2008年11月アーカイブ

創造は模倣から

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私はかねてから,「創造は模倣から生まれる」と考えています.私を含めてごく平凡な才能にしか恵まれていない人間が,ただぼんやりとしているときに,今まで世の中に存在しなかった新しいアイディアを生み出すことなどありえません.ごくまれに思いつくことがあったとしても,それはきっといつかどこかで,誰かから聞かされたり,見たり触ったりしたものを思い出して,今現在気になっていることと結びつけたに過ぎないと考えています.

だから,私たちにとって大切なことは,「仕込み」,つまり,いつか困ったとき役に立つように,たくさんのことを心の中に蓄えておくことだと思います.蓄えられた知識を操るのが知恵なのです.

いつか書いた文章を贈ります.

プロジェクトマネージャの条件

 

 あなたは、映画監督が描く絵コンテを見たことがあるだろうか。

コンテとは、英語のcontinuity(連続、連続性)から生まれた造語で、主に映画における撮影台本を指します。映像作品をつくる上で基本となるシナリオをさらに具体化した設計図、あるいは完成予想図のようなもので、文字で書かれたものを字コンテ、絵で描かれたものを絵コンテと呼んで区別するが、監督のイメージを的確にスタッフに伝えるためのものである点では同じである。

 絵コンテは、実写の映画でもSFX(特殊撮影)を多用した作品やCMなどでは一般的に使われているが、アニメの場合はこの絵コンテをもとに全編の原画や背景画が描かれ、また作業がいくつかのパートに分かれて同時進行するために、特に重要な役割を果たす。

 優れた映画はどれも緻密な絵コンテをもとに作られている。なかでも私は、宮崎駿監督と黒澤明監督の絵コンテが好きだ。どちらも、でき上がった映画と同じくらいか、ときにはそれ以上にすばらしい。何故って、そこに隠されている監督たちの創造の秘密を覗くことができるからだ。では、監督たちの創造の秘密とは、いったい何だろう。

 

 本書は、映画「七人の侍」製作の過程を、監督黒澤明を中心に据えて追ったドキュメンタリーである。著者は、映画のストーリーを忠実にたどりながら、そのシーンでの黒澤監督の行動と言葉をもとに映画監督の仕事を描いてゆく。本書によれば、映画監督とは、スタッフとキャストからなるチームをまとめ、彼らからはその能力を最大限に、製作会社から予算を最大限に引きだして、自己のイメージを具現化するという、まさにプロジェクトマネージャそのものであることが感じられる。

 では、プロジェクトマネージャが備えるべき条件は何か。筆者は三つあると思う。

 

 一つめは創造力だ。黒澤監督はこう言っている。

 「僕は昔からノートをとる習慣でね。例えば小説を読んでも、ある人物の本質をピタリと表現しているセリフとか描写がよくあるでしょう。そういうものを書きためて置くんです。脚本を書く前にそれを拡げて参考にする。そしてまた新しくその脚本のためのノートを作ることにしているのです」

 「創造というのは記憶ですね。自分の経験やいろんなものを読んで記憶に残っていたものが足がかりになって、何かが創れるんで、無から創造できるはずがない」

 新しいコンセプトを創造することは、技術者に限らず重要な仕事であるが、ただ一人で閉じこもっていても創造などできるわけがない。屁理屈をつければ、コンセプトを創造するのは心の作業であり、いつか書いたように量子場脳理論によれば心とは記憶の上に存在するものであるから、創造には記憶が必須なのである。創造の基礎はたゆまない努力によって蓄積された記憶にあるのだ。教育の場において、独創性を養うとの美名のもとに基礎的な技術をおろそかにして好き勝手にさせていたのでは記憶が蓄積されないから、創造力に富んだ弟子は育たない。

しかし、記憶は創造のための必要条件であり、十分条件ではない。いくら博覧強記であっても、それだけでは創造はできない。蓄積された多くの記憶を結びつけ、新しいコンセプトを導き出すには才能が必要なのである。

 

二つめは打算だ。

 志村喬演ずる勘兵衛はこう言う。「離れ家は三つ、部落の家は二十だ。三軒のために二十軒を危うくは出来ん。また、この部落を踏みにじられて、離れ家の生きる道はない。いいかっ! 戦とはそういうものだ。他人(ひと)を守ってこそ自分も守れる。おのれの事ばかり考える奴は、おのれをも亡ぼす奴だ」

 そして黒澤監督は、はるかに越えた予算と製作期日の遅れに対する圧力を、「今まで使った金を捨てるようなことはしやしないさ会社は。僕の映画が当たってる間は無理は通るよ」、とはね返す。

