私はかねてから,「創造は模倣から生まれる」と考えています.私を含めてごく平凡な才能にしか恵まれていない人間が,ただぼんやりとしているときに,今まで世の中に存在しなかった新しいアイディアを生み出すことなどありえません.ごくまれに思いつくことがあったとしても,それはきっといつかどこかで,誰かから聞かされたり,見たり触ったりしたものを思い出して,今現在気になっていることと結びつけたに過ぎないと考えています.
だから,私たちにとって大切なことは,「仕込み」,つまり,いつか困ったとき役に立つように,たくさんのことを心の中に蓄えておくことだと思います.蓄えられた知識を操るのが知恵なのです.
いつか書いた文章を贈ります.
あなたは、映画監督が描く絵コンテを見たことがあるだろうか。
コンテとは、英語のcontinuity(連続、連続性)から生まれた造語で、主に映画における撮影台本を指します。映像作品をつくる上で基本となるシナリオをさらに具体化した設計図、あるいは完成予想図のようなもので、文字で書かれたものを字コンテ、絵で描かれたものを絵コンテと呼んで区別するが、監督のイメージを的確にスタッフに伝えるためのものである点では同じである。
絵コンテは、実写の映画でもSFX(特殊撮影)を多用した作品やCMなどでは一般的に使われているが、アニメの場合はこの絵コンテをもとに全編の原画や背景画が描かれ、また作業がいくつかのパートに分かれて同時進行するために、特に重要な役割を果たす。
優れた映画はどれも緻密な絵コンテをもとに作られている。なかでも私は、宮崎駿監督と黒澤明監督の絵コンテが好きだ。どちらも、でき上がった映画と同じくらいか、ときにはそれ以上にすばらしい。何故って、そこに隠されている監督たちの創造の秘密を覗くことができるからだ。では、監督たちの創造の秘密とは、いったい何だろう。
本書は、映画「七人の侍」製作の過程を、監督黒澤明を中心に据えて追ったドキュメンタリーである。著者は、映画のストーリーを忠実にたどりながら、そのシーンでの黒澤監督の行動と言葉をもとに映画監督の仕事を描いてゆく。本書によれば、映画監督とは、スタッフとキャストからなるチームをまとめ、彼らからはその能力を最大限に、製作会社から予算を最大限に引きだして、自己のイメージを具現化するという、まさにプロジェクトマネージャそのものであることが感じられる。
では、プロジェクトマネージャが備えるべき条件は何か。筆者は三つあると思う。
一つめは創造力だ。黒澤監督はこう言っている。
「僕は昔からノートをとる習慣でね。例えば小説を読んでも、ある人物の本質をピタリと表現しているセリフとか描写がよくあるでしょう。そういうものを書きためて置くんです。脚本を書く前にそれを拡げて参考にする。そしてまた新しくその脚本のためのノートを作ることにしているのです」
「創造というのは記憶ですね。自分の経験やいろんなものを読んで記憶に残っていたものが足がかりになって、何かが創れるんで、無から創造できるはずがない」
新しいコンセプトを創造することは、技術者に限らず重要な仕事であるが、ただ一人で閉じこもっていても創造などできるわけがない。屁理屈をつければ、コンセプトを創造するのは心の作業であり、いつか書いたように量子場脳理論によれば心とは記憶の上に存在するものであるから、創造には記憶が必須なのである。創造の基礎はたゆまない努力によって蓄積された記憶にあるのだ。教育の場において、独創性を養うとの美名のもとに基礎的な技術をおろそかにして好き勝手にさせていたのでは記憶が蓄積されないから、創造力に富んだ弟子は育たない。
しかし、記憶は創造のための必要条件であり、十分条件ではない。いくら博覧強記であっても、それだけでは創造はできない。蓄積された多くの記憶を結びつけ、新しいコンセプトを導き出すには才能が必要なのである。
二つめは打算だ。
志村喬演ずる勘兵衛はこう言う。「離れ家は三つ、部落の家は二十だ。三軒のために二十軒を危うくは出来ん。また、この部落を踏みにじられて、離れ家の生きる道はない。いいかっ! 戦とはそういうものだ。他人(ひと)を守ってこそ自分も守れる。おのれの事ばかり考える奴は、おのれをも亡ぼす奴だ」
そして黒澤監督は、はるかに越えた予算と製作期日の遅れに対する圧力を、「今まで使った金を捨てるようなことはしやしないさ会社は。僕の映画が当たってる間は無理は通るよ」、とはね返す。
黒澤監督は、クライマックスである最後の決戦の場面を文字通り最後に撮影した。もし決戦場面が撮影されていたら、途中までのフィルムにそれをつないで、赤字に悩む会社は「七人の侍」をでっち上げてしまうからだ。したたかな黒澤監督は、こうして他人であるスタッフやキャストたちを守り、そして自分自身とその作品を守りぬいたのである。
そして、三つめは情熱だ。
豊かな創造力と、夢を実現するしたたかな打算。この二つがまっすぐにつながっていないと、プロジェクトはたちまちに崩壊する。時には批判に甘んじなければならないほどの打算をもってしてまでも、自らの創造力から生まれた夢を実現するためには、夢に対する「思い入れ」、言い換えれば情熱が必要だ。
「映画は時間の芸術である。そして時とは事物の運動に外ならない。運動するものが存在せねば、時はないのである」
運動するものをイメージし、それを描きしるした黒澤監督の絵コンテは、今も大切に保存されている。
都築 政昭:黒澤明と「七人の侍」、朝日文庫、つ-11-1、朝日新聞社
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