こんにちは佐藤です

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過分なご紹をいただき恐縮しています.本学にお世話になって半年が経ちました.ほんの駆け出しですがよろしく御願いいたします.

最近役所の親睦会みたいなものに頼まれて,この半年の感想のようなものを書きました.これは「政府方針」には反しないと思いますから,御笑覧下さい.

一本の補助線

 

お元気ですか.お江戸を離れられてから半年になりますね.今年の夏はたいへんな暑さと,突然の大雨に驚かされました.ご当地も,五十五年ぶりに浅野川が氾濫して,なじみになられたお茶屋さんが水に浸かったりしたのでしょう.

塾のお仕事はいかがですか.

かしこ

安政二年九月十日

古澤右京之介さま御許に

はつ

お便り懐かしく拝見いたしました.お元気そうでなによりです.

北國(ほっこく)という言葉からは,何か涼しげな印象を受けますが,どうしてなかなか酷い暑さで,ここになってようやく秋の気配が感じられるようになりました.私は夏生まれで,暑さには強いつもりでしたが,さすがに閉口いたしました.

 

さて加賀工部塾では,今年四月に入塾した75名を相手に,秋学期は鍛冶窮理(こうぎょうりきがく)などを教えております.大人数に話をするのは,予想以上に大変な仕事です.

あらかじめ塾生の学力を測っておこうと,まず「算術力診断」をしました.その結果,比較的できる人と,あまりできない人に分けられることがわかりました.本来ならこれによって二組に分け,それぞれに合わせたお話をすれば良いのですが,この塾は私設なので経営的にそうもゆきません.

診断の結果を見て,私はどちらに合わせて話をすれば良いものか,はたと戸惑いました.一方に合わせればもう片方は居眠りをする.話の具合で75名の半分を意のままに眠らせることができますから,まるで催眠術師になった気分でした.

 

さて,これに沿ってやるようにと学期初めに渡された誌履把素(しらばす)と教本を見て驚きました.この安政の世になっても,まるで平安時代のような教本を使っている.力の和を求めるのに,算術で習う余弦定理や正弦定理を使うのです.この方法は,平面では良いでしょうが立体になったら歯が立たちません.それに,「算術力診断」の結果によれば,余弦定理も正弦定理もほとんどの塾生にとって遥か忘却の彼方でした.

そこで私は,少し回り道ですが,そんな軽業的な方法ではなく,単純で覚えやすい式を,こつこつ計算すれば誰でも正解に達する,矢線(べくとる)を使う方法を教えることにしました.そこで電気(ぱわー)紙芝居(ぽいんと)を作り,

「内積とか外積とか,耳慣れぬ言葉が出てくるが,算法は極めて覚えやすい形をしておる.慣れてしまえば考える必要などないのぢゃ.騙されたつもりでこの方法を試してみられよ」と説明いたしました.

「師範の話される方法は,教本のいずこに書かれておりますか?」

「いいや,どこにも書かれてはおらぬ.そもそも教本どおりの話なら,自分で教本を読めば済むこと,わざわざ塾に通ってくることなど不要とは思わぬか」

若干の軋轢はあったものの,大部分の塾生はついてきてくれました.

 

さっそく力の和を求める課題を出しました.座標軸をとり,二つの力の矢線(べくとる)を作図し,成分に分けて合力を求めるのです.余談ですが,この語をご当地では若い塾生でも「ごうりき」と読んでおります.閑話(それは)休題(さておき),私の目的は,成績を評価するのではなく,話が塾生にとって一方的で受身とならないよう,自分で実際に計算し解いてみさせることですから,出来不出来は問題ではなく,ヒントを与えることはかまわない.しかし,75名の一人ひとりには対応できない.依怙贔屓になるおそれもある.

幸いお初どの,何とここ北國加賀工部塾の教場にも,お江戸で広く使われている無線(わいやれす)拡声器(まいく)があるのです.教壇から離れ,一人の塾生に話しかけても,私の声は全員に伝わるのです.

 

塾生たちの席を歩き回り,答案用紙を覗き込みます.正解に至った人,未だ計算中の人,作図はできたけれど式がたてられない人・・・,出来はさまざまです.

その問題は,一本の補助線を引き相似な三角形を見つければ,簡単に式がたてられるものでした.与次郎はそこで立ち止まっておりました.

「難航しておるようぢゃの」

「師範,そこにおいでましたか.私にはむずいてようわかりませぬ」

「ふむふむ,甲と乙を結んでみられよ」

与次郎は定規を取り出して線を引きました.

「あっ,そうか!」

顔が一瞬輝きました.

「わかったようぢゃの.これで式がたてられるであろう」

「はいっ,あんやと存じみす」

 

塾生たちが世の中に出てぶつかる問題のほとんどは,教本には出ていません.出ているなら世の中で「問題」になるはずがありませんからね.未知の問題にも恐れずに立ち向かえる人になってほしいのです.そのために,軽業的ではなく,誰にも使える方法を教えているという私の意志が,少しは伝わったでしょうか.

加賀工部塾の塾生たちの学力は,昌平坂学問所や立派な藩校の足元にも及びませんが,その多くは,いままできちんと教えられてこなかった人たちなのです.与次郎のように,背中を指でちょっと押してやれば,自分で歩き出せる人がたくさんいるのです.初期値が低いということは,伸びる余地は大きいことなのです.こうして自分を励ましております.

 

すっかり長話をいたしました.夏の疲れは涼風が立ったころでるものです.くれぐれもご自愛ください.ではまた.

 

安政二年九月十二日

お初どの

右京之介拝

 

「輝きにつながる一本の補助線」

お初は,江戸詰めだった頃の右京之介の笑顔を思い浮かべていた.

 

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