黒澤監督は、クライマックスである最後の決戦の場面を文字通り最後に撮影した。もし決戦場面が撮影されていたら、途中までのフィルムにそれをつないで、赤字に悩む会社は「七人の侍」をでっち上げてしまうからだ。したたかな黒澤監督は、こうして他人であるスタッフやキャストたちを守り、そして自分自身とその作品を守りぬいたのである。

 

そして、三つめは情熱だ。

 豊かな創造力と、夢を実現するしたたかな打算。この二つがまっすぐにつながっていないと、プロジェクトはたちまちに崩壊する。時には批判に甘んじなければならないほどの打算をもってしてまでも、自らの創造力から生まれた夢を実現するためには、夢に対する「思い入れ」、言い換えれば情熱が必要だ。

 

 「映画は時間の芸術である。そして時とは事物の運動に外ならない。運動するものが存在せねば、時はないのである」

 運動するものをイメージし、それを描きしるした黒澤監督の絵コンテは、今も大切に保存されている。

 

  都築 政昭:黒澤明と「七人の侍」、朝日文庫、つ-11-1、朝日新聞社

 

tukubaKIT2008.jpg

折り返し地点で戸惑うKIT夢考房チームのパンダロボット.心なしか涙目に見えます.


つくばチャレンジ2008が終わりました.

完走できたのはヤマハ発動機チームだけでした.前回完走したKITチーム,筑波大学チームも完走できず残念な結果となりました.KITチームは 折り返しのコーンに接触はしましたが回れず,折り返し経路を戻り途中でコースの中央を走っていることで橋の中ほどで止められました.それ以降は試走では問題なく走行できたので本当に残念でした.

KITチームは残念ながら完走できませんでしたが,同じKITグループである金沢高専チームはユニークなウサギ型ロボットでバンダイナムコ賞を受賞しました.このチームは折り返し地点の約3m手前でUターンしましたが,その後は全て問題なくゴールに到達しました.ちなみに,金沢高専チームでプログラムを担当している学生が来年の4月にKITロボティクス学科に編入します.

来年は,コースがより難しくなりますが,今回の悔しさをバネにきっと課題をクリアしてくれることと期待しています.なお,私の研究室も来年は本気でつくばチャレンジに挑戦しますので,このようなことに興味のある方は,KITは良い環境の一つだと思います.


                                                         出村


yumekoboTeam.jpgトライアルのゴールラインを通過する夢考房自律走行車プロジェクトチーム.赤ジャンパーの左からロボティクス学科4年生小林君,岩崎君ら.

1月20日は「つくばチャレンジ2008」のトライアルでした.

KITからは本命の夢考房チームと出村研究室チームが参加しました.本命であり,昨年完走した夢考房チームは100m走行のトライアルを見事突破しました.

つくばチャレンジ2008には47チームが参加し,約半数の22チームがトライアルを突破しました.トライアルを突破したチームは,21日の本走行となります.本走行では1kmの走行となり,途中でGPSの受信感度が悪くなる区間があり,しかもUターンしなければいけない場所が2箇所あるためとても難しいコースとなっています.

夢考房チームは学生が主役のプロジェクトです.上写真のロボットは全て学生が設計・製作したものです.ソフトウェアも全般を小林君が担当し,モータの制御やセンサ処理などのマイコンプログラミングを岩崎君が担当しています.夢考房では学部1年生からこのようなプロジェクトに取り組めるため,4年生になるころには非常に高い技術レベルを持つ学生が多いです.

本走行突破を祈りましょう!

出村



つくばチャレンジ2008のスタートラインに立つ「車輪型けんせいちゃん」
つくばチャレンジ2008のスタートラインに立つ「車輪型けんせいちゃん」.ロボティクス学科の学生が設計・製作しました.

今日,11月20日は「つくばチャレンジ2008」のトライアルでした.

KITからは本命の夢考房チームと出村研究室チームが参加しました.夢考房チームはトライアルを突破,出村研究室チームは3mという結果となりました.

出村研究室demura.netチームは,昨日の状態から何とか1日で外装を仕上げロボットの姿が出来上がりました.トライアルは1回目0m,2回目3mという結果とな り,100mまでは走破できませんでした.成績としては物足りませんが,卒業研究の一環として学生と取り組み,実質3ヶ月の期間で,学生がロボット機構部 の設計・製作,モータコントローラの製作をし,何とかロボットを動かすことができました.卒業研究の中間発表と考えると学生は頑張ったと思います.

モータコントローラの電気的な不安定性やトルク不足を解決し,卒業までには,つくばチャレンジを想定した学内のコースを走破できるロボットが完成すると思います.

出村




demura.netのメンバー達. なお,でむは撮影係

つくばチャレンジに参加したロボティクス学科の学生.逆光でわかりづらいですが,思いっきりのつくり笑いです...


つくばチャレンジ2008参加のため,18日に筑波入りしました.

