する大学生の先輩がこの競技に参加され、ボロボロになって帰ってきた勇姿を見て「俺も歩こう」と、思った事と、日頃お世話になっている大学生の先輩方から誘いを受けたことが大きな理由です。大会の1か月前、自分の100km歩行出場を聞いた、同じクラスの友人が面白そうだと言い、こうして、高専初の「100km歩行」参加者が2人になりました。

10月24日土曜日 正午 穴水湾に集まった107名の参加者が、いっせいにスタートしました。
友人は、殆どの参加者と同じように、ジャージを着て歩いていましたが、自分と誘って下さった大学生の先輩方は、まわりと明らかに違い、迷彩服やベスト、ヘルメットにブーツを装備していました。
実は、2年前に100kmを歩いた大学生と、自分を誘って下さった大学生の先輩方とは「サバイバルゲーム」という共通の趣味を持っている者どうしで、空気銃を使用しての模擬戦闘を行うスポーツ「サバイバルゲーム」で使用している重たく、動きにくい装備を着こんでの参加をしていました。その中でも自分は「スネーク」という有名なキャラクターの格好を模した迷彩服姿だったため、道行く子供達から手を振られたり、写真をとられたりと、キャラクターの人気ぶりを再確認していました。
能登の風景を楽しみながら、30キロ程歩いたのですが、既に辺りは真っ暗で気温も下がってきました。震えながらも、友人が「絶対にゴールしよう」と、自分を何度も、何度も励ましてくれて、それが何よりも心強かったのですが、既に友人の脚には無数の水膨れができていました。
そんな友人が、40キロ地点で「靴ひもを結び直すから先に行っててくれ」と自分を先に行かせました。話し相手の居なくなった自分はウォークマンを取り出し、吉田拓郎のアルバムを聴きながら50キロ地点のチェックポイントである千里浜レストハウスを目指しました。
やっとの思いで辿り着いた千里浜で僅かな休憩を取ったあと、大学生の先輩から友人の姿が見当たらないと言われ、自分はハッとしました。50キロ地点スタート直前、スタッフから友人の45キロ地点リタイアを聞かされました。とてもショックでした。自分も脚が既に限界だったので、ここで諦めよう、と、思いました。自暴自棄になった自分は、大学生の先輩がたが励まして下さる言葉すら
耳に入れたくなくなり、ウォークマンに再び電源を入れると、吉田拓郎の「流星」という曲が流れ始めました。更に、友人を失った悲しみで、溢れそうになった涙を、大学生の先輩方に見せぬようにと上を向くとちょうど、オリオン座流星群がピークを迎えている時間でした。
自分はそこで生まれて初めて「流れ星」を見ました。その、一瞬の輝きを目にして自分は「星になったあいつの為に歩こう」と、日付の変わる頃そう誓いました。
しかし、千里浜からの50キロは、それまで歩いてきた50キロと全く違う物でした。
脚の痛みや疲労は倍ではなく、何乗にもなって襲いかかり、夜は吐息が真っ白になるほど冷え込み、全身が大きく震えました。65キロ歩き、ようやく朝日を拝む事ができ、一安心しましたが、暖かくなると今度は猛烈な眠気が襲ってきます。更に、内灘あたりから階段や信号機、地下道が増え、脚に負担をかける事が多くなりました。
段差の度にきしむ脚を無理やり上げて、時にはうなりながら、ただただ前へと進んで行きました。
既に身体は限界をとっくに迎えていて、足の裏の皮もほとんどがはがれおちていましたが、「励ましてくれた友人の為、星のように散って行った友人の為に歩かねばならない」と思うと脚がどんなに悲鳴を上げようとも身体はしっかりと前へ進んでくれました。穴水を出て26時間以上が経ち残り7キロになるとようやく金沢駅などの見なれた風景を見る事ができました。すると、自然に脚が軽くなりそしてゴールまであと僅かだと確信するたびに身体も軽くなっていきました。
そして、遂に自分は長い長い道のりを経てようやく金沢工業大学の正門をくぐる事ができました。
入ってすぐ右側にサバイバルゲームチームのメンバーが整列していて「総員、帰還兵に敬礼」という号令と共に、かかとの合わさる音がカッとそろいました。自分が帰ってくる事を信じて待ってくれた仲間に、敬礼を返し、歩き続けて28時間。10月25日 日曜日午後5時。
無事ではありませんが、なんとか100kmを制覇しました。
高専初、そして大会最年少記録という成績を残す事ができ、その感動は今でも忘れられません。
100kmを歩いてみて自分は、精神と肉体の関係というのは、実に面白い、と、実感しました。
不思議な事に人は「絶対にあきらめないという強い意思」があればどんな苦難があっても大抵は乗り越える事ができるもので、そこに更に「希望」があれば、いかなる苦境の中でも這い上がる事ができる。
自分に負けた時が真の敗北であると、100kmが自分に教えてくれました。

余談ですが、この100km歩行での体験を昨年末の校内意見発表会でスピーチをしたところ
その内容が評価され、優勝する事ができました。その時、優勝賞品として100km歩行参加費である5000円と同額の図書カードが渡されました。
今、自分はこのプレゼントの使い道に迷っています。
好きな本を買うか、それとも今年もあの100kmに挑戦しようか。

これで発表を終わります。
ご清聴ありがとうございました。


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