本の読み方

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学生の皆さんはどうやって本を読まれますか.私の読み方をご紹介します.参考になれば幸いです.

本の読み方

 

蒸し風呂のようだった江戸の町にも、ようやく涼風が立った。夕日を浴びた縁側の机で、右京之介はいつものように本を読んでいる。軒先に腰を下ろしたお初は、手にした団扇で蚊遣りの煙と戯れている。

 

「ごせいが出ますこと」

「本を読むのは楽しみの一つですから」

右京之介は立ち上がると、手文庫から小さな鋏を取り、付箋紙を切り始めた。

「あら、そんなに細く切って、どうされるのですか?」

「細くしておけば、たくさん貼り付けても邪魔にならないのです」

右京之介の書棚には、本が溢れている。そのうちの幾冊かから、小さな付箋紙がのぞいている。

「右京之介さまの御本、どれも難しそう。わたしは読んでもすぐに忘れてしまって、どこに書いてあったか思い出せなくなります」

お初は蚊遣りの煙を右京之介に送った。

「忘れるのは私も同じです。だから後で探しやすいように工夫するんです」

「それがその細く切った付箋紙ですか?」

「はい、これも工夫の一つです。他にもありますよ」

右京之介は立ち上がり、書棚から数冊の本を取り出して、お初に手渡した。

お初は受けとると、そのうちの一冊を開いた。

「これにも細い付箋紙がいっぱいついてますわ。それに、書き込みだらけ。何か難しい式が書いてある紙も貼り付けてあります」

「そう、その三つが私の工夫です。付箋紙は先ほどお話しましたね。後で大切になるだろうと思うことが書いてあるところに貼り付けます。その時のコツは、本を開いたとき、いつも同じ側に貼ることです」

「そう言えば、どこも見開きの右側に貼り付けてありますわ」

「そうすると、本を片手で開くとき邪魔になりません。右に貼るか左に貼るかは、右利きか左利きかによって、都合の良い側にすればよいです」

「では、左側に大切なことが書いてあっても、付箋紙は右側に貼るのですね」

「そうです、右側に貼ってあっても、そこを開けば左側の大切なことは読めます。傍線が引いてあったり、大切な言葉が○で囲んであったりしますからね」

「なるほど、せっかくそこを開いても、どれが大切だったかを忘れてしまうようでは、それほど大切ではなかったのですよね」

「そのとおりです。そんなことはしょっちゅうです」

はにかむ右京之介に、お初も微笑んだ。

「この、式の計算が書いてある紙が貼り付けてあるのは?」

「ああ、それは、本に書いてある数式の導き方や、途中の計算です。物理や数学の本は、黙読するだけではなくて、必ず紙と鉛筆を用意して、計算を追いかけながら読む方がよく分かります。たとえ途中の計算をしなくても、式を書き写すだけでも役に立ちます。目で追うだけではわかりませんし、意外に誤植も多いです」

「でも、ほかのノートに書いておいても良いでしょ?」

「いやいや、ほかのノートでは、どれだったかわからなくなって、後でつき合わせることが難しくなります。十分な余白があればそこに書いておく。書ききれないときは、広告の裏紙でも良いから、書いたメモを対応する場所に貼り付けておくようにします」

「こんなにたくさん貼り付けるから、本がぶくぶくになってるわ」

お初は、もう一冊を取り上げて、表紙をめくった。

「あらー、扉の裏側や中表紙にも書き込みだらけ」

「ああ、そこには、ほら、先にお話しした、索引や人物表や年表を書くのです。最低限、どの本にも索引を書き込みます。いちばん効果的なのは、まず付箋紙をつけながら一度最後まで読み通し、その後で、付箋紙の付いているところだけを順に開きながら、そこに書いてある大事なことを扉の裏の白紙の部分に書き出し、ページ番号を書いておく。こうすれば、その本の復習を兼ねて索引を作ることができます。索引を作ると、複数のページに書いてある関連している事柄がはっきりします。だいいち、後で探すことがうんと楽になります」

「でも、扉の裏が黒いと書けませんね」

「はい、装丁のデザイナーには、黒い紙を使わないように頼みたいです。物理化学の教科書などで、周期律表が載ってたりするけど、索引を書き込むにはちょっと不便です」

「あら、周期律表や公式集、定数表を載せてくれるようなちゃんとした著者なら、最初から索引はありますわ」

「そりゃそうだ、安登金子の『物理化学』はどうだったかな?」

右京之介は、また書棚に向かった。

「でも、こんなに書き込みだらけで、付箋紙も貼り放題、おまけにメモまで糊で貼り付けてあるんじゃ、とてもブックオフには売れませんね」

「はい、私は『本は消耗品、大切なのは本という物ではなくて、書いてある中身、つまりテキストだ』と考えています。いらなくなった本は、人にあげたり、ブックオフに売ってしまいます。後で必要になる大切なことが書いてある本は、あげたり売ったりしませんから、いくら汚してもかまいません。丸谷才一さんなんかは、本をばらばらに壊してしまって、必要な所だけを取り出されるそうですよ」

「それは便利ですね。でも、せっかく手に入れた高価な本をばらばらにするのは、ちょっと勇気が要りますわ」

「文化財的な価値がある本、たとえば、ほら、この『安政見聞誌』などは、けっして壊してはいけません。読み終わったらまた神保町に戻して、次の研究者に使ってもらわなければなりません。神田は大きな図書館ですからね」

「それに、もしかしたら、大切な書き込みがある本の方が貴重なこともありますね」

「そうです、フェルマーが、ディオファントスの『算術』の余白に残した48カ所の書き込みのうちの一つ、第8巻第2問、『 の有理解を求めよ』の脇に書かれた、『 以上のとき、一つの 冪を二つの 冪の和に分けることはできない。この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる』という言葉は、1994年10月、アンドリュー・ワイルズによって証明されるまで、360年間も数学者達を悩ませました」

「フェルマーの最終定理ですね。谷山・志村予想のことも聞いたことがあります。でも、谷山先生は、いったいどうされたのでしょう。婚約者の方も後を追われたのでしょう? それに新谷先生も、数学者って、ほんとに・・・・・」

お初は涙ぐんだ。

「残念なことです。おそばまで行く機会があったのに、是非お目にかかりたかった人たちです」

「あらま、今日は二人とも時空がめちゃめちゃ」

 

サイモン・シン 著、青木 薫 訳:フェルマーの最終定理、新潮文庫、シ-37-1、新潮社

 

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