金沢を出るときは,冬場の日本海側の特徴である暗雲立ち込め雨が降りしきる中出発しまししたが,長野を越えたあたりから晴天に恵まれ新天地にきた躍動感を覚えました.

19日は最終試走会,20日はトライアル,21日は本走行となります.

私の研究室チームは工学設計Ⅲ(卒研に相当)の一環として参加しました.参加の目的は学生のモチベーションアップです.KITの工学設計Ⅲではロボットを自作することが推奨されていますので,ロボットのメカ,モータコントローラなど自作です.開発期間が短いためシステムが安定しないという問題がありますが,問題点を解決するための工学的アプローチを体験するうえで大切なことです.

また,1週間前まで影も形もなかったロボットを,学生の頑張りによりかろうじて走るレベルにまでもっていくことができました.つくばチャレンジは学生のやる気を出させる魅力的な技術チャレンジですね.

なお,KITからは本命の夢考房自律走行車プロジェクトチームも参加します.こちらは期待していいと思います.トライアル通過を祈りましょう!

出村



まもなく冬学期です

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 金沢工業大学は3学期制のため、今週は短い秋休みです(来年度からは2学期制へ移行する予定です)。来週からは冬学期が始まりますが、初雪も降り、だんだん寒くなっていますので、文字通りの冬学期の始まりになりそうです。受験生の皆さんは、あと一踏ん張り、合格の決まった皆さんは4月からのための予習を始めている時期でしょうか。

 在学生の皆さんには、気持ちを引き締め、冬学期のスタートを切って欲しいなと思います。4年生の皆さんは卒業まで1学期、ラストスパートですね。3年生の皆さんは、研究室配属も決まり、コアゼミ(卒業研究の準備)も始まります。授業とはまた違ったスタイルの取り組みです。風邪などひかないようにして、楽しんでいきましょう。
<光永>

舞台に立つ前に

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工学設計Ⅲや論文発表など,プレゼンの機会が増えていますね.先生方は一見平静を装っておられますが,内心はらはらどきどきしながら学生さんの姿を見つめておられます.役所でもそうでした.部下の人たちのために,発表のコツをまとめ文章がありますのでご紹介します.

舞台に立つ前に

 

「防衛技術シンポジウム2007」のスタートにあたり、研究発表の方法について私見をまとめる。発表者の方々の参考になれば幸いである。

 

1 発表から何が得られるか

不特定の聴衆の前で自分の研究成果を発表するという行為を、時間を追って分析すると以下のようになる。

(1)研究内容を整理し、その面白さ、意義などを思い起こして、ちょっと興奮する。

(2)聴衆の予備知識、志向などを予測し、聴衆の「座標系」の中に自分の話の内容をいかに表現するかを考える。

(3)実際に話をして聴衆の理解を得る。

(4)聴衆の反応、質問、討論によって、内容の表現方法について何らかの新しい「悟り」を得る。つまり、それまでとは別の視点を得て、次の研究のヒントを得る。

(5)別の表現方法が得られて、内容自体への理解が深まり、研究が次の段階に進む。

 

理想的にはこのように進展すれば良いのだが、それぞれの段階はしばしば・・・・・

(1)上司からの命令により、時間不足のため、自分の過去のノート(パソコン)から話すためのノート(パワポ)を機械的に移すだけという「能率的」な行為によって、知的興奮を感じる機会など無く、

(2)聴衆の予備知識、関心、一時的な記憶力、理解のスピードを過大評価して、自分が勝手に信じ込んだ「表現手段」を変える必要性に気づかず、

(3)話しても聴衆の理解や反応は得られず、

(4)新しい表現手段を見出せずにヒントも得られず、

(5)時間の無駄となっただけでなく、「あいつの話はさっぱりわからん」と評判を落とすこととなる。

となって、最終的には残念な結果となることがよくある。どうしたらこれを避けられるだろうか。

 

2 気をつけること

(1)ちょっと興奮

満足できる成果が得られておらず、内容が整理できておらず、上司から押しつけられて嫌々やった研究で意義についても疑問を抱いているのなら、発表を引き受けてはならない。情熱をもって話せないなら、中身など伝わるはずがない。

 

(2)聴衆のレベル予測

ごく近い専門の仲間に対して話す場合以外は、聴衆の予備知識はゼロであると考えた方がよい。だから、難しい術語・業界用語は使わないこと。どうしても使わなければならない場合は、最初にきちんと定義して使い、聴衆の記憶が薄れたと思われる時には、しつこくても途中でおさらいをすること。とくに漢字の音読みは、聞いただけでは誤解されることがあるから十分注意すること。

①発表のスタート地点を、もっと基本に近いところに戻し、基本用語と問題とを説明する。

②自分の主結果を、なるべく整理して最短距離を通って提示する。

③自分の結果の意義について十分再考し、それを話す。

④先行する他人の成果を、簡単でよいから必ず触れる。若い人はとくにこれに注意する。

⑤途中の詳細は、そのアイディアとポイントだけを簡潔に説明する。

 

