工学設計Ⅲや論文発表など,プレゼンの機会が増えていますね.先生方は一見平静を装っておられますが,内心はらはらどきどきしながら学生さんの姿を見つめておられます.役所でもそうでした.部下の人たちのために,発表のコツをまとめ文章がありますのでご紹介します.
1 発表から何が得られるか
不特定の聴衆の前で自分の研究成果を発表するという行為を、時間を追って分析すると以下のようになる。
(1)研究内容を整理し、その面白さ、意義などを思い起こして、ちょっと興奮する。
(2)聴衆の予備知識、志向などを予測し、聴衆の「座標系」の中に自分の話の内容をいかに表現するかを考える。
(3)実際に話をして聴衆の理解を得る。
(4)聴衆の反応、質問、討論によって、内容の表現方法について何らかの新しい「悟り」を得る。つまり、それまでとは別の視点を得て、次の研究のヒントを得る。
(5)別の表現方法が得られて、内容自体への理解が深まり、研究が次の段階に進む。
理想的にはこのように進展すれば良いのだが、それぞれの段階はしばしば・・・・・
(1)上司からの命令により、時間不足のため、自分の過去のノート(パソコン)から話すためのノート(パワポ)を機械的に移すだけという「能率的」な行為によって、知的興奮を感じる機会など無く、
(2)聴衆の予備知識、関心、一時的な記憶力、理解のスピードを過大評価して、自分が勝手に信じ込んだ「表現手段」を変える必要性に気づかず、
(3)話しても聴衆の理解や反応は得られず、
(4)新しい表現手段を見出せずにヒントも得られず、
(5)時間の無駄となっただけでなく、「あいつの話はさっぱりわからん」と評判を落とすこととなる。
となって、最終的には残念な結果となることがよくある。どうしたらこれを避けられるだろうか。
2 気をつけること
(1)ちょっと興奮
満足できる成果が得られておらず、内容が整理できておらず、上司から押しつけられて嫌々やった研究で意義についても疑問を抱いているのなら、発表を引き受けてはならない。情熱をもって話せないなら、中身など伝わるはずがない。
(2)聴衆のレベル予測
ごく近い専門の仲間に対して話す場合以外は、聴衆の予備知識はゼロであると考えた方がよい。だから、難しい術語・業界用語は使わないこと。どうしても使わなければならない場合は、最初にきちんと定義して使い、聴衆の記憶が薄れたと思われる時には、しつこくても途中でおさらいをすること。とくに漢字の音読みは、聞いただけでは誤解されることがあるから十分注意すること。
①発表のスタート地点を、もっと基本に近いところに戻し、基本用語と問題とを説明する。
②自分の主結果を、なるべく整理して最短距離を通って提示する。
③自分の結果の意義について十分再考し、それを話す。
④先行する他人の成果を、簡単でよいから必ず触れる。若い人はとくにこれに注意する。
⑤途中の詳細は、そのアイディアとポイントだけを簡潔に説明する。
(3)話すときの注意
①制限時間は厳守
与えられた持ち時間を過ぎたら、もう「あなたの時間ではない」ということを認識すること。短い休憩時間に食い込むと、聴衆は疲れたままで次の講演を聴くことになり、次の講演者に対する攻撃的行為となる。細部のために絶対に延長しないこと。聴衆の中には、あわてて話しているあなたの細部よりはるかに重要なポイントに関する質問をしたくて待っている人がいるかも知れない。
時間がどれくらいかかるかは、経験を積むとだいたいわかるが、たとえ経験不足でも、講演内容を細部まで準備し、一人で、できれば誰かに聞いてもらって時間を計れば、見当をつけることができる。筆者は、大御所の先生が講演の前日にホテルの自室で発表練習していたのを耳にして、感激したことがあった。
何を話さないかをしっかり決めておくこと。途中での予定通過時間を考え、ノートにメモしておき、それを越えていたらそのあとのこことここは省略する、と決めておくとよい。
②話すスピード
「仮に誰かがノートを取っていても間に合う」くらいがよい。
聴衆にとっての平易さとは、講演者にとっての安易さや粗雑さとは正反対である。
一番伝えたいことを決めて、それをいかに「余分な専門用語を使わずに」丁寧に説明するか。
準備に時間をかけると講演でのスピードは速くなる。
重要なポイント示した時は、次に進む前にそれを楽しむために、その後でちょっと「間」を入れる。
何と何から何が決まるのかを明確に示す。どう決まるのかの細かい説明に熱心なあまり、要するにこの新しい対象は、何と何によって決定される対象なのかが不明という話し方が多い。どう決まるかは、論理の流れが明示されれば大体見当がつくことが多いし、その道筋は一つではないから、「どうやって」の方が重要度は低い。
3 楽しむこと
発表は決して無駄ではない。運悪く失敗に終わったとしても、これを繰り返してはいけないという教訓が得られたという成果があったのだ。舞台に立つことは楽しい。人は場数を踏んで成長する。場数の一つだと考えれば気が楽になる。
若い人には失う物は一つもない。だから恐れることも一つもない。
伊原 康隆 著:"志学数学"、シュプリンガー・フェアラーク東京
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