(3)話すときの注意

①制限時間は厳守

与えられた持ち時間を過ぎたら、もう「あなたの時間ではない」ということを認識すること。短い休憩時間に食い込むと、聴衆は疲れたままで次の講演を聴くことになり、次の講演者に対する攻撃的行為となる。細部のために絶対に延長しないこと。聴衆の中には、あわてて話しているあなたの細部よりはるかに重要なポイントに関する質問をしたくて待っている人がいるかも知れない。

時間がどれくらいかかるかは、経験を積むとだいたいわかるが、たとえ経験不足でも、講演内容を細部まで準備し、一人で、できれば誰かに聞いてもらって時間を計れば、見当をつけることができる。筆者は、大御所の先生が講演の前日にホテルの自室で発表練習していたのを耳にして、感激したことがあった。

何を話さないかをしっかり決めておくこと。途中での予定通過時間を考え、ノートにメモしておき、それを越えていたらそのあとのこことここは省略する、と決めておくとよい。

 

②話すスピード

「仮に誰かがノートを取っていても間に合う」くらいがよい。

聴衆にとっての平易さとは、講演者にとっての安易さや粗雑さとは正反対である。

一番伝えたいことを決めて、それをいかに「余分な専門用語を使わずに」丁寧に説明するか。

準備に時間をかけると講演でのスピードは速くなる。

重要なポイント示した時は、次に進む前にそれを楽しむために、その後でちょっと「間」を入れる。

何と何から何が決まるのかを明確に示す。どう決まるのかの細かい説明に熱心なあまり、要するにこの新しい対象は、何と何によって決定される対象なのかが不明という話し方が多い。どう決まるかは、論理の流れが明示されれば大体見当がつくことが多いし、その道筋は一つではないから、「どうやって」の方が重要度は低い。

 

3 楽しむこと

発表は決して無駄ではない。運悪く失敗に終わったとしても、これを繰り返してはいけないという教訓が得られたという成果があったのだ。舞台に立つことは楽しい。人は場数を踏んで成長する。場数の一つだと考えれば気が楽になる。

若い人には失う物は一つもない。だから恐れることも一つもない

 

伊原 康隆 著:"志学数学"、シュプリンガー・フェアラーク東京

 

本の読み方

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学生の皆さんはどうやって本を読まれますか.私の読み方をご紹介します.参考になれば幸いです.

本の読み方

 

蒸し風呂のようだった江戸の町にも、ようやく涼風が立った。夕日を浴びた縁側の机で、右京之介はいつものように本を読んでいる。軒先に腰を下ろしたお初は、手にした団扇で蚊遣りの煙と戯れている。

 

「ごせいが出ますこと」

「本を読むのは楽しみの一つですから」

右京之介は立ち上がると、手文庫から小さな鋏を取り、付箋紙を切り始めた。

「あら、そんなに細く切って、どうされるのですか?」

「細くしておけば、たくさん貼り付けても邪魔にならないのです」

右京之介の書棚には、本が溢れている。そのうちの幾冊かから、小さな付箋紙がのぞいている。

「右京之介さまの御本、どれも難しそう。わたしは読んでもすぐに忘れてしまって、どこに書いてあったか思い出せなくなります」

お初は蚊遣りの煙を右京之介に送った。

「忘れるのは私も同じです。だから後で探しやすいように工夫するんです」

「それがその細く切った付箋紙ですか?」

「はい、これも工夫の一つです。他にもありますよ」

右京之介は立ち上がり、書棚から数冊の本を取り出して、お初に手渡した。

お初は受けとると、そのうちの一冊を開いた。

「これにも細い付箋紙がいっぱいついてますわ。それに、書き込みだらけ。何か難しい式が書いてある紙も貼り付けてあります」

「そう、その三つが私の工夫です。付箋紙は先ほどお話しましたね。後で大切になるだろうと思うことが書いてあるところに貼り付けます。その時のコツは、本を開いたとき、いつも同じ側に貼ることです」

「そう言えば、どこも見開きの右側に貼り付けてありますわ」

「そうすると、本を片手で開くとき邪魔になりません。右に貼るか左に貼るかは、右利きか左利きかによって、都合の良い側にすればよいです」

「では、左側に大切なことが書いてあっても、付箋紙は右側に貼るのですね」

「そうです、右側に貼ってあっても、そこを開けば左側の大切なことは読めます。傍線が引いてあったり、大切な言葉が○で囲んであったりしますからね」

「なるほど、せっかくそこを開いても、どれが大切だったかを忘れてしまうようでは、それほど大切ではなかったのですよね」

「そのとおりです。そんなことはしょっちゅうです」

はにかむ右京之介に、お初も微笑んだ。

「この、式の計算が書いてある紙が貼り付けてあるのは?」

「ああ、それは、本に書いてある数式の導き方や、途中の計算です。物理や数学の本は、黙読するだけではなくて、必ず紙と鉛筆を用意して、計算を追いかけながら読む方がよく分かります。たとえ途中の計算をしなくても、式を書き写すだけでも役に立ちます。目で追うだけではわかりませんし、意外に誤植も多いです」

「でも、ほかのノートに書いておいても良いでしょ?」

「いやいや、ほかのノートでは、どれだったかわからなくなって、後でつき合わせることが難しくなります。十分な余白があればそこに書いておく。書ききれないときは、広告の裏紙でも良いから、書いたメモを対応する場所に貼り付けておくようにします」

「こんなにたくさん貼り付けるから、本がぶくぶくになってるわ」

お初は、もう一冊を取り上げて、表紙をめくった。

「あらー、扉の裏側や中表紙にも書き込みだらけ」

「ああ、そこには、ほら、先にお話しした、索引や人物表や年表を書くのです。最低限、どの本にも索引を書き込みます。いちばん効果的なのは、まず付箋紙をつけながら一度最後まで読み通し、その後で、付箋紙の付いているところだけを順に開きながら、そこに書いてある大事なことを扉の裏の白紙の部分に書き出し、ページ番号を書いておく。こうすれば、その本の復習を兼ねて索引を作ることができます。索引を作ると、複数のページに書いてある関連している事柄がはっきりします。だいいち、後で探すことがうんと楽になります」

「でも、扉の裏が黒いと書けませんね」

「はい、装丁のデザイナーには、黒い紙を使わないように頼みたいです。物理化学の教科書などで、周期律表が載ってたりするけど、索引を書き込むにはちょっと不便です」

「あら、周期律表や公式集、定数表を載せてくれるようなちゃんとした著者なら、最初から索引はありますわ」

「そりゃそうだ、安登金子の『物理化学』はどうだったかな?」

右京之介は、また書棚に向かった。

「でも、こんなに書き込みだらけで、付箋紙も貼り放題、おまけにメモまで糊で貼り付けてあるんじゃ、とてもブックオフには売れませんね」

「はい、私は『本は消耗品、大切なのは本という物ではなくて、書いてある中身、つまりテキストだ』と考えています。いらなくなった本は、人にあげたり、ブックオフに売ってしまいます。後で必要になる大切なことが書いてある本は、あげたり売ったりしませんから、いくら汚してもかまいません。丸谷才一さんなんかは、本をばらばらに壊してしまって、必要な所だけを取り出されるそうですよ」

「それは便利ですね。でも、せっかく手に入れた高価な本をばらばらにするのは、ちょっと勇気が要りますわ」

「文化財的な価値がある本、たとえば、ほら、この『安政見聞誌』などは、けっして壊してはいけません。読み終わったらまた神保町に戻して、次の研究者に使ってもらわなければなりません。神田は大きな図書館ですからね」

「それに、もしかしたら、大切な書き込みがある本の方が貴重なこともありますね」

「そうです、フェルマーが、ディオファントスの『算術』の余白に残した48カ所の書き込みのうちの一つ、第8巻第2問、『 の有理解を求めよ』の脇に書かれた、『 以上のとき、一つの 冪を二つの 冪の和に分けることはできない。この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる』という言葉は、1994年10月、アンドリュー・ワイルズによって証明されるまで、360年間も数学者達を悩ませました」

「フェルマーの最終定理ですね。谷山・志村予想のことも聞いたことがあります。でも、谷山先生は、いったいどうされたのでしょう。婚約者の方も後を追われたのでしょう? それに新谷先生も、数学者って、ほんとに・・・・・」

お初は涙ぐんだ。

「残念なことです。おそばまで行く機会があったのに、是非お目にかかりたかった人たちです」

「あらま、今日は二人とも時空がめちゃめちゃ」

 

サイモン・シン 著、青木 薫 訳:フェルマーの最終定理、新潮文庫、シ-37-1、新潮社

 

評価って何だろう

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近は何でもかんでも評価することが流行っていて,しばしば行き過ぎだと感じています.いちばん気になるのは,評価という言葉が,evaluationではなくてassessmentになっていることです.これについて,以前に書いた文章がありますから,ここでご紹介します.

隠れた成果を見つけよう

所をとりあげる

 

同僚が英語を全く話せない小学生の娘さんを連れてアメリカに留学した。アメリカの先生が、娘さんの首に小さなカードを掛けてくれた。そのカードにはこう書いてあった。

「私は日本語が話せます!」

娘さんは胸を張って学校へ行った。

ハンディを(あげつら)わず長所を前向きにとりあげる。これが評価するということだ。

 

評価はやる気を出させるために

 

「『勉強しよう』とやる気が出たのは、試験の点数が良かった時ですか、それとも悪かった時ですか?」

このアンケートに対して、「点数が良かった時」という回答が圧倒的に多かった。人がやる気を出すのは、失敗した時ではなく成功した時であり、結果が評価された時なのだ。

「評価」という日本語は、前向きで肯定的なニュアンスを持っており、「厳しい」や「低い」という接頭語をつけてはじめて否定的な意味となる。「評価する」とは、「査定する」とか「合否を判定する」「欠点を探す」ではなく、「良い所を見つけ出す」前向きな作業なのだ。

したがって、「評価」に対応する英語には、assessment(事前に査定する)ではなく、結果の中に価値を見出してその量を測るという意味をもつevaluationがふさわしい。

 

失敗には成果が隠れている

 

プロジェクトの結果は、成功か失敗かのどちらかだ。設定された目標を達成できたら「成功」、できなかったら「失敗」だ。目標が曖昧で、成否が客観的に判定できないのは、そもそもの目標が適切でないのだから論外だ。

プロフェッショナルに対する評価は経過や手段ではなく、結果に対して客観的になされるべきであるが、失敗したプロジェクトの評価は難しい。

目標に達しなかったという事実だけを取り上げて、そのプロジェクトを完全な「失敗」と決めつけてしまうことに、私は賛成できない。それは、「失敗」には二種類あると考えているからだ。

一つは、杜撰な企画、調査・検討の不足、怠慢や不注意などに起因する成果のない失敗だ。これは罰せられて当然である。

しかし、ほとんどの失敗は、実は「隠れた成果を持つ失敗」だ。成果とは、プロジェクトの中で生み出された新しい知見のことである。例えば、「予知できない人智を越えた困難によって失敗した」のは、「予知できなかった新しい知見が得られた」という「成果」が得られたことなのだ。

そして、たとえ目標が達成できなくても、副産物として小さくても輝く成果の卵が得られたならば、そのプロジェクトは評価されるべきである。

 

失敗を恐れては成功はできない

 

失敗したプロジェクトが低く評価されるのは否めないが、それをもって罰するのは問題である。罰を受けた人は萎縮してしまい、次回からどうすれば「失敗しないか」ではなく、「罰されずにすむか」を学ぶだけだ。そして、確実に達成できるようにと低い目標を設定するようになり、プロジェクトへ参加しなくなり、酷いときには結果を隠すようになる。

あらゆる研究開発は本来リスクを伴う。成功を狙うなら試行錯誤を数多く繰り返すしかない。ヒットを増やすには打席数を増やすしかない。チャレンジしなくなることは、成功する機会を自ら放棄することだ。

 

隠れた成果の見つけ方

 

では萎縮することなく、失敗を糧として再挑戦するにはどうすればよいだろうか? その手がかりは次の二つだ。

(1)成功の必要条件は、情熱と能力。

(2)得られた結果はアナログ量。

 

情熱と能力は、個人ではなくチーム単位で考えなければならない。それらを若干欠いたメンバーがいる時でも、メンバー同士が切磋琢磨して補えばよい。これこそがコラボレーションだ。

また、情熱と能力は成功するために必要だが十分ではない。能力あるチームが情熱を傾けたプロジェクトでも目標を達成できず、結果としては失敗とみなされることもあるだろう。しかし、成果はまた別である。

 

目標に達しなかったのはすべて失敗だとデジタル的にとらえてしまうと隠れている成果を見落とす。不足量をアナログ的にとらえ、達成できなかった部分を定量化し、その原因を徹底的に究明する。こうして今後の課題を明らかにすれば、隠れていた成果を見つけられる。また、失敗したプロジェクトの成果が別の目的に有効活用できる場合もある。このように柔軟な評価を行えば、技術の蓄積と継続が現場に根づく土壌が作られるだろう。

こうして失敗を正面から受けとめ、新しいプロジェクトに果敢に挑戦する者は、不屈の精神と旺盛な探求心を持つ者として周囲から信頼され、プロジェクトマネージャとして成長する。

失敗を振りかえって後悔し萎縮していても何も得られない。足下を見つめて、隠れている成果を拾い上げるのだ失敗を恐れて、難しいテーマに挑戦する勇気を無くしてはならない。能力あるチームが情熱を傾けた結果には、必ず成果が隠れているのだ。

成功も失敗も、昨日までにしてきたことの全ては今日の、そして未来のための準備である。人がすることに何一つ無駄は無い。

 


つくばチャレンジ2007で見事完走したロボットとボティクス学科の学生(左から小林君、岩崎


NHKロボコンやROBO-ONEなどロボット系のコンテストはいろいろあります。このブログの読者の中には参加されている方もいると思います。学部生の技術力や人間力向上にはとても良いと思いますが、研究テーマにはなりにくいのが問題です。

より技術的レベルの高い、大学向けのロボットに関する技術チャレンジとしてRoboCupとつくばチャレンジがあります。ここではつくばチャレンジについて簡単に説明します。

これは人間が生活する環境の中で、ロボットが確実に動き回り仕事をするための技術を促進するための技術チャレンジです。競技会ではないので順番などはつかず、あくまで研究が目的です。

第1回目のつくばチャレンジは2007年に開催されました。つくば市にある遊歩道1kmの直線コースを走破するだけの単純な課題でした。しかし、東京大学や産業技術総合研究所チームなど総勢33台のロボットが出場した中、完走できたのはわずか3台でした。それだけ、ロボットが屋外に飛び出すことは技術的に難しいということです。ちなみに、完走したのは地元筑波大学の2チームとKIT夢考房チームでした。

来週開催されるつくばチャレンジ2008にはKITから昨年完走した夢考房チームとロボティクス学科出村研究室(愛称でむけん)が参加します。夢考房チームは本命で、私のチームはプロジェクトデザインⅢ(卒研相当)の一環として参加します。学生のモチベーションと技術力を高めることが狙いです。

現地レポートもしますのでこのブログをよろしくお願いします。



出村






はじめまして、金沢工業大学に異動して半年の光永です。このページを見てくださっている方は、中・高校生、在学生から一般の方まで様々な方がいらっしゃると思いますが、ロボットについて興味のある方だと思います。そこで、ロボットや科学技術について興味がある人によく読まれている雑誌と web ページを紹介します。まだ読んだことがないというのがあれば、ぜひ一度書店で立ち読みしてみてください。

こんにちは佐藤です

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過分なご紹をいただき恐縮しています.本学にお世話になって半年が経ちました.ほんの駆け出しですがよろしく御願いいたします.

最近役所の親睦会みたいなものに頼まれて,この半年の感想のようなものを書きました.これは「政府方針」には反しないと思いますから,御笑覧下さい.

一本の補助線

 

お元気ですか.お江戸を離れられてから半年になりますね.今年の夏はたいへんな暑さと,突然の大雨に驚かされました.ご当地も,五十五年ぶりに浅野川が氾濫して,なじみになられたお茶屋さんが水に浸かったりしたのでしょう.

塾のお仕事はいかがですか.

かしこ

安政二年九月十日

古澤右京之介さま御許に

はつ

お便り懐かしく拝見いたしました.お元気そうでなによりです.

北國(ほっこく)という言葉からは,何か涼しげな印象を受けますが,どうしてなかなか酷い暑さで,ここになってようやく秋の気配が感じられるようになりました.私は夏生まれで,暑さには強いつもりでしたが,さすがに閉口いたしました.

 

さて加賀工部塾では,今年四月に入塾した75名を相手に,秋学期は鍛冶窮理(こうぎょうりきがく)などを教えております.大人数に話をするのは,予想以上に大変な仕事です.

あらかじめ塾生の学力を測っておこうと,まず「算術力診断」をしました.その結果,比較的できる人と,あまりできない人に分けられることがわかりました.本来ならこれによって二組に分け,それぞれに合わせたお話をすれば良いのですが,この塾は私設なので経営的にそうもゆきません.

診断の結果を見て,私はどちらに合わせて話をすれば良いものか,はたと戸惑いました.一方に合わせればもう片方は居眠りをする.話の具合で75名の半分を意のままに眠らせることができますから,まるで催眠術師になった気分でした.

 

さて,これに沿ってやるようにと学期初めに渡された誌履把素(しらばす)と教本を見て驚きました.この安政の世になっても,まるで平安時代のような教本を使っている.力の和を求めるのに,算術で習う余弦定理や正弦定理を使うのです.この方法は,平面では良いでしょうが立体になったら歯が立たちません.それに,「算術力診断」の結果によれば,余弦定理も正弦定理もほとんどの塾生にとって遥か忘却の彼方でした.

そこで私は,少し回り道ですが,そんな軽業的な方法ではなく,単純で覚えやすい式を,こつこつ計算すれば誰でも正解に達する,矢線(べくとる)を使う方法を教えることにしました.そこで電気(ぱわー)紙芝居(ぽいんと)を作り,

「内積とか外積とか,耳慣れぬ言葉が出てくるが,算法は極めて覚えやすい形をしておる.慣れてしまえば考える必要などないのぢゃ.騙されたつもりでこの方法を試してみられよ」と説明いたしました.

「師範の話される方法は,教本のいずこに書かれておりますか?」

「いいや,どこにも書かれてはおらぬ.そもそも教本どおりの話なら,自分で教本を読めば済むこと,わざわざ塾に通ってくることなど不要とは思わぬか」

若干の軋轢はあったものの,大部分の塾生はついてきてくれました.

 

さっそく力の和を求める課題を出しました.座標軸をとり,二つの力の矢線(べくとる)を作図し,成分に分けて合力を求めるのです.余談ですが,この語をご当地では若い塾生でも「ごうりき」と読んでおります.閑話(それは)休題(さておき),私の目的は,成績を評価するのではなく,話が塾生にとって一方的で受身とならないよう,自分で実際に計算し解いてみさせることですから,出来不出来は問題ではなく,ヒントを与えることはかまわない.しかし,75名の一人ひとりには対応できない.依怙贔屓になるおそれもある.

幸いお初どの,何とここ北國加賀工部塾の教場にも,お江戸で広く使われている無線(わいやれす)拡声器(まいく)があるのです.教壇から離れ,一人の塾生に話しかけても,私の声は全員に伝わるのです.

 

塾生たちの席を歩き回り,答案用紙を覗き込みます.正解に至った人,未だ計算中の人,作図はできたけれど式がたてられない人・・・,出来はさまざまです.

その問題は,一本の補助線を引き相似な三角形を見つければ,簡単に式がたてられるものでした.与次郎はそこで立ち止まっておりました.

「難航しておるようぢゃの」

「師範,そこにおいでましたか.私にはむずいてようわかりませぬ」

「ふむふむ,甲と乙を結んでみられよ」

与次郎は定規を取り出して線を引きました.

「あっ,そうか!」

顔が一瞬輝きました.

「わかったようぢゃの.これで式がたてられるであろう」

「はいっ,あんやと存じみす」

 

塾生たちが世の中に出てぶつかる問題のほとんどは,教本には出ていません.出ているなら世の中で「問題」になるはずがありませんからね.未知の問題にも恐れずに立ち向かえる人になってほしいのです.そのために,軽業的ではなく,誰にも使える方法を教えているという私の意志が,少しは伝わったでしょうか.

加賀工部塾の塾生たちの学力は,昌平坂学問所や立派な藩校の足元にも及びませんが,その多くは,いままできちんと教えられてこなかった人たちなのです.与次郎のように,背中を指でちょっと押してやれば,自分で歩き出せる人がたくさんいるのです.初期値が低いということは,伸びる余地は大きいことなのです.こうして自分を励ましております.

 

すっかり長話をいたしました.夏の疲れは涼風が立ったころでるものです.くれぐれもご自愛ください.ではまた.

 

安政二年九月十二日

お初どの

右京之介拝

 

「輝きにつながる一本の補助線」

お初は,江戸詰めだった頃の右京之介の笑顔を思い浮かべていた.

 

KITロボティクス学科では学生の研究室配属が3年次の秋学期に決定します.来年からはKITも日本でスタンダードな2学期制になるので,決定時期がもう少し早くなると思います.3年次の冬学期はコアゼミ(プレゼミに相当)という科目があり,工学設計Ⅲ(卒業研究に相当)の準備をします.

来年は,新しく佐藤研究室,土居研究室,光永研究室が誕生します.土居先生は東京工業大学を出られ,7トンもある大型土木作業用ロボットの開発に携われました.光永先生は大阪大学を出られ,ロボットと人間のインタラクション(相互作用)に関する研究がご専門です.ロボカップにも参加されたこともあります.KITに来られる前から面識がありました.お二人とも30代でバリバリの研究者です.一方,佐藤先生は東京大学を出られ,しばらく民間企業や官庁で研究開発に従事されたベテラン(熟年紳士)で,流体力学や水中航走体がご専門です.

この3研究室は学生にとても人気があり高い志願倍率となりました.KITロボティクス学科は益々パワーアップします.

近いうちに,このブログで研究紹介などができたらと考えています.

出村

今日は金沢桜丘高校でロボカップと夢考房の講演をしました.

今年に入り,金沢医科大学,小松市立高校,金沢北陵高校と3校で講演をしたので,金沢桜丘高校は4校目です.

話す内容はいつも大体同じで,私がKITに来てから取り組んだ夢考房とロボカップの話です.夢考房に関しては教育的観点からお話することにより学生を励まし,ロボカップについてはビデオをふんだんに見てもうらことにより,学生に楽しんでもらい,ロボカップの現状を知ってもらうことを狙っています.

高校の先生と雑談して感ずることは,NHKロボコンは全ての先生や学生が知っているのに対し,ロボカップのことはほとんどの人が知らないということ です.NHKでも数年前放送されたことがありましたが,時間帯が悪かったり,BS放送だったりしたこともあってかロボカップの知名度は今一歩といったとこ ろです.時間が許せば,どんどんいろいろな高校へ行ってロボカップの楽しさを伝えたいと思います.

出